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[005]報告


あっという間に、年度をまたいでしまった。

あっという間の、平成31年度だったが、まだ令和になって1年も経ってないと思うと、それはそれで長いなと思う。

オリンピックイヤーになると毎度のことながらうるう日をもっとちゃんと実感したいものだな…なんてことを感じたりする。
そもそも、地球が太陽のまわりを一周するのにかかる時間が365日よりちょっとだけ多くて、その帳尻を合わせるために「2月29日」をかませたために、4年に一度登場してくる日、それがうるう日である。

ちなみに、自分の学年はうるう日を含む学年で、小学校時代の友人に1人、あと、4つ下の友人に1人の、計2人ほど2月29日生まれの人がいる。
だからうるう年になると、誕生日が4年も来ない彼女らの気持ちを考えてしまうことがある。ちょっとロマンだけど、ちょっとさみしくもあるのだろうか。


杞憂

去る2月に「久しぶりに試験を受けた」という記事をあげた。
久しぶりの「試験」に、どうにも自信がなく、弱々しい感じで“戦地からのリポート”をお届けした憶えがあるが、結論、戦況に反して杞憂だったことをまずは申し添えておきたい。


見事(?)に、合格!!
となったわけだが、親族や身内、そして職場の人など周囲の方に合格のしらせを伝えると、みな一様に喜んでくれた。

最後は自分自身の想いと決断によって受験までもっていったが、とりわけ、最初のきっかけから最後の最後まで、「お前はこの道がイイ!」とその道を強く強く勧めてくれた職場の上司が一番喜んでいた。
(お祝いだァ!といって祝宴まで上げてくださったのは正直嬉しかった)


数年の社会人生活を経て、遅まきながら(時代背景としては遅くはないのかもしれないが、)大学院へ入学することになった。
一度なった”学生”にもう一度なるにあたり、ここ最近に至っては大学に入った頃のことが思い出されるようになった。

教育学部に入学した私は、いわゆるゼロ免(=教員免許などを取得しない)で4年間を駆け抜け、卒業した。
もともと教師になろうなんて思っていなかったし、通っていた大学の教育学部も教員養成を前面に出した学部ではなかった。
なんなら自分自身、教育学部志望でもなんでもなかった。

受験時はとにかく、各大学の文学部ばかりを模試の志望校欄にマークし、チャレンジしていた。そして軒並み、D判定やE判定をくらっていた。
noteに出会う伏線はそこだったのかぁ!……なんていう後付けはいくらもできるのだが、文学部志望の根本にあったのは”物書きになりたい!”といったきわめて短絡的で、いかにも安い想いだった。
名作をほとんど読まずしてそんなことをのたまわっているくらいだから、この頃から浅薄が過ぎていた。読んだことがあるのは漱石の『こころ』くらいというのだから、まさに笑止なんとやらである。



物書きではない道へ

結果から言えば、教育学部に入ったことは大正解だった。

出会いとか、縁とか、仲間とか、意外とそういう言葉で4年間を総括できてしまえるのだが、そういう言葉で総括できるのは、ああでもないこうでもないとそれなりに4年間を模索してみた結果、成果だと、一方で認めることにしている。
(なにを血迷ったか、理工・建築系の授業を受けに行ったりしたこともあった)


それなりにデザインを試みた末に得た「正解」とも言えるのかもしれないが、それ以上の「大正解」と感じる一番の理由。
それは、「人の原点に触れられたこと」だったように思う。


例えば、経済系の学部に行って経済とは何たるかを学び、人一倍経済についての専門知識を蓄積、習得していたかもしれない。
もしかしたら公認会計士とかになって今よりもっと、もーっと稼いでいたかもしれない。
なんにせよ、いまのこの職場に流れ着いていた可能性は格段に下がる。


例えば、国際系の学部に行って留学なんかしてしまったら、それまた全く異なるキャリアがあったと想像できる。
もしかしたら今頃は、持ち前の英語とかを生かしてインドネシアとかに赴任していたかもしれない。
なんにせよ、いまのこの職場に流れ着いていた可能性は、やっぱり格段に下がる。


タラレバの話として、もし「別ルート」に進んでいたらもっと何か違う武器や技術を得られたかもしれなかった、というのは誰もが一度は思う。
しかし、この「(自称)大正解ルート」は、他の学部の起点にもなっている「教育」という部分に深く関われた道だったこと、そしてここでもらったモノは何にも替え難いものと感じられた道だった。

だから、いまいる職場、いま就いている職業……そんなほんの一部分をつかまえてイイ、ワルイといった断定自体がまさにナンセンスで、意味のないことのように思う。
そう思うが、人生のターニングポイントで突きつけられる”設問”に、”複数選択可”はない
(だから、タラレバの話が出てくるのかもしれません。)

経済学部も受かったからダブルで履修しまーす、なんてことはできない。
できないとしたら、自分が選んだ道で、とりあえず、なんとなく、試行錯誤しながら、半身になりながらでもやってみるしかないのだと最近ようやっと自覚できるようになった
(私の場合は、流れ着いた道、と言った方が正確でした)


合格後の最終工程へ

私の場合は、”下味”の段階で「教育」に深く触れられたこと、つまり「人の原点に触れられたこと」が大きかった。

そしていま、その上でどう”味付け”していくかを考えていかなければならない場所に立つことができたと改めて実感した。
今回の合格通知はそんな意味もあった。


飛び込む世界は「公共政策」。

やりたいことがたくさんある自分(=決めきれない自分)にはうってつけの世界だが、法律、経済、経営、建築、人文社会……多岐にわたる学術領域が激しくぶつかり合う場でもある。
そして、それをデザイン、コーディネートして(なんて言い方はカッコイイがやることは地道でカッチリしていて大変なのかなと思う)、まさに潤滑油に似た役割や使命について学ぶ。

「教育」を通して得た知識、経験、観念、常識……それを振りかざした瞬間ボコボコぶん殴られるのは目に見えており、どうやって折り合いをつけていくか、そういったことまで考えないと血肉とできない、そんな複雑な分野だろう。


こちらの常識が、むこうの非常識―。
それが当たり前の世界に飛び込んで、うまくスクラップアンドビルドしていきたい。

「公共政策」を選んだ経緯や理由については後記に寄せるとして、コロナで遅れそうな春をいましばし待ちたいところである。




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