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やさしさの詩 4/?

今まで気にしたこともなかった
つま先立ちのやり方。

どこに力を入れて
どこに意識を持っていくのか。

考えたこともなかった。
しかし、現実にぼくは今つま先立ちが出来ない。

すごく不思議な感覚。

自分の体が自分の体でなくなったような。
これがぼくの最初の自覚症状だ。

市民病院に受診の時。
相変わらず採血をして
CPKは万単位。

紹介された著名な医師とは
女医であり、物腰柔らかく好印象。

その女医の先生はたくさんの経験と知識の中から
ぼくに診断を下す。

"遠位肢体型筋ジストロフィー"

筋ジストロフィーは聞いたことはあるけど
大変な難病とか?!
まーよくわからんが。。。

それが、ぼく?

走れるけど?飛べるけど?

筋ジストロフィーについて調べてみた。
健康な筋肉は破壊と再生を繰り返す。
再生のたびに強くなる。
だから皆んな筋トレをする。
疲れさせて破壊して再生させて
強くなるから。

しかし、ぼくは破壊されたまま
再生しない病気とか。

ぼくには返ってこない。
使ったから使ったまま。

調べるとたくさんの情報を得る。

足も手も弱る。
いつか車椅子になる。
ほんで、呼吸するのも筋肉。
心臓を動かすのも筋肉。

それが無くなる。

え?
障害者?
ってか死ぬん?

オカンに電話で伝える。

泣きじゃくるオカン。
自分を責めるオカン。
自分のせいだと謝るオカン。

ぼくはオカンの話しが落ち着いた後
気の利いたひと言も返せず
その電話を切る。

その日から学校には行けない。
行く必要がない。
だって死ぬもん。

頑張って勉強して資格取って

それがなんなん?
頑張っても死ぬんだもん。

毎日悪いイメージが頭をくり返しめぐり

もう生きてる意味ないやん。
毎晩泣きながら自問自答する。

毎日毎日泣きながら
授業をサボる。
布団に包まる。

先生は寮まで呼びに来る。
ドアを強くノックする。

しかし応えられない。
行く意味がないから。

だって頑張っても死ぬもん。

2年生の夏だった。
それから学校には行けず
授業日数が足りない。

"このままなら留年するぞ!!"

と先生が寮のドアを叩く。
それすらどうでもいい。。

もう涙も枯れた。

高い学費を払ってくれている
親の顔すら頭に出てこなかった。

常に真っ暗な世界を
闇雲にもがき苦しんでいた。

留年が確定した次の日に
彼女と久しぶりに連絡を取る。

"もう生きていける自信がない"

もう、これ以上ない絶望の先に
特に答えを求めない適当な発言を
彼女にぶつける。
大した返事も求めていない。

かわいそうに、とでも言って貰いたかったのか。
一緒に泣いて欲しかったのか。

もはやよくわからないが、その時彼女は笑いながら確かにこう言った。

"ま、ええやん!死ぬまで楽しく生きよ!"

人それぞれ受け取り方はあるけども。
僕の中でこのひと言は

耐え難い"自分ごと"から

どこか客観的にその主人公を見守る
"他人ごと"に変わったのかもしれない。

今となればそのひと言は
彼女がぼくと同じように夜を寝れずに
悩み苦しみ

そしてぼくを励ますために考え抜いた
優しさのひと言だったのかもしれない。

"そんな自分も楽しめ!"

そんな彼女のエールを受けて
何日振りかに笑顔になったぼくは
爆笑しながら彼女に言い放つ。

"なんじゃそりゃ"

続く。

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