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限界OLのうつ病休職 ~周囲の支え編~

前回まで、休職にまつわる体験談を時系列順でお話してきたが、今回は少し角度を変えて私の思いを書き巡らせていく。

療養期間に入ってから、周囲の人たちの存在の大きさを改めて実感するようになった。『周囲の人たち』と一口に言っても関係性は様々。それぞれに対して思いがあるし、それぞれ違った寄り添い方をしてくれている。

① 親友
大学時代からの付き合いで、今は2駅隣に住んでいる。療養期間に限らず、毎日のようにLINEでたわいのない会話をしていて、休職しても変わらずそれを続けてくれることがとてもありがたい。
彼女にうつ病の経験はないが、私が初めて患った時から理解を示してくれている。ご飯の誘いをくれる上、「当日になってしんどかったらまた調子良い日に行こう!」と言ってくれるので、とても助かっている。
もしかしたら、未だにどう接していいか分からないのかもしれないが、どんな状態の私であろうが側にいてくれる彼女には感謝しかない。『言わなければ分からない』とは言うけれど、12年来の関係にもなると何も言わなくても通じるものがあるのかもしれないな、と感じることもしばしば。
ちなみに、1歳半になる彼女の息子には、会う度「美人だよ!覚えてるか!」と言って洗脳を試みている。(?)

② ネット友達
趣味として声のみ配信をするのだが、それを通してできた友人たちの存在も大きい。会ったことがある人もいれば、配信やSNSでしかやりとりしたことのない人もいるけれど、「自分にはみんながついている」と思えるような存在だ。
休職する前は現実から逃げるようにほぼ毎日配信していて、休職直前にはみんな口をそろえて私に「休んだ方がいい」と、諭してくれていた。その頃の私は仕事でキャパシティをとうに超えて感覚が麻痺していて、「そこまでじゃないよ大丈夫~!」なんて返していた気がするけど、今思えばみんなには節々に出る私の異変が伝わっていたのだと思う。
ハイテンション弾丸トーク配信が基本だった私がスラスラと言葉を話せなくなった時も、変わらず相手をしてくれたみんなには最大級の愛を送りたい。

③ 家族
母・父・弟に休職していることを伝えたのは、休職して丸2ヶ月になろうとしている頃だっただろうか。友人には言えても家族に言えないことの方が断然多く、今回の件もなかなか伝えられずにいた。
母は、自分の子供たちは連絡が来なければ来ないほど元気だと認識しているため(実際本当にそう)、私が「近々こっちの方に来る予定ある?」と連絡した時から何かしら察していたのかもしれない。
弟は8歳下で若いし、まだまだ思考に柔軟性を残しているので何を話すのも特にためらわないが、世代のせいだろうか、やはり両親にうつ病のことを理解させようとしてもなかなか難しい。だからと言って、突き放したり突き放されたりすることはなく、「何かあったら言いな~」くらいの距離間で見守ってくれている。
特にしんどい時期は、身の回りのことを手伝ってくれる人がいる方が良いのかもしれないが、家族に関しては物理的に距離がある方が私は心地良い。ただ、4年前に同じように調子を崩した時よりも、2人とも幾分か優しい気はしている。理由があっても、気のせいでもどちらでもいいけれど、関係性にこのちょうどいい着地点を見つけるまでだいぶ年月がかかったな、とは思う。

④ 飲み屋で会う方々
本当はお酒を控えなければならないが、元気な時は行きつけのお店に出向く。元々お酒が好きだったし、店員さんやそこで会う常連さん達と話すのも、私にとっては大切なひとときなのだ。
うつ病や休職のことは話の流れで出すくらいで、会う人会う人に話すわけではない。伝えたとしても「あらあら大丈夫か~?とりあえず乾杯しとくか!」といった軽い感じでいつもと変わらず楽しくおしゃべりしてくれるのが嬉しい。
1人で人の多い場所に行くのはまだまだしんどいし、私が外界と接点を持つとすればこのお店しかないため、身内や友人、そして自分の家以外に長い時間落ち着いて留まることができる場所があるのはとてもありがたい。
先日は、ちょっとヤンチャなお兄さん方のババ抜きに入れてもらった。意味の分からない風景すぎたが、凪の日々を過ごす私には刺激的で面白い一コマだった。


調子が悪いとどうしても孤独が際立ってしまいがちになるが、こうして考えると本当にたくさんの人たちに支えてもらっていることに気付く。うつ病になってよかったとは決して思わないけれど、こうなったから分かったこと・感じられたことの代表がこれなのだと思う。他者との関わりが希薄になりつつある時代の中で、温かい手を差し伸べてくれる人たちがいることに感謝が止まない。

もしも自分が誰かを支える立場になる時が来たら、私も同じようにその手を取ることができる人間で在りたい。

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