見出し画像

私と素数と生と死と⑤(ADHD障害を持つ私の自分探しの旅)

そんな父と連れ添った母もまた、私が求める愛情を慮れる人ではなかった。 地主の娘としてのお嬢様な母親は変な所にプライドが高く、また家長である父には表立っては逆らえない人である。 かと言って従順に従っていたわけではない。 父がいないところでは私や姉に父の不満をぶちまけてストレスを発散させており、それを聞かされる立場の私達姉妹はそれぞれ思うことがありそれに対して行動を起こすと、何故か言い出しっぺの母から嗜められると言う、私は常に母に対してもどかしい思いを私は抱いていた。 姉は姉でその不満や食い違いなどに自分が関わらないほうが身のためだと言う事をいち早く察知し、どっちの言い分も馬耳東風、暖簾に腕押し、右から左へ聞き流す術を会得出来た賢い生き方を見極められたタイプだった。 しかし、悲しいかな、私はADHDの特徴の一つとして、いらんことでもつい口が先走ってしまい後先考えずに相手に良いことであれ悪いことであれ、まずは相手に言いたいことを言ってしまう(良いのか悪いのか)にである。 「そんな不平不満を持っているなら直接父に直談判すればいいじゃないか!!!」とカッカッと燃え盛る自分なりの正義感を振りかざし、無謀にも父に文句を言わないと気がすまない性格であり、私の特性でもある。 アスペルガー症候群とADHDの不毛な戦いの勃発。 そもそも、喧嘩の原因が母からの不平不満であるにもかかわらず、母はオタオタしながら、どこまで行っても結局平行線をたどり交わることの無い私と父の会話に板挟みになってどうすることも出来なくなると最後は母は私に「お父さんに逆らっては駄目でしょ?」と言う一言で争いごとを収束させようとするので私は常に不完全燃焼な毎日を送っていた。 ならば、私達に愚痴を言わないで欲しい‥率直な私の気持ちである。 しかし、山奥から見ず知らずの土地に嫁いで友人もおらず、ましてや社交性が皆無な母には私達姉妹しか愚痴を言える相手がいなかったのであろう。 どんなに正攻法で父を説得しても父には父の考えがあり、父は共感する能力が著しくかけている(と思われる)のでお互いに妥協点を見いだせず、年功序列、ひいては親と子の立場という理由だけで黒い物も親が白いと言えばも白いのだと、言われれば引き下がるしかなかった子供時代。 やがては私も大人になり、自分でお金を稼いで社会人として生活していても親は親、子は子。 それだけを盾に人の話を聞く耳を持たない父と、それには歯向かう事は出来ず陰でコソコソと娘達にしか云うすべしか知らない母。 お互いに親離れ子離れが出来ていない関係のまま辛い生き方をしているのかもしれない。 ここで、皆さんの感想を聞きたい出来事がある。 以前、何かのテレビで日本では治療が出来ない病にかかっている子供のために親が必死に義援金を集めるというニュースを報道していた。駅の前で仕事前の父親がビラ配りをし必死に大勢の方に頭を下げているのである。 なんの気無しに、私は父に問うた。 「もし仮に私が同じような病にかかったらお父さんはどうするの?」と。 返ってきた答えは「諦める」だった。 父の言い分いわく、「我が家にはそんな何千万もする治療を受けさせるお金がないから諦める」のだそうだ。 仮に、仮にもし、それが本音であったとしても目の前にいる子供に向かって諦めると言ってしまえるものだろうか? 親が子の為に大勢の方に頭を下げてお金をかき集めてなんとしてでも助け出す。 そう、期待を持つことは許されないのだろうか? 私は父にとってはこの土地を売ってまで助け出すだけの価値の無い子供だったのだろうか? じゃあ、何故に私に命を与えたのだろうか? 親から要らないと言われたのと同じ様な感覚に陥り 私の心に一生消えない深い深い、今までよりも遥かに大きい傷と暗闇に身を投じた瞬間であった。 そして、それと同じ様な体験を母からも味わう事になる。 続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?