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[035]マイアミでサヨナラヒットを打つための5年間

すごいですね。

14年前の忘れ物を取りに、侍ジャパンは最後の舞台に駒を進めました。

この2週間、新たな舞台へと駆け上がっていくサムライの戦う姿を見ていて、武者震いかな?と思う震えを感じることがありました。


そんな球春を傍目に、自身は満を持して迎える春になります。

新しい舞台は、またもや周りの人たちが用意してくれました。

どうやら新たな幕が上がります。(らしいです)(まだ信じられない)


思えばこの5年間、節目節目で針路が変わっていきました。

2018年1月、「春から一緒にこないか?」と言われ、北海道行きをとりあえず即決した新橋の夜。

修士課程を奨められても受けず、悔いのような判然としない気持ちの前に、飛び込んできた追加募集のお知らせ。

コロナ禍に見舞われ、九州で余った食材を北海道の飲食店に配り歩いた秋。

学生たちとつくり上げた、たった7分の短編映画。

たいしたことではないですが、自分にとっては貴重で大切なマイルストーン、ターニングポイントでした。



先日、職場でこんなことを言われました。

「奨めたのはオレだけど、選んだのはあなただから」

「ここだ。ここで、いま、決めないと。」

マイアミの準決勝まで苦しみを帯同させた三冠王と同じ。

タイミングや縁、これを逃すと、もう次の“その時”はやってこない。

いま、ここで決めないといけない。

いま、ここで大谷と周東を帰すサヨナラ打を打たなくてはいけない。

「今をがんばる!」なんてこと、毎日思ってやってはいませんが、それなりに一生懸命にやっていたら、無意識にこういうことを思えるようになって気づけば身体が動くようになっていました。

こんなことで三冠王・村上宗隆を引き合いに出すとヤクルトファンから怒られそうですが、モチベーションというか、精神というか、気持ちというか、、、同じような仕組みで人間はちゃんと動かされるのだなと、最近は信じてやみません。

いま調べてみたら、自分の分水嶺となった2018年は、奇しくも村上宗隆が東京ヤクルトスワローズに、プロ野球界に踏み出した年でした。

村上のこの5年間は、スワローズを優勝に導くための5年間、三冠王を取るための5年間だったかと思いきや、実は今日マイアミの準決勝でサヨナラヒットを放つための5年間だったのかもしれません。


さて、職場は変わりませんが、4月から転職することとなりました。

そう考えると自分の5年間は、この転職のための5年間だったように思います。

「呼ばれた」なんてスピリチュアルな物言いはしたくないですが、いまはそれくらい天職だと思って、スタートラインに立っています。

この5年間は、愛おしく、怒りっぽく、愉しかった5年間でした。
関わってくれた人たちに感謝しなければなりません。
ありがとうございました。

新しい舞台でまた一から積み上げていくことにしましょう。

三冠王のタイトルは獲れませんでしたが、修士の学位は獲れたので、学生たちと一緒に人生について考えていきたいと思います。

ガンバレ、侍ジャパン!

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