見出し画像

キリスト教は非リア充にとっての福音である。

敬虔でもなく、薄っぺらい信仰の持ち主である私にも、これだけは確信を持って言えることがある。キリスト教は、非リア充(彼氏・彼女がいる、交友関係が広い、仕事やお金があるなど、リアルな実生活が充実した「リア充」の対義語)にとっての福音(ふくいん)である。

たまたま性格が内気でコミュ障で、趣味にも偏りがあり、オタク的傾向をもつだけで「陰キャ」などとカテゴライズされ、スクールカーストの最底辺に位置付けられてしまう非リアにとって、「そのままの自分が(ネ申に)愛されている」と全肯定するキリスト教は、まさに文字通りの「福音(よき知らせ)」に他ならない。

例えば聖書にはこんな記述がある。

「悲しむ人々は、幸いである」
「迫害される人々は、幸いである」
「正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」
「金持ちが天の国に入るのは難しい」
「神は我々と共におられる」(インマヌエル)

いずれも非リアにとっては、次のようにも読める箇所だ。

「非リア充は、幸いである」
「迫害されるヲタは、幸いである」
「リア充を招くためではなく、廃人を救うためである」
「リア充が天国に入るのは難しい」
「ぼっちなんかじゃない!」

なんという恵み、なんと偉大なる憐れみだろうか。たとえ世間が我々を白眼視し、どんなに迫害しようとも、神は決して見捨てないのだ。その意味で、非リア充こそ聖書を読むべきである(いや、リア充にも読んでほしいが…)。聖書に詳しい"中二病患者"が多いのはそのためかもしれない。

ちなみに新約聖書に四つある「福音書」は、ざっくり言うとこれ。

画像1

要するにガリラヤ地方で繰り広げられた「イエスぱねえマジ神すぎてワロタww」な大冒険を、見聞きした弟子たちがまとめてみた書物である。四つもあるのは二次創作だから。書き手によって強調点やアレンジの手法が違うのは同人誌と同じ。みんな、好みが違ってみんないい。当然、推しポイントも四者四様である。

…的な内容を大学生向けにした青山学院大学チャペルウィーク@青山キャンパスでの講話(2017年5月)。「イエスぱねえ」の翌年ということもあり、ありがたいことに600人収容のガウチャーホールがほぼ満員だった。

画像2

この講話が3年後、東八幡キリスト教会での礼拝メッセージ「推しが尊い~キリストオタクの正しい愛し方」として結実することになる。

Twitterのフォロワー7,000突破を記念する資料公開の第2弾として、以下にアップする(A4判・横・スライド21枚分)。

ここから先は

0字 / 1ファイル

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?