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フランスの無自覚なアジア人差別と、それを否定する"リベラル"フランス人の欺瞞

"Les bêtises des footballers ne m'intéressent pas."
(サッカー選手の愚かさなんかにゃ興味ないね)

この返事は大方予想していたものに近いはずなのに、私はまず落胆し、何年も前に別れた彼との喧嘩の日々を思い起こして、少しだけ憎しみが蘇った。

パリに住んでみたいという私の希望は彼のおかげで叶った。
その生活は経済的にも彼に依存するものだったから、その感謝の気持ちを忘れたくないし、良い思い出は沢山あるし、愛憎半ばしつつも家族なような絆もあった。別れても悪口を言いたくはない。

だけど今回流出した、フランス人サッカー選手の日本人侮辱動画について、フランスの記事のURLを送ったことに対する返事が、冒頭の一言だけなのだ。

この反応はわかっていたのだけれど、やはり再び失望した。そして昔何度もしたように、二度と期待するのはやめよう、と自分に誓った。

それにしても。私は今回の流出動画を撮影し、酷いことを言ったデンベレという人よりも、「日本のゲームが好きです」などと日本にアピールしつつも、横で日本人への侮辱を聞きながら「笑った」グリーズマンの釈明に引っかかる。その引っかかりについて、自分の中で掘り起こしていたところ、パリにいた時に常に抱いていた違和感の正体が言語化できるような気がしたので、今残しておきたい。

「自分はレイシストには断乎反対。リベラルだ、と信じ切っているフランス人」

に対して、いつも何を期待し、失望させられていたのか。

あれは若くして信じられないような大金を稼いで、王族みたいに暮らしてるサッカー選手たちの本音が漏れた瞬間だ。

誰がなんの目的でリークしたのかはわからないが、デンベレという人は「やべえ!」とは思ったことだろう。しかしグリーズマンの言い分は「自分ははめられた」と言わんばかりである。自分はいつもレイシストに反対してきたのに、陰謀によってレイシストの謗りを受けている、と言っている。

そして…私はおそらく彼は取り繕っているのではなく、本気でそう思っていると感じる。

「この俺が…レイシスト?!なんだよ、公式には言えないけど、事実横にいる俺のダチのデンベレを見ろよ!これで何で俺がレイシストに見えるんだ?!」
「アジア人に…?何でだよ!俺は寿司だって食べるし中華だって子供の頃から食べてるよ!日本のアニメ見て育ったし、ゲームが好きだ!あの時だって日本のゲームをしようとしてたじゃないか!それなのに何で差別するってんだよ!」

本気で、そんな風に思っているに違いない。

フランスではアジア人に対する差別がある。だから、日本人である私は時々不快な思いをさせられる。

そういうと、「私の周囲の」フランス人は一斉に否定する。

彼らは心底、フランスにそんなものはない、と思っている。…アラブ人にはあるって?それは彼らが、フランスという国の伝統に抵触するようなことをするからさ。娘にライシテ(国家の宗教的中立性・無宗教性)に反するようなことをさせるからさ。あのヒジャブを子供に強要するのは許せない。男女不平等でもある。個人的に攻撃してるわけじゃない。
えっ、黒人に?ふざけるな。アメリカに人種分離政策があった頃からフランスには黒人の大臣がいたんだぞ(ものすごいドヤ顔)。…確かに貧困地区の彼らには近寄りたくないさ。この国の治安を乱している連中は問題だ。「ちゃんとした」黒人なら差別なんかされないさ。

結局、これはあからさますぎるかもしれないけど、彼らの感覚というのはそんなところで、それ以上深くもないし、これで立派に自分は「リベラル」だと自信満々なのである。

そして彼らは、屈託のない顔で言うのだ。

「だけど日本人はフランスに対して無害だ。差別するわけないじゃないか」

これを耳にする度、私は違和感を覚えていたのだけれど、その違和感が私としても漠然としていたので何も言い返せずにいた。

だけど今わかったのは、その理屈はまず、「反感」と「差別」を混同している。確かに「日本人への反感」はフランスにあまりないのかもしれない。

でも、アジアとかアジア人に対する、全く理屈にならない「差別感情」は存在している。それをわざとか無意識か、「反感」と「差別」を差し替えて納得させようとした。

私はいつも言い返せずに黙って、自分自身に納得させようと試みていたけれど、どうしても言いようのない消化不良感があったのだ。

実際、「日本人や中国人の顔を見るとなぜだかバカにしたくなる」というフランス人は絶対に存在する。けれど人は自分以外の人たちに向けられた悪意に対して、驚くほど鈍感なものだ。

私が受けた不快な言動を報告すると

「それはあなたの肌の色には関係がない」
「あなたのフランス語がレベルが低いから。逆に言えばフランス語が上達すれば起きないことだ」
「そいつは誰にとっても嫌な奴。ここは日本じゃないんだ、スミマセエンって呼んでニンジャみたいに店員が飛んでくる国じゃないんだよ」
「あなたは有名なパリ症候群にかかっている」

とにかく、それは何が何でも人種差別ではない、と主張する。

確かに、誰がどう見ても人種差別だ、ということをして、それが動画に撮られて特定されれば、逮捕されたり社会的にも困ったことになる。

される方からすると「これは私が白人だったら、起こらなかったのではないか」と思わされるけれども、「人種差別ですよね」とはっきり指摘できないような、そんなことが多いのだ。相手は必ずしも白人ではない。白人ではないフランス人が、白人にはしないのだろうな、という態度をすることもある。しかもその多くは、本人もそれが人種差別なのだと分かっていないことが多い。だから私は、デンベレという人も、結構本気で分かってないのではないかと思う。

特に東アジア人が北米などに比べて勢力あるマイノリティとはいえなヨーロッパにおいて、我々への差別というのは人々の意識の「議題」に取り上げられていない、と感じる。

アフリカ系にこんなことを言ってはいけない、アラブ系との共存を考えなきゃいけない、というような「ポリコレを意識するべき人々」として我々は意識されていないのだ。

敢えて、その心理を覗き込むと、それはやはり、

日本人や中国人は「白人じゃないのに」白人と同じような立ち位置で闊歩しているのだから(消費行動などで)、【対等に】皮肉を言ってやったって人道的にセーフだろう?

というような感じだと思う。

なぜなら、確かにフランス人はアメリカや英国をバカにすることがかなりある。彼らの文化とか、食べ物をディスるのは日常の小ネタだし、実際のところはそれらの観光客が小バカにされる、ということは珍しくはない。そして、確かにそれらの国の「白人」は人種差別とは取らない。私が語学学校で知り合ったアメリカ人たちは、「こんな人がいた」「こんなことされた」と言いながらも、どこか楽しんでるところがあった。

おそらく「どうしても何かアジア人に何か言ってやりたい」人が開き直る理屈はそこである。「自分は【対等に】思ってるからこそ、なんだよ?第三世界だと思ってたら言えないさ」と。

私は長い間、それを彼らからはっきり言われるまでもなく、そういうことなのだとして納得しようとしていた。

けれど納得できるわけはない。なぜなら私はわかっている。

どんなに日本の近代化の過程や、戦後の経済成長を知る人でも、アメリカや英国と同じステージでは見ていない。フランス人はどんなにアメリカの文化を馬鹿にしようとも、20世紀以来の圧倒的なリーダーへのコンプレックスを持っている。どんなに英国への侮辱表現を持っていても、結局ナポレオン戦争は最後には負けたし、獲得した植民地の広さだって全然敵わなかった。圧倒的に英語の方が広がった。
だからアメリカ人も英国人も、どこかで「負け犬の遠吠え」と言ったら言い過ぎだろうが、そういう種類のものだと思うから、負けずにフランス人の性格の悪さをネタにする。

しかし、日本に対して、フランス人はそういうコンプレックスは全然持っていない。だから同じディスりでもアメリカ人や英国人に対しての「負け惜しみ」みたいな一片の可愛げがそこにはない。理屈ではない単なる軽蔑しか感じられないから、我々日本人は「差別」と感じて傷つき、憤るのだ。

もちろん、戦後の経済発展の結果、1980年代からほんの最近までは、日本の方が経済的に完全に上回っていたし、1980年代には日本車メーカーがフランスの自動車産業を潰すのではないかと恐れられていたという。SONYのウォークマンには感心したというし、もちろん漫画・アニメ・ゲームはフランスの子供たちを虜にしたし、柔道は日本以上にメジャーだし、北斎を知らないなんてインテリじゃないし、21世紀は村上春樹のハードカバーの本をさりげなく飾るとおしゃれみたいである。

フランスで「私がアジア人なので、こういう不快な目にあった。ここで日本人はレイシストに遭う」というと、必ず

「ちょっと待って!そんな無知なバカのために、我々の日本への憧憬の念を疑うのか?!」

と口々にそういうことを言ってくるのだ。どんなに和食が好きか。なんのアニメを見て育ったか。日本の技術力はすごい。古典文化も素晴らしい。KENZOはフランスで最も成功したデザイナーの1人だ。とかナントカ。

だけど、日本人である私が「こんな不快な目に遭った」と打ち明けるフランス人とは、少なくとも私の知り合いである。具体的には恋人とか友人とか、その友人とか、家族とか、または語学学校の先生とかである。入ったカフェの店員にいきなりそんなことを話す機会はない。通りすがりの人にそんなことを話すこともない。

さらに、日本人である私にそんなことを打ち明けられるようなフランス人は、多分、通りすがりに私を不快にさせるようなフランス人との接点があまりない。

だから、私が「あれは私がアジア人だからなのだ」と言っても信じようとしないのだ。

そのやりとりが、どれだけ私に孤独を感じさせたか。

別れた彼は、レイシストに傷つけられた私の心を守ろうとするよりも、私という外国人から「フランスの評判」を守ることを圧倒的に優先していたのだ。3年も経って明確に認識した。もちろん、彼にはその自覚はないけれど。

グリーズマンに言いたいのは、もしあの時、笑ったりなんかせずに、真顔でちょっと"Oh(フランス人の短いオゥ!は英語人のOhとは違って、オイ、みたいな感じで使われることがある)"と言うくらいのことはできたのではないかということ。彼がゲームをやりたくて「お願いした」スタッフに対して、気心知れた友人が横でそんな侮辱的なことを言っていたのなら、一瞬でもいいから咎めるような顔くらい、してくれていたら、日本人はあなたの言い分を信じただろうということ。

「私は傷ついた」と言っている人の心に寄り添おうともせずに「あなたが傷つくのは間違い」と言うことの傲慢さを、いつかフランスの「私はリベラル」系の人々が気付く日は来るのだろうか。


*私はブログなどを持っていますが、今回はより媒体力ある場で発言させていただきたいと思い、noteデビューと相成りました。

ここでもフランスの人種差別について書いています。今回の文と矛盾する、と感じられる方がいらっしゃるかもしれませんが、私の中では矛盾していません。心の階層の部分で、扱っているところが違います。

https://ana-platinum.club/2020/06/10/racism-france/

■Kindle本
フランス人の面の皮は分厚い: 日本人が学びたい「個人主義」という自由な生き様

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