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ショートショート|変わり葬儀屋

 一切の広告活動も行わず、これほどの集客を取るのだから、口コミとは恐ろしいものである。
 小さな雑居ビルの三階にある、小さな事務所入口には、朝の七時だというのにすでに五人もの人が並んでいた。皆、マスク姿に帽子に眼鏡、慎重な者は手袋まではめている。よほど身元が割れることを恐れているのだろう。
 並んでいる人間は、どれだけ待たされようが文句を言うものは一人もいない。ただ自分の番が来るのを静かに待っているのだ。
 事務所の扉が開き、黒のスーツ姿の男が一番前に並んでいた男に声をかけた。声をかけられた男はスーツ姿の男に従い中へと消えていく。
 入っていく人間に対して出ていく人間が見当たらない。
 ここでは入口と出口の扉が別々に分けられていて、客同士が極力顔を合わせないための配慮がなされていた。
 ここは変わり葬儀屋。
 葬るのは生きた人間だ。
 と言っても、実際に棺に入るのはもちろん人間ではない。憎む相手を象った藁人形である。
「スタンダードプランで」
 先ほど声をかけられた男が、通された応接室の椅子に座ると同時にそう声を発した。
「……。またアンタか」
 応接室で客に見せる資料の準備をしていた和泉は、男の声を聞き顔を上げた。
「毎回毎回、アンタの周りは一体どうなってんだ?」
 葬儀屋に常連客などあってたまるかと思うだろうが、稀にいるのだ。この男のように。
「現金払いでいいよ」
「あのなぁ、こっちも説明責任ってもんを果たさねぇと契約取れねぇ決まりになってんだよ」
「第一条、甲は乙に対し以下の各項記載の業務を提供する。大体覚えてるけど」
「どこまで諳んじたってダメなもんはダメだ。どうせ暇なんだろ? ゆっくりしてけって」
 和泉は用意していたパンフレットはテーブルの脇に寄せ、契約書を男の前に差し出すと、利用規約を上から順に読み進めていった。
「──以上、ご理解いただけたらこちらの契約書にサインをよろしく」
「はい」
 男は迷うことなく書類にペンを走らせる。慣れたものだ。もうかれこれ三人も呪い殺してきたのだから。
 男の名を知る者は、和泉の他には儀式を執り行う呪詛師と数名の助手たちしかいない。葬儀屋には和泉以外の人間もいるが、どういう縁か、この男の担当はいつも和泉が請け負っていた。
 大抵の客は、利用規約を読み上げているうちに冷静になるか怯むかして、契約せずに帰っていく。契約しても一回きり、多くても二回だ。
 契約が成立すると、藁人形に特殊な呪詛を施す儀式に参加する。この儀式より先は、いかなる理由があってもキャンセルは不可だ。儀式の後は、その日のうちに葬儀に移行し、そのまま火葬する。
 スタンダードプランとは、所謂一日葬のことである。
「あ、そうだ、簡単なアンケートがあるんだが、協力してくれねぇか」
 契約書、同意書など、すべての書類の署名を確認しながら和泉が言った。
「えぇ……。手が痛いから嫌だ」
「答えてくれたら次回の藁人形代がタダになるぜ?」
「えげつない持ちかけしてくるなぁ。手が痛いと言っているじゃないか。……だったら、答えてあげるから代わりに書いてくれ」
 和泉は内心めんどくせぇやつだなぁと思いながら、アンケート用紙をファイルから取り出した。
「本当に答えたくない場合は答えなくてもいいが」
「気にしないよ」
「そうかい」
 アンケートの質問はたった三つだ。

 ──弊社のサービスに対する満足度を五段階評価で教えてください。

「五。満足してるよ」

 ──弊社のサービスを利用する理由を教えてください。

「どうしても、死んでほしい人間がいたから」

 ──弊社のサービス利用後、心に変化はございましたか。

「…………」

 男が黙り込んだ。
 和泉がアンケート用紙から視線を上げると、男はいつになく真剣な顔をして深く考え込んでいた。
「心に変化は……なかったなぁ……。ちょっとくらい傷が癒えたりするだろうと考えてはいたが、何にも変わらなかった」
 和泉は用紙に記入する手を止め、男から次の言葉が出てくるのを待った。
 今聞いた言葉が嘘だとは思っていないが、何かが足りないように思えたからだ。
 だが、沈黙は続いた。
「来なきゃよかったか?」
 和泉の言葉に、男はハッとしたように顔を上げると、ぶんぶんと頭を振って否定をする。
「そんなことは思ってない。憎くて憎くて仕方のなかった相手がたった二〇万でこの世から消えるのは、どれほど気持ちいいか。罪悪感もない。後悔もない。けど……人を殺めてしまった自分が、生きる意味はあるんだろうか……。だから今日は、藁人形に自分の名前を書こうと思って来たんだ。僕は意気地が無いからね、自分で死ぬなんて出来なかった……」
 最後の言葉がわずかに揺れる。
 迷いが生まれているのだ。
「生きろよ」
 和泉が静かに言う。
 優しく、でも強く。
 それは不思議と全てを赦すような音をしていた。
「アンタには悪いが、今回の契約は破棄させてもらう。利用規約の第一章・総則、第四条。違反行為への対応として、第一項が該当する」
 第四条の一項には『契約者が形代に第三者以外の氏名を書き記した場合』とある。
「アンタ、本名なんて言うんだ」
「……」
 契約者の中には、初めから形代に自分の名前を書くつもりで偽名を使う者がいる。
 大抵の場合、本人確認書類の提出の際にボロが出るものなのだが、稀に巧妙に身分を秘匿するものもいる。
 このアンケートは、そういった者たちを救うことを目的として作られたものだった。
 もちろん、それを見分けるのは人の目だが。
「悪ぃな。常連客は疑えって上から言われてんだ」
 和泉は席を立ち、応接室の隅に置かれた電気ケトルのスイッチを入れると、重苦しいスチールキャビネットには似つかわしくないハーブの袋を取り出した。
「オレは今サービス残業中で機嫌が悪いからな。一服したらアンタの家まで行って、くまなく質問攻めにしてやる」
 つまり、何でも聞いてやる、と言いたいらしい。
 和泉の言葉に男は観念したと言うように、漸く初めて笑顔を見せた。

 変わり葬儀屋には絶え間なく人が訪れる。
 葬るのは生きた人間、恨まれた人間だ。
 もしも、ご入用でしたらば、小さな雑居ビルの三階をご覧ください。

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