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■先生は見抜いている

「文学」と「作家」への道(8)
「詩人の独り言」改

◇修業の場「詩作教室」で猛省する

僕が18、19だったら…ポタポタと机の上に涙のしみをつけただろうか。

今月の現代詩実作講座では、過去2年余りのご指導では最も厳しい批評を受けたように思う。

毎回、参加者が自作詩を提出し、それを約2時間かけて先生が講評する――。途中、詩や小説ほか文学全般のことを語るので、20編ほどの提出作品についてずっと話しているわけではない…。

今回僕が提出した詩は、きのうアップした「アクセルいっぱい」。

提出作の中で、最も時間をかけて批評され、以下のような指摘を受けた。

・単純だけど…面白い
先生の問い=これってどういう意味のある詩?
僕の答え=若者の鬱屈です(大学浪人時と、一度退職し就職浪人中―という19歳時と25歳時の経験である…)
・それを(気持ちを)書かなきゃ
・あなたは、(詩は)浮かんだ言葉で何とかなると思っている
・(詩作の際)考えていない。何を感じたのかをどこかで見つめること
・考えなしで書くのは、浮かんだことをポーンッと書くだけ。(読み手は)それはいったい何なんですか――となる。
・北村太郎の詩を書き写せ。一行一行に意思が置いてある
・あなたのは、感情を表現するときに「考え」が見られないのが欠点
・自分のイメージがこれでいいのか、と内省すること
・やはり詩を読んでいない
・表現、詩をもっと学ぶこと
・詩への畏敬、憧れを持つこと。そのためにいい詩をもっと知り、見つめること
・自分の中から生まれるものだけでは面白くない。面白い人が面白いものを書けるが、普通の人がつまらない日常を書いても面白くない、魅力はない。
・そのために人格を磨くこと
・いい詩が書ける人は、いい詩を持っている。その言葉の記憶が原動力になる
・いい詩を知っているという知識がない
・豊かな読書体験、詩の言葉を憶えていること
・詩なんてこんなもんだろう…なんて薄っぺらな考えだ…

前回2月の講座について「文学」と「作家」への道(3)でも、「考えよ」というご指導を受けたのだが、今回は3倍くらいそれを言われた格好である。
さすが、何十年も何万編の素人の詩を読んできただけはある、と思う。
先生は、僕の詩を月に1度読むだけなのに、すべてお見通しという感じだ。僕は、今回の書きだしにあるような感情になったほどである。

もうちょっと考えて書かなきゃ、とは思っているのですよ。
もうちょっと、「それらしく」書かなきゃいけない、とは思っているのですよ。

いろいろ思うところはあるが、詩はもちろん、すべての読書量、読書経験の少なさに負う部分があるのは弁明のしようがない。

勉強しながら、書き続けるだけだ。
来月の講座は予定があって、行けそうもない。しばらく修業、内省しよう。

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