見出し画像

こわくても動き出さなければ

たとえば、他者と関わるには自分の心をオープンにしなければならないと思っていた。オープンでいると清々しいし、関わる相手に寛いでもらえれば嬉しい。正しくいられる。だけど、時々めちゃくちゃになる。どこかに行ってしまう。誰かにひどく傷つけられた、みたいなことじゃなくて、開けておくと出て行ってしまうんだよ。何かわからないものが入ってくるんだよ。

何をそんなにこわがるのかという話です。「外」と関係していくというのはわたしにとって、いかに心をひらいていくかということなので。心をひらいて関わるよりも、とじたままで関わるほうが、勇気がいる。

どうして心のなかみを、心の中にある形のまま取り出して見せることができないんだろうな。見せられるようにしようとするとなんだか違うモノになってしまう。心のうつわごと取り出すことはできない。ソレはわたしの心の中にあるからその形をしている。キレイなのは形じゃないんだと信じて、違う形で出してみようとすれば、その形はその形で悪くないんだけど、でもやっぱり何か、そうじゃない。そのくせ一度形を作ってしまえば、それはそれで愛着が湧いたりして、自分のものとして抱えきれなくなっていく。
わたしの心はわたしの中にしか無い。外に出たらそれはもう、受け取ってくれたひとのものだよ。誰かに伝えるために形にする時は、わたしはそのひとにとって一番受け取りやすい形にして渡したい。そのきもちも、大事なわたしの心だ。

もしも、受け取ってくれたひとがそっと、あるがままのわたしの心を見つめてくれようとする時に、わたしがわたしを見失っていたらよくないな。
わたしの心の中にあってほしいものが、出て行かずにちゃんとある。知らない何かが勝手に居たりしない。そうしておけるときっといい。そう思うからわたしは、わたしの心を信じて、そのままに保つと決めた。
こわくなくならなくていいよ。こわいままだっていい。

恐れ入ります。「まだない」です。 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 サポート、ありがとうございます。本当に嬉しいです。 続けてゆくことがお返しの意味になれば、と思います。 わたしのnoteを開いてくれてありがとう。 また見てもらえるよう、がんばります。