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魯迅の『狂人日記』


食人宣言

魯迅の同時代人で、1890年生まれのブラジルの詩人、オズワルド・デ・アンドラーデという人がいる。彼は1928年に、妻のタルシラの絵「アバポル(食べる男)」に触発されて『人食い主義宣言(食人宣言)』(アントロポファギア)を発表した。ブラジル人が自らを人食いに喩える宣誓文だった。

ブラジル北部に住むインディオのトゥピ族は、「倒した敵の力を吸収するためにその肉を食らう」習慣があり、ヨーロッパからやってきた宣教師を丸飲みにしていた。アンドラーデは、それを非ヨーロッパ的なブラジルの隠喩として使ったのだ。
彼は「ポルトガルの植民地だったブラジルは、近代主義の過程で西欧の文化を単に模倣するべきではない。必要な利点のみを選択的に食べて様々な吸収し、それを栄養分として別の違う文化や表現を生み出す」ことを唱えた。ある種の土着主義に根ざした文化的ナショナリズムを模索したといえるだろうか。


狂人日記

魯迅の「狂人日記」における食人は、普通は否定的なものとされる。主人公が狂人であるのは、社会の方が狂っているときには、かえって狂人の方が正常な批判精神を持っているからだろう。むろん、この小説の目的は、魯迅自身が言っているように伝統と対決し、封建社会や家族制度を徹底的に暴露することにあった。
そして、ヨーロッパに敗北していながら、古い中華思想から脱却できず、欧米に対する精神的優位に浸ろうとする中国の近代化におけるねじれた姿を揶揄している、とこれまで考えられてきた。しかし、本当にそれだけだろうか。

魯迅は中国に実際にある「人食い」の習慣を頭の片隅において、「狂人日記」を描いたという。彼はどうして古い習慣に回帰していったのか。たとえば、小説のなかで、いくつか昔から行われる食人行為を肯定的に書いている描写がある。
「人肉を食べると肝っ玉が太くなる」
「勇気がある俺だからこそ、奴らは食いたがる」

当時の中国には、「子は親が病気になったら、自分の肉を食わせるのが立派な人間」という迷信もあったようだ。そして「狂人日記」の最後で、主人公は「四千年の食人の歴史をもつおれ」を自覚するに至る。
自分の土着的な文化的ナショナリズムを意識するようになり、それを自覚的に生きようという決意をもって小説は締めくくられている。日本に留学した経験もあり、中国の近現代文学では特に日本の読者に親しまれている魯迅だが、まだまだ様々な読解の余地があるのではないか。


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