2020年8月の記事一覧
インターネットこわい
今わたしを「外」につなぐものは何もない。かかわりの何もかもがとにかく恐ろしくて仕方ないんだよ。
自分の心を守ることが大事で、なんにも、ちがう要素を混ぜることができない。何を見ても、自分の心の中に守っているものと比べてしまえば、美しいと思えない。わたしの心の中にある美しさを引き出すきっかけになってくれるようなものとの出会いがまったくなくなってしまって、それでも、どうしても混ぜたくない。美しい心のまま
こわくても動き出さなければ
たとえば、他者と関わるには自分の心をオープンにしなければならないと思っていた。オープンでいると清々しいし、関わる相手に寛いでもらえれば嬉しい。正しくいられる。だけど、時々めちゃくちゃになる。どこかに行ってしまう。誰かにひどく傷つけられた、みたいなことじゃなくて、開けておくと出て行ってしまうんだよ。何かわからないものが入ってくるんだよ。
何をそんなにこわがるのかという話です。「外」と関係していくと
それぞれのsunao
わたしはわたしのすべてを使って、すすんでいろんなものに出会って来たはずだ。すべてを使うと、厄介なことがおおい。すべてを使ってわたしだというのに。
厄介でもいい。呼吸をする、体がひらいていないと、ちゃんと入って来ない。ちゃんと全部吐いて、そうすると自然に次の息が入ってくる。わたしはすぐに呼吸を忘れる。吐かずに吸うから吸えていない。ちゃんと吐く。ちゃんと吐くって難しい。誰かの手を借りて無理やり吐き出す
すぐに素手で戦おうとするな
心の悲鳴を聴いてみろ。
わたしの思う「わたしのすべて」に肉体的情報は含まれていない。それをわたし固有のものだと感じないからです。
肉体は、自分というものを快く保つためにあるもので、肉体的情報は時に快さを阻むこともある。なのでわたしはむしろ積極的に失って生きたい。
なおくんは情報を持たない。いつも形が安定しない。いつもこぼれたり詰まったりしている。伸びたりばらばらになったり。潰れたり。泳いだり浮
今の季節は夕方がきれいだね
すべてがわたしを拒むので
生命力が弱いんだと思う。
この季節を越えられないだろうといつも思う。
このまま枯れてゆけないかとじっとしている。
すべては生きたいひとのために存在してる。
わたしは死のことばかりを考える。生きながら死に関係することを考えるのは、死への恐怖を克服したい人々の自然な働きかと思う。
わたしは何も克服しない。
ひとりでなくなることはいつだってできる。
わたしはずっとひとりなん
生活がてのひらからこぼれる
愛は我慢しない方がいい。
愛を口にすると元気が出る。
愛が溢れると饒舌になる。わたしの愛はそういうものなのかな。伝える相手がいるとほころぶ。この愛には、そのきもちごとの相手がそれぞれ必要で、誰か一人いればそのひとに全部渡せるものでもないらしい。
受け取ってくれる相手はまだいないのに、伝えたいような気持ちだけがなみなみ溢れてきて、そうなると手に負えず、言葉が散らかっていく。
このこぼれてしょうがない