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魔法少女になりたかった、小野町子

斎藤美奈子『紅一点論-アニメ・特撮・伝記のヒロイン像-』に照らすと、「第七官界彷徨」の町子は、魔法少女"志望"だった、ように見える。

・『紅一点論』の概要(「女の子の国」ver.)

おとぎの国のヒロインは、アニメの国から引き継がれた類型的な女性キャラクターである。

  1. 王子様と結婚するお姫様(=魔法少女)

  2. 犠牲を払って戦う少女(=紅の戦士)

  3. 主人公の命をねらう魔女/継母(=悪の女王)

  4. 救済者としての女神/慈母(=聖なる母)

ちなみに、これを現代の職業社会に例えると、下のようになる。

  1. 労働市場からしめだされた働きのない少女(=魔法少女)

  2. 補助労働と性的サービスだけが得意な会社の女(=紅の戦士)

  3. 出世はしたが役に立たない無能な女上司(=悪の女王)

  4. 家庭に生き甲斐をみいだす専業主婦(=聖なる母)

一昔前のOLの記号は、電話番とお茶汲みだったらしい。確かに、構成が女性ばかりの我が部署では、なぜか電話当番が割り当てられている、ことは認めるにしても、
「女は恋愛(痴情)がらみでしか動かない」
「女に仕事を任せてもろくなことがない」と言われると、"現役"の紅の戦士(OL)としては、辛いものがある。

・魔法少女、小野町子 

小野町子は、もともと炊事係(聖なる母予備軍)要員として兄たちの住む家に派遣されてきた。北向きの女中部屋に住む町子に要求されるのは、主に部屋の掃除と朝飯・夕飯作りである。
しかし、実態は兄たちの目論見通りにはいかなかった。町子は所詮「うちの女の子」であり、与えられた職務を何一つ全うできず、いささか頼りない、炊事係としていないよりはマシな存在にすぎない。
しかし、それは町子が明言しているように「表向き」の目的であり、彼女にとって本当の目的は別にあった。

・変身の手段としての「詩」と「名前」

赤いちぢれ毛を持った痩せた少女にすぎない自分を、町子は詩作と新しい名前で覆ってしまおうと考えた。そうすれば、周囲の者は容姿の美醜でなく、書いた詩によって彼女を容認してくれるに違いないからだ。

つまり、町子にとって「詩」と「名前」は、理想の女に変身する手段(=魔法)として機能していたことになる。

ただし問題は、町子がその魔法の存在を知っていこそすれ、それがどんな形のものかを知らず、さらにそれを教えてくれそうな人物も見当たらないことである。

物語の終わり、自分と同じ赤いちぢれ毛を持つ女詩人の存在を知るが、無名、また異国の詩人だったために彼女の名前を知らずじまいになる。同じ理由で、町子は女詩人が書いた詩を読まずに終わる。柳浩六の詩集の中の女詩人は、「こほろぎ嬢」で描かれるふぃおな・まくろうどと同じ、霧に包まれた幻の詩人なのであった。

もし、この異国の女詩人の名前を見つけられていたなら、町子は彼女の著作を探し出し、字引きを使い倒してでも彼女の詩を読んだであろう。そしてその後には、彼女の詩や生き方そのものを模倣したかもしれない。

・「恋人なるもの」三五郎

町子は炊事係(聖なる母予備軍)から魔法少女への転身願望を表明する。音楽予備校の浪人生という、町子と同じように、宙ぶらりんの立場で音楽学校への入学が自分を変身させると信じている三五郎に対してである。

そもそも、三五郎が町子を東京に呼び寄せたのは、自分に押し付けられた炊事係という役割を、町子に肩代わりさせるためであった。町子が上京する前の「小野一家」は、三五郎に女性役割を当てた疑似家族であり、一助と二助は三五郎が音楽予備校に落第した方が、むしろ都合が良かったのかもしれない。二人に妨げられて音程練習をする時間がないという三五郎の嘆きも、あながち誇張ではないのかもしれない。

とすると、三五郎は町子にとって、兄/異性愛の対象という兼役のほか、男/女の二項対立も同居していたことになる。だからこそ、町子は"女としての"三五郎に同情・共感の情を抱くのだと考えれば、腑に落ちることも多い。

・埃を被った聖なる母「祖母」

小野一家の祖母は保守的な考えの持ち主であり、びなんかずらや桑白皮を煎じた薬が町子のちぢれ毛を直すものだと固く信じている。孫たちのもとに栗を届けたりする援助者としての役割を果たしてはいるものの、その実、蜜柑の木に姿を変えたりしながら、町子が良妻賢母の道から外れないようにする監視役でもある。この祖母は魔法使いは魔法使いでも、埃を被った古くさい魔法使いなのである。
町子は祖母の面影に色濃く縁取られた、内省的な少女であり、郷里に残してきた祖母の言いつけを、完全に無視することができない。
祖母から与えられた良妻賢母への道、ミッションである黒髪ストレートも「くびまき」も、幸か不幸か町子の従兄・三五郎によってことごとく阻まれてしまう(三五郎はおそらく、魔法少女の住む「女の子の国」ではタキシード仮面役を割り当てられているに違いない)。

魔法少女にもなれず、聖なる母にもなれない町子は、どうするか。彷徨するのである。

・町子の彷徨-与えられた役割の外へ-

しかし実際、三五郎の邪魔が入らなかったとしても、町子がおとなしく聖なる母への道を辿っていたとも考えにくい。(いわんや「悪の女王」をや、である。第七において、経済的に自立していることが条件である悪の女王に匹敵するのは唯一、宗教女学校の先生である)
柳浩六から買ってもらった「くびまき」を壁にかけているところを見ると、おそらく町子は、聖なる母の役割を負うことを留保(あるいは忌避)している。

魔法(=第七官)の存在を知っている以上、それを見つけるまで彷徨を選択するのが、町子のような少女だろうと思う。
煩悶する少女も、時が経てば否が応でも歳はとる。町子がどんな運命を辿り、どんな大人になったのかについては、まだまだ思索を続けていく必要がある。



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