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『老妓抄』 岡本かの子


記憶のかたち

 以前、ちくま日本文学シリーズの『岡本かの子』を読んだことがあったが、今回は新潮文庫で『老妓抄』を読んだ。
 表題作の主人公である「小その」という老妓は、若い発明家かぶれの柚木という男のパトロンになる。そんな老妓と柚木、若い芸妓たちが初夏に荒川放水路の景色を見てまわるシーンがある。むかしの鐘ヶ淵の名残が感じられ、名物のねむの木が少し残った風景を見て、その光景から過去の記憶が彷彿とされてくる。
 向島の寮に囲われていた時分、若い頃の老妓は旦那の目を盗んで荒川の土手まできて、恋人と逢瀬を重ね、心中の相談までしたことがあったという。ある日、心中による土左衛門を目撃して、それを見た男が「ざまの悪いものだ、やめよう」と言い、思いとどまることになった。

 アンリ・ベルクソンにいわせると、記憶というものは脳内の引き出しに蓄積されるものではない。脳はむしろ外部から次々に入ってくる知覚や刺激がすべて入ってこないように、弁別する「弁」の役割を果たす。そして、人間の行動に必要なものだけを利用する。であるから、不必要で使われなくなった記憶は脳の外側にあるといえるか。
 シャルル・ボードレールがいうコレスポンダンス(万物照応)ではないが、ある風景のなかを歩いていて自然との共感のなかで、過去に埋もれていた記憶がふいに蘇ってくるとことがある。この老妓がかつての心中未遂を思いだす場面では、石炭殻の地面やねむの木、対岸の蘆州に船大工がいる風景が、あたかもそこに老妓の記憶が保存されていたかのように、それらの光景に触れた瞬間に逆巻くようにして蘇ってくるのだ。

たった一人の男

 小説でははっきりと設定が明かされていないが、主人公の老妓は置屋のおかみになって、若い芸妓たちを世話している身分なのだろう。芸妓たちに意外とうぶな面をからかわれて、次のようにまじめに答える場面がある。

何人男を代えてもつづまるところ、たった一人の男を求めているのに過ぎないのだね。いまこうやって思い出して見て、この男、あの男と部分々々に牽かれるものの残っているところは、その求めている男の一部一部の切れはしなのだよ。だから、どれもこれも一人では永くは続かなかったのさ。

『老妓抄』岡本かの子

 玄人の道を歩んできた女性が持つ、独特の恋愛観と言い切っていいのだろうか。ひとりの男では到底満足しきれなかったという諦念のようでいて、たった一人の理想の男を求めているうちに、おのずと数々の男性遍歴を重ねることになったという、老妓の純粋な心を感得することもできる。
「それに比べると、親が決めてくれて、迷わずに生涯ひとりの男だけを持って、子どもを儲ける堅気の女がうらやましい」と口ではいうが、言葉どおりに受けとるわけにいかない。なぜなら、選択肢のなかった堅気の女性とちがい、少なくとも老妓には気に入った男性と恋愛をする機会があったからだ。しかし、そうして出会った男たちは「運命の相手」の一部分しか持たず、生涯をともにするパートナーにはなり得なかった。

『家霊』

 『老妓抄』の小そのは、小説に描かれた部分を読むだけでは「このような人物」と言い切ることが難しい、複雑な人格を持っている。『家霊』という短編に登場する彫金師の老人もまだ、ひと筋縄ではいかない人物だといえる。
 店名が「いのち」という名物のどじょう屋では、病気の母親のかわりに、くめ子という娘が帳場を預かっている。年の暮れが近い寒い夜に、店に徳永老人がきて「御飯付きのどじょう汁」を所望するが、長らくツケが溜まっているらしく、店の者から邪険にあつかわれる。老人は世間の景気の悪いことや、自分の職業である彫金の需要がないなど、勘定が払えなかった言い訳をする。

「わしのやる彫金は、ほかの彫金と違って、片切彫というのでな。一たい彫金というものは、金で金をきる術で、なまやさしい芸ではないな」と言いつつ、我を忘れて独演をする場面が続けられる。
 作者である岡本かの子は、場面を変えたりフラッシュバックにしたりして、彫金師の老人が工房において、丹念に掘り進めている姿を、読者が容易にイメージに結べるような叙述の方法を選ばなかった。どじょう屋でツケの言い訳をする流れで、老人に自身の仕事をパフォーマンスとして模倣させ、演じさせることのほうを選んだ。この場面の描写がなかなかに見事で読みごたえがある。

老人は、左の手に鏨を持ち右の手に槌を持つ形をした。体を定めて、鼻から深く息を吸い、下腹へ力を籠めた。それは単に仕方を示す真似事に過ぎないが、さすがにぴたりと形は決まった。

『家霊』

 老妓抄の小そのの記憶が、脳内というよりは荒川放水路の風景のなかに蓄積されていたのに対し、この彫金師もまた脳内ではなく、日々くり返されてきた身体所作のなかに、さまざまなものが記憶されている。それは自動化されており、人が自転車に乗るように、わざわざ意識する必要がない「型」にまで達している。そのような職人的な身体所作を、どじょう汁を食べさせてもらうために、自己模倣して皆の前で演じてみせる姿を描いたところに、彫金師の老人が持つ滑稽さや哀しみがじんわりと出ている。

どじょう汁と老人

 筆者は子ども時代に、小川や池で川魚やカニをとったりした記憶がある。どじょうは川底の泥のなかに棲んでいて、そこからわざわざすくい出した上に、しばらくの間淡水に入れておいて泥を吐かせなくては、とても食用にはならない。しかもウナギに比べると、小骨が多くて身も少なく、とてもご馳走といえる魚ではない。しかし、徳永老人は次のようにいう。

若いうちから、このどじょうというものはわしの虫が好くのだった。この身体のしんを使う仕事には始終、補いのつく食いものを摂らねば業が続かん。そのほかにも、うらぶれて、この裏長屋に住み付いてから二十年あまり、鰥夫暮らしのどんな佗しいときでも、苦しいときでも、柳の葉に尾鰭の生えたようなあの小魚は、妙にわしに食いもの以上の馴染になってしまった。

『老妓抄』

 江戸時代にも、どじょう鍋は庶民の食べ物として親しまれてきたし、煮込んで卵とじにした柳川鍋のような料理もある。この彫金師という職業の業という面からも、彼がどこかで江戸期からつづく貧しい庶民の系譜をくんでいることが、かすかに匂わされている。しかも、どじょうという小魚は、長屋でやもめ暮らしをする老人の生きざまを象徴する。しかし、それだけではない。

人に嫉まれ、蔑まれて、心が魔王のように猛り立つときでも、あの小魚を口に含んで、前歯でぽきりぽきりと、頭から骨ごとに少しずつ噛み潰して行くと、恨みはそこへ移って、どこともなくやさしい涙が湧いて来ることも言った。

「老妓抄」

 『家霊』という小説では、どじょうは単に老人のあり様を象徴するだけでなく、それを食べることには卑小に生きる彼を慰撫してくれる効果がある。「恨みがそこに移る」というのだから、どじょうを自分よりもいじましい、いたいけない存在であると感じ、それを噛み潰すことで切ない気持ちがおさまる。
 買い物にいけば、どんな食材でも手に入る世の中になったが、この小説におけるどじょうのような、生きることと骨絡みなった「食う」行為の実感は、徐々に失われているのかもしれない。


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