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蝦名芳弘を探して 第五回

 椎根和は蝦名芳弘を相当憎んでいたであろう(おそらく平凡出版内では二番目に)人物である。編集者としての彼のキャリアは申し分がない。1967年に平凡出版に入社すると「平凡パンチ」に配属。同時期に入社した石川次郎とともに木滑良久編集長時代の「パンチ」の隆盛に寄与している。その後「anan」を経て退社。一旦「日刊ゲンダイ」に移るも、「ポパイ」創刊とともに復帰。編集長も務めた。その後も「Hanako」と「Relax」の創刊編集長を務めている。まあ、レジェンドといって言い。
 しかしそんな彼が、キャリアの中で何度も交錯したはずの蝦名芳弘を著書の中で実名で挙げたことは殆どないのだ。やむをえず触れざるを得ない時も「あの人」呼ばわりしている。ヴォルデモート卿か。おっちょこちょいな塩澤幸登がうっかり蝦名の功績も書いてしまっているのに対して、その無視ぶりは徹底している。まるで蝦名を歴史から消し去りたいかのようだ。ふたりの間で一体何が起きたのだろうか。それはいずれ書いていきたい。
さて「平凡パンチの三島由紀夫」は、蝦名の実名が出てくる椎根唯一の著書である。彼が「パンチ」の特集班に配属された際に直属の上司だったので避けようがなかったのだろう。といっても、具体的なやりとりとかは一切書かれていないのが残念だ。
 とはいえ本書は、椎根の本の中では圧倒的に面白い。「パンチ」の三島担当(といっても連載小説の執筆は依頼せず、三島の自衛隊体験入隊や楯の会結成などを面白おかしく取り上げる係)として過ごした約3年間があまりに濃厚すぎるからだ。三島の媒酌で結婚式を挙げたり、同じ剣道教室に通ったりと、当時の編集者のエクストリームさ加減がヤバい。何しろ三島自決の翌日に同僚から「お前、てっきり一緒に市谷に突入したと思っていたよ」と言われるほどなのだ。
 椎根の文章には、急に天下国家を語りだす良くない癖があるのだが、三島はそのへん込みで彼のことを気に入っていたのだろう。三島と椎根が「アンアン」の編集室で楯の会のシングルを聴いていると、ヒッピーファッションの宇野亜喜良と松田光弘と今野雄二が乱入してきて、三島の顔が蒼ざめるというエピソードが最高だ。

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