なんの思い入れも 理想も希望もなく入った 「弓道部」 それでも毎日が楽しくて キャップやのび太君と毎日のように 練習前のサッカー 練習中の麻雀 最後の10分だけ弓道。 ほぼ麻雀。 本当にふざけた弓道部。 顧問だけが弓を引き ぼく達はひたすら麻雀に明け暮れた。 バカ笑いした帰り道。 ジャスコのフードコート。 マクドにスガキヤ。 今、振り返って思うでもなく 当時の僕も確実に思っていた あぁ。弓道部に入って良かった。 と。 今、振り返ってもぼくは恵まれてい
ぼくは生まれて初めて 親父に反抗した。 そこまで強い意志があって 行動したわけではないけど。 裏切りとも取れる反抗。 弓道部に入ったことは オカンに伝える。 顔面蒼白でうろたえるオカン。 弓こそ学校の貸し出しであったが 袴、カケ、矢など先行投資も必要で。 親父に言えるはずもなくオカンに伝える。 オカンはどんな気持ちで親父に伝えていたのか。 今となっては細かい思い出はないが、旅費や試合参加費など必要経費の申請はすべてオカンに伝えていた。 弓道部に入って 今思っ
難病の発覚から遡る事4年。 あの頃のぼくは親父と1年以上会話がなかった。 ぼくの兄貴は地元の中学校でバレー部に 所属し強豪と言われるチームだった。 小さな時から兄貴に憧れ 兄貴の真似ばかり。 スイミング サッカー 野球 卵ご飯。 そしてバレーも。 兄貴の後を追うばかり。 そして気付く。 ぼくはバレーが好きじゃない。 けどぼくの評価はいつも兄貴の弟。 ◯◯先輩の弟。 中学3年の頃。 兄貴の高校のバレー部監督が 家に勧誘に来る。 ぼくのバレーもたいして見たことない
今まで気にしたこともなかった つま先立ちのやり方。 どこに力を入れて どこに意識を持っていくのか。 考えたこともなかった。 しかし、現実にぼくは今つま先立ちが出来ない。 すごく不思議な感覚。 自分の体が自分の体でなくなったような。 これがぼくの最初の自覚症状だ。 市民病院に受診の時。 相変わらず採血をして CPKは万単位。 紹介された著名な医師とは 女医であり、物腰柔らかく好印象。 その女医の先生はたくさんの経験と知識の中から ぼくに診断を下す。 "遠位肢体型
この日。 ぼくは医師から衝撃的な事実を告げられる。 先日、採血をしただけの総合病院に、再診のためにまたオカンと姉貴と路線バスに乗り込む。 田舎から出てきてくれるオカンの負担を考えると申し訳なさからあまり顔を見れない。 それでも、今日で終わりだろうとどこか軽く考えていた。 路線バスはぼくに何の楽しみも与えないままに目的地に到着する。 きっと大丈夫。 根拠のない自信がずっと自分を鼓舞する。 診察室に案内され検査結果を聞く。 CPKは変わらずに万単位だ。 あぁ。 気
ある程度知っているつもりの僕だったが CPKが2万オーバーという結果に 頭が追いつかない。 ん?だから結局何?! その程度しか思考回路が働かない。 いつもそんなもんだ。 これまでも色んな事があったけど 今までなんとなくクリアして 何不自由なくやってきた。 今回も、きっと明日には忘れているような まぁ、そんなもんだろ。 だけど診療所の医者が困った顔で続ける。 「この数値は明らかにおかしい。しかし何が原因かわからない。専門の病院で精密検査を受けて欲しい。」 寮生活の
20歳。 専門学校2年生の夏。 大好きなサッカーを友人と楽しむ。 照りつける陽射しは容赦なく 次の日ぼくは耐えられる程度の頭痛と高熱にうなされる。 体温が40℃を超えた時に 近所の診療所に駆け込む。 下された病名は"熱中症"。 念のため採血をし、解熱鎮痛剤を処方され帰宅。 1週間後の再診となった。 処方された薬を飲み、1〜2日もすればすっかり軽快した。 明日からは学校に行けそうだ、そんな事を友人に電話しているとキャッチが入る。 知らない番号。 携帯ではなく、この