見出し画像

ネヴァー・エンディング・トゥワーは今日も続く 〜あの日のディランと僕と

現在進行形の彼(か)のヴァイラス禍の影響を受け、残念ながら中止となってしまった2020年4月の来日公演。ボブ・ディランにとって10回目の来日となるはずだった。行っているはずだった。

振り返るに、結構この人とは因縁があるというか。
前回はフジロックだったので初めから選択肢にも入らなかったが、その前とか、来日日程チェックした上で有休とってって、万全の体勢でいたのに、いたのにだよ、直前で仕事上のスケジュール変更で行けなくなったり。だいたい有休の振替って、その日にライヴないだろ!どうすんの?旅費、チケット代とか諸経費の損失どうしてくれんのよ。上司さんよぉ!

まあ、しっかりその振替、休んだけど。当初予定の有休の日は休日出勤扱い、有休再申請というめんどくさいプロセスを経て。意味ねーじゃん。(オレに申請させんで、テメエらでやんのが筋じゃねーの?)

しかも当たり前ながら諸経費面はどうにもしてもらえず。


さかのぼると、3度目1994年の来日公演。大阪城ホール公演へ行く予定で、無事当日を迎えた。

迎えた、迎えたんだ。うん、迎えたんだよ。


がしかし。

なんで雪降るんだよ!飛ばねーだろ、飛行機が!!アホか!!!


急遽新幹線移動に切り替える。間に合わないかも・・・仕方ない。途中からでもいい。関係ない。

新幹線は東広島に差し掛かろうとしていた。その時、  


「ただいま、降雪の影響により速度を落として運行しております・・・」  


無情の車内アナウンス。終わった・・・。  


「大阪城ホール、お願いします!」  


いちるの望みをかけ、新大阪からタクシーへ。そして会場が見えてきた。最後、2、3曲でも・・・。

やがて、“こちら側”へ向かう人々が見える。ご丁寧に公演パンフらしきものを手に持って。

察したかのようにスピードを落としているタクシー。


「ニューオオタニへ・・・」  


宿はすぐ近くだった。チェックインを終えると僕はなんの迷いもなくホテルのラウンジへ。ただ飲んだくれて大阪の夜は更けていった。

ついに初対面を果たしたのはそれから7年後、2001年の大阪である。

そんな、楽しい?思い出がいっはいで。だから僕がディランにこだわるの分かるでしょ。(いや、分からん)


84、5年頃、前述したようにディランに出会う。本当のことを言えばもっと前に知ってはいたかもしれない。事実「風に吹かれて」「ライク・ア・ローリングストーン」は知っていたから。

もっとも、ちゃんと聴くようになったのは90年代になったからで。92年の自身初のカヴァーアルバム『Good as I Been to You』、

91年『The Bootleg Series Volumes 1–3 (Rare & Unreleased) 1961–1991』。

どっちが先か忘れた。多分ほぼ同時に聴ていた。

このころが僕にとっては音楽的に多感な時期で、このころ聴いていたり聴きはじめた人が今日(こんにち)も主になっている。


2016年にノーベル文学賞受賞したこともあるけど、ボブ・ディランのなにが凄いかって、なんといっても、佐野先輩(佐野元春)やBoss(ブルース・スプリングスティーン)の源流を辿れば彼が登場するってこと。僕にはね。


好きなのは・・・。選べないけど、『Blond On Blond』(1966年)かな。

66年発表って、当時まだ僕、生まれてない。そのころから、そして現在(いま)も現役で新作を出しライヴをやってるって、やっぱり凄いとしかいいようがない、でしょ。

初めて観た時、「ディランって、ロード(ライヴ)の人だなぁ」って思った。
今年で79歳。あと何回来てくれるかなぁ〜?とにかくまた観たい。何回でも。

通称、ネヴァー・エンディング・トゥワーと呼ばれるトゥワーは現在もまだ続く。


【This is Bob Dylan】(Spotifyプレイリスト)

この記事が参加している募集

私のイチオシ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?