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正岡子規の『病牀六尺』


日記文学

正岡子規が脊椎カリエスを患い、闘病生活の中で書いた『病牀六尺』という日記文学は、いま読んでも「介護」と「リアリズム」の観点から興味深い。
六十五節と六十六節(岩波文庫版107頁〜)で、明治男の子規は「女子の教育が病気の介抱に必要である」と主張する。
病気が7年も進行するにつれて、子規は背骨が破壊されて身動きがとれなくなった。
生き死にの問題はあきらめてしまえばいいが、家族の女性の看護が下手であると余計に苦痛が増すので我慢できない。たとえば、子規は始終つきっきりの介護を必要としたが、家の女たちが家事を後まわしにするなどの機転が利かない。そこで、常識を養うための教育が女子にも必要だと、愚痴をまじえながら唱えるのだ。

二種類の介護

六十九節では、「形式的介護」と「精神的介護」の違いについて述べている。
子規は「一家に病人が出来たといふやうな場合は丁度一国に戦が起つたのと同じやうなもの」と現実的な認識をしている。そこで、食事や身のまわりの世話などの形式的介護よりも、同情や慰めをもった精神的介護の優位性を主張する。

なぜなら、病人を介護で満足させるのは至難のわざで、掛け布団の位置や傍にいてほしいか否かを推し量るなど、こまやかな対応はひとえに慰めの心から出てくるからだ。そのためには、介護人は病人の性質と癖を知っておく必要があり、やはり家族の者がやるのが一番いいと子規はいっている。これは明治期であろうが現代であろうが変わらない、介護の本質を述べた文章の一つであろう。

リアリズム

もう一つには、子規の俳句や文章におけるリアリズムの問題がある。
百十節(171頁)に「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という子規の有名な俳句がある。イメージの喚起力が強くてわかりやすい。事実をなぞっているのに、おかしみをたたえている。この句一つをとっても、子規における絵画と写生文の関係が見てとれる。

八十六節(140頁)で子規は、「このごろはモルヒネを飲んでから写生をやるのが何よりの楽しみとなつて居る」と書いている。子規は草花帖(そうかちょう)に蝦夷菊、忘れ草、石竹といった草花をスケッチするのだが、あまりに苦しいのでモルヒネの服用時間を早めて写生を続ける。
ケシという植物の種からアヘンが採取されるが、そこからさらに抽出したものがモルヒネである(モルヒネは精製するとヘロインになる)。モルヒネには劇的な鎮痛作用があり、副作用として便秘や眠気があるが、精神錯乱や幻覚などは少ない。子規は痛みから解放されて、すっきりした気分で画帳にむかったのだろう。

写生の宇宙

次の八十七節には、その様子が「草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生して居ると、造化の秘密が段々分つて来るやうな気がする」とある。
子規がいう写生ということは、絵を描き、俳句をつくることで小宇宙の秘密に接近していくような飛躍的な何かである。
近代文学におけるリアリズムの形成に一役買った、云々と教科書的に考えてはいけないのだ。
四十五節(76頁)では、写生について「画の上にも詩歌の上にも」同じことが言えるとしている。子規のいう写生は科学の発展に支えられたヨーロッパ的なリアリズムとは少し違う。

人間の想像力(理想)は写生よりも浅薄であり、写生は自然をうつすのであるから、自然が変化する分だけ写生文も写生画も変化が多く趣が深いという。子規のリアリズムとはむしろ東洋に古くからある考え方に近いもので、与えられた現実をそのまま認めるということにある。
それは、この本の書き出し「病床六尺、これが我世界である」という一文にもよくあらわれている。つまり、物事をありのままに書き写すことを通して、介護の必要な病人でも、内面における広々とした自由自在さにたどり着ける、ということを言っているのではないだろうか。


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