蝦名芳弘を探して 第二回
岩堀喜之助は「平凡」を創刊した際、大政翼賛会で知り合った元電通マンの清水達夫に内容のすべてを任せた。朴訥なユートピア主義者の岩堀ではなく、日本橋生まれの江戸っ子で欧米好きな清水こそマガジンハウスの創業者と見なす考え方が現在では主流となっている。事実「平凡パンチ」も「アンアン」もコンセプトを考えたのは清水なのである。しかし1985年に刊行された清水の自叙伝「二人で一人の物語 マガジンハウスの雑誌づくり」を読むと、清水が岩堀なくして自分は存在しえなかったと考えていたことがわかる