ただ涙を流すのではなく_

ただ涙を流すのではなく。アウシュヴィッツ強制収容所でみたもの

私が世界一周している頃、
どうしても行きたい場所がありました。
アウシュビッツ強制収容所です。 

人類が起こしたこの歴史を知らない人があまりにも多いなと思ったので、実際に足を運んだ私がその時見たもの・思い感じたことを書いてみたいと思います。 

アウシュビッツ強制収容所とは、第二次世界対戦中、ナチスが行なったユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の中で最大の犠牲者を出した収容所です。かの有名なアンネフランクもかつてここに収容されていました。 

行くからにはガイド付きでしっかり知りたいと思い、日本人公式ガイドの中谷さんという方にガイドを頼み、その地に足を踏み入れました。

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収容所の入り口。
「働けば自由になる」の文字が掲げられています。

この大虐殺で、多くの人が命を落としました。
一説によると150万人、一説によると600万人。
正確な数はわかっていないそうです。
アウシュビッツ強制収容所では150万人とされていました。

施設に送られて、平均2〜3ヶ月で命を落としたそうです。

収容所にたどり着いた時、まず働き手として使えるかどうか「選別」されて
「使えない」と判断された子どもや女性、高齢者などはガス室に送られて殺されました。

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これは実際に使われたガス缶です。
猛毒ではなかったため、20分ほどは苦しんで死ななければなかったと言います。

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回収した眼鏡

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連れてこられた人達の靴です。

履き潰された靴を見て、ああ、本当に履いていたんだ、生きていたんだ、と思わずにはいられませんでした。

写真撮影は禁止されていましたが、刈り上げられた大量の髪の毛もありました。その髪が、毛布などの生産に使われたそうです。
数の多さと現実感に絶句しました。

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食器の数々。
食器を持ってきたということは、彼らはここ収容所で生活していくつもりだったんだろうな、と私は思いました。

でも、違いました。
食器を持ってきたのは、「むこうでは新しい生活が始まるだけよ」と、子ども達を少しでも安心させるためでした。 

展示されている写真を見ていると、
子どもも、大人も、不思議なことに泣いている写真が全くないんです。

子どもさえもが家族を想って、心配させないようにと涙をこらえたというのです。

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1日の食事。生き残りの方の話によると、飢えが一番辛いのだそうです。

胃に残るパンの耳のほうが自分のところに回ってくるか。
スープの具の多い下の方をもらえるか。
そんな小さなことが、生死の明暗を分けました。
そのために係の人に取り入ることが、生きるために必要でした。 

フランクルという心理学者も、「死んでいったのは皆”いい人”だった」と本の中で述べています。

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連れてこられた人達が、「選別」されてガス室まで歩く道のりです。

なんて長い。

この長い道を歩きながら、彼らはどんな気持ちで、何を考えていたのでしょう。

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印象に残った話があります。

中谷さんに、「ひとつのパンがあって、パンを切る係の人がいて、それを係の人含む数人で分けなければならない。パンを均等に分ける方法を思いつきますか?」

と質問されました。

答えは「切る係の人が、最後に残りのパンをとる」。
ある生き残りの方の体験談だそうです。

死にたくない、生きたい、他の人を足蹴にしてでも、と思ってしまって仕方ないような状況の中ででも、人はこんなふうに考えることもできるんです、と中谷さんは言いました。

中谷さんは、この考え方は、もしかすると平和への糸口なのかもしれないとも言いました。

中谷さんに、生き残りの方達はどんな様子で語るのかと聞いてみると、
「驚くくらい、淡々と話すんです。パンの話の時なんかは、こんなこともできるのよって笑顔なんか浮かべて。」

そして最後には皆一様に、誰を責めるとかではなくて、人の本質について話をしてくれるのだそうです。 

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人は弱いし、強いですね。
矛盾してるようですが本当にそう思います。

中谷さんの話は、ここはこういう場所で…という解説ももちろんありましたが、「人とは」・「私たちのこれから」という、“今” に対するメッセージが多かったように思います。

私達人間は、決められたことに適応したり、物事を正当化できる器用さを持っています。 

「ユダヤ人を殺すのは、彼らが邪魔だからだ」という言葉を、「ユダヤ人を殺すのは、我がドイツ国民を守るためだ」と言いかえるだけで
「それならばしかたないかもしれない」と、当時のドイツ人たちは思ってしまったんです。 

反対でもしようものなら、ユダヤ人側に味方した敵とみなされる恐怖もありました。 

ドイツ人達は、実際に収容所の中の様子を見たわけではありません。そういう部分も手伝って、こんな悲惨なことにも目をつぶれたんだと思います。

「でも、だからって、人の命が奪われてるんだからそんな簡単に目をつぶれる問題じゃない!なぜこんなひどいことができたの?当時の人たちの神経が理解できない。」

この記事を読みながらも、そんな風に思った人が多いかもしれませんね。
私もアウシュヴィッツをまわりながらそう思いました。

そんな中、帰り道にある人が言いました。
「今、私達もドイツ人と同じようなことしてるよね」

ドキッとしました。

たとえばシリアの戦争。
私がアウシュヴィッツを訪れた頃、シリアで戦争が起こっていました。
今、私達が生きてるこの社会の一角で戦争が起きてる。
毎日理不尽に命が奪われてる。それは知ってる。
けれど、まるで自分とはなんの関係もないかのように、普通に笑って日々を過ごせてしまっている私。遠い世界の向こう側で起きてる感覚。
だからそこまで関心もなければ口もはさむつもりもない。はさんだところで自分がどうこうできる問題でもない。 

当時のドイツや他の国の人も、こんな感覚だったのかもしれません。 

私たちの無意識の行動が、実は冷酷無慈悲な行動になっていたりするんです。私はこの時、すごく自分が嫌になったし、自分が恐ろしく感じました。 

「なんて酷いことだ」「かわいそう…」「悲しい歴史だね」
そう思うことは誰にでもできます。
この歴史が深く心に刺さって涙を流したとしても、それだけでは世界に対して何も生みだせないのです。 

ニュースを見ていますか。世界情勢、政治を知っていますか。
今の日本に、世界に対し「こうすべきなんじゃないか」という意見はありますか。

「涙を流すより、考えてほしい」


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帰り際、シンとしたアウシュヴィッツの背後にあまりに大きな夕日を見ました。
アウシュヴィッツに収容されていた人たちは、同じようにこの夕日をみて、一体何を思ったんだろう。この情景を見たときの気持ちは二度と忘れられません。


最後に、ホロコーストについてもっと知りたいという方のために、いくつかリンクを置いておきますね。
よくわかるホロコースト
アウシュビッツ強制収容所について
地球上最大の惨劇...アウシュビッツ強制収容所
生還者が語る忘れることのできない過去
生還者による質疑応答


今回は以上です。ではまた。

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