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蝦名芳弘を探して 第三回

 マガジンハウス(元凡人社、平凡出版)について書かれた本を複数書いている人に、椎根和と塩澤幸登がいる。二人とも木滑ー石川ラインに属していた元社員の編集者だ。そのため客観的記述の中に唐突に自分の見解を混ぜ込んでいるため、読む際は注意が必要である。
 その塩澤が書いた『「平凡」物語』は、彼の一連の書物の中で最も時代が遡っているもの。基本的には「マガジンハウスを創った男」と「二人で一人の物語」の二冊についての長い注釈本と言っていい。岩堀喜之助が1945年の夏になぜ「平凡」の立ち上げ資金を用意できたのかについて、公職追放になりそうだった平凡社の下中弥三郎が影から経営しようと資金供与した(だから他人の雑誌に「平凡」と名付けたのだ)、もしくは時事通信時代に知り合った東急グループ総帥、五島慶太の支援があったのでは(晩年の岩堀は、渋谷にオフィスを構えて二代目総帥の五島昇の相談役のようなことをやっていた)といった推理は興味深いものの、いかんせん証拠がないので断定できていない。
 さて、断定できていないといえば、常務の座まで登りつめていた蝦名芳弘が何故マガジンハウスを辞めさせられたかである。それについては印刷紙を勝手に北欧から輸入、飛行機代をガメた(これは塩澤が椎根から聞いた話らしいが、敵派閥の幹部とはいえ故人についてよくもまあ酷いことを言うものである)といった説がある。しかし本書で社員の経費の私物化について、塩澤が会社の伝統であると語った上で、自分の武勇伝めいた話までしているのだ。やはり蝦名は別の理由があったのだが、より不名誉な名目で辞めさせられたのではないだろうか。

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