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#007 居場所は、居てもいい場所


「shinko|新子」さんの作品

つい先日、このを買いました。

名古屋市「金山総合かなやまそうごう駅」南口の駅前広場で、
地ベタに座って販売されている方から購入こうにゅうしました。
一目惚ひとめぼれの、衝動買しょうどうがいです。
販売されていた方は、アーティストの「shinko|新子」さん。
見た目のご様子から、
なにがしかの事情を抱えていらっしゃることは、すぐにわかりました。
一般企業で働けるような感じではありません。
(詳細はいていません。けるはずありません)
ちなみにこのは現在、リビングに飾ってあって、
ときおりながめては、やされています。
ワンコが笑っているように見えるときもあり、
何かをうったえかけているように見えるときもあります。
そのときどきの、こちらの気分で変化します。
しかし、こののワンコは、いつも変わらず、いつも必ず、
その視線の先に「愛情」もしくは「信頼」を向けているのです。
いまのわたしにとって、とても大事なになっています。

もうひとつエピソードをお話しします。
20数年前、風◯店を利用したときのことです。
わたしに付いてくれたは、右足を引きずっていました。
彼女に「やっぱり気になりますよね?」とたずねられたので、
わたしは「どうされたんですか?」と逆にき返しました。
すると彼女は、とても話し慣れている様子で、
子どもの頃から右半身が不自由だったことを話してくれました。
そして入店までの経緯いきさつも話してくれました。
「普通の会社も、普通のバイトも、あたし落とされちゃうんです」
「いつまでも実家にいられないし」
「こんな身体からだでも、このお店だけはやとってくれて」
「ようやく自立できるようになったんです」
…… 彼女のこの話ですが、
わたしにとって一生絶対に忘れちゃいけない話のひとつです。

はい。
2つのエピソードを紹介しました。
それぞれの話に、おひとかたずつ、女性が登場します。
おふたりとも、生きづらいこの世の中にあって、
それぞれが日本の片隅かたすみで、
生きるために自分と向き合い、覚悟をもって、
誰にも迷惑かけずに社会生活を送っていらっしゃいます。

先月、
車椅子ユーザーの女性が映画館に対して介助かいじょを要求し、拒否きょひされ、
その鬱憤うっぷんをSNSに投稿したところ、炎上しました。
確かにその女性は、映画館のスタッフに迷惑をかけていました。

でもね。
直接迷惑かけられてもいないひとたちが、
どうしてその女性のアカウントに直接攻撃しに行くのかね。
その気持ちもわからないではないけれど、ホントけしからん。
家のポストに荒々しい言葉の書かれたビラが入ってたら、イヤじゃん。
自分がされてイヤなことをどうしてするのかね。ホントけしからん。
文句があっても、意見があっても、直接攻撃しに行かず、
自分のアカウント内でブツブツつぶやいていればいいのに。
海辺や河原に行って「バカヤロー」と叫べばいいのに。
もしくは家ん中でひとりののしればいいのに。

わたし最近、居場所について、思うことがあります。

ひとそれぞれですが、
もちろん自室の空間は「居場所」のひとつで、
学校や部活も、職場や趣味サークルなどのコミュニティも、
自分が属している環境ひとつひとつが「居場所」。
SNSなどのアカウントも「居場所」のひとつで、
そしてそれらの「居場所」が、多ければ多いほどいいんじゃないか?
多ければ多いほど、生きやすくなるんじゃないか?
最近は、そのように思っています。

X(旧 Twitter)も、この[note]もそうですが、
本名じゃないアカウント名で登録できるじゃないですか。
つまりアバターをたくさん作ることだって可能なんですよね。
アカウント登録時は、ひとりぼっちだったアバターも、
フォローしたり、フォローされたりすることで、
自分を中心とした「まぁるい円」ができていく。(あくまでイメージ)
その「まぁるい円」って、新しくできた「居場所」だと思うんですよ。

リアルの世界で、
自室の空間以外に「居場所」がなくなってしまったひとは、
SNSなどでアバター作って、ひとつじゃなく複数でも良くて、
その数だけ「まぁるい円 = 居場所」を増やしていく。
「居場所」って、居てもいい場所なので、
ときには逃げ場所にも、隠れ場所にもなる訳ですよ。
その場所は、生きていくための「居場所」だと、わたしは思うのです。

最初に紹介したふたりの女性は、
それぞれがリアルの世界で「居場所」を作った方です。
誰もができることではありません。
リスクを承知で、覚悟を決めて、自らをさらして、
生きていくための「居場所」を作った訳ですから。

■見た目の様子で「変なひと」だとおそれて距離をとる。
 おそらく危険を回避かいひする本能的な行動なんだと思います。
■性産業で働くひとに偏見へんけんを持つ。
 おそらく本能的な嫌悪由来けんおゆらいの何かが関係しているのでしょう。

しかし彼女たちは誰にも迷惑かけず、
日本の片隅かたすみで、自分の「居場所」で、生きています。

リアルの世界のひとたちは、
彼女たちに本能的な恐怖や嫌悪をいだいたとしても、
彼女たちに直接迷惑をかけられてはいないので、素通りします。
3分も経たないうちに忘れてしまいます。
ましてや直接攻撃なんてしません。

ところがSNSでは、
そのひとのアカウントに直接攻撃しに行くひとたちが多くいます。
そのひとの「居場所」にいきなり土足どそくで上がって、
寄ってたかって罵詈雑言ばりぞうごんですよ。
自分んに知らないやからどもが突撃してきて、
暴れられたら、イヤじゃん。てか恐怖じゃん。
そんなやからどもに、マジで腹立ちます。
バチ当たれ! スマホ壊れろ! 巨大なニキビできろ! って思います。
文句があっても、意見があっても、直接攻撃しに行かず、
自分のアカウント内でブツブツつぶやいていればいいのに。
海辺や河原に行って「バカヤロー」と叫べばいいのに。
もしくは家ん中でひとりののしればいいのに。
マジでそう思います。
スマホ壊れろ! 巨大なニキビできろ! 他にもいろいろバチ当たれ!


ちな、明日のわたしは、
高校時代の友人たちと過ごす(年1回の)み会です。
わたしにとって、このみ会も「居場所」のひとつです。

~ タイトル画像のアリさんは「アリとキリギリス」からやってきました ~



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