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8歳が学んだ平和

小学2年生の時、戦争について書いた作文が賞に選ばれて、賞状と賞品をもらった。

内容はすっかり忘れてしまったが「今もし戦争になったらお父さんも戦争に行っちゃうだろうし、悲しい」と書いた事だけは、しっかり記憶に残っている。

賞品は映画鑑賞のご招待だった。
「広島のピカ」
「対馬丸ーさよなら沖縄ー」
の2本立て。

普段、母とふたりで出かけることがほとんどなかったので、私はウキウキだった。
映画が終わったらレストランに行くことにもなっていて、かなりルンルンだった。

広島のピカは、原爆のドキュメンタリー映画だ。
次々と映し出される被爆した方の姿や広島の街は、8歳の私にとってショックの連続だった。
怖くて、怖くてずっと母の膝に顔を埋めたまま、殆ど映画を観ることが出来なかった。

多分、大人になった今でも直視できないと思う。
それ程に原爆は悲惨でむごかった。

対馬丸ーさよなら沖縄ーはアニメ映画だ。
序盤では子ども達が戦争の最中でも、元気に生きる姿が描かれていたが船が沈没してからは、やはり悲惨で悲しいものだった。

どうにか生き残れたのに、漂流中にフカの餌食になってしまったり、暑さで衰弱し息絶える人もいた。

自分だったら生き残れたのかな、泳ぎが苦手だからきっと無理だったなと小2なりに思いを巡らせていた。

映画の終わり、犠牲になった一人一人の名前がスクリーンに流れた。
こんなにたくさんの人が……と信じ難い程、いつまでも続く名前。

気がつくと隣で母が号泣していた。
映画が終わっても立ち上がれない程、おいおい泣いていた。

母が泣くのを初めて見た私は、ちょっとしたパニックになった。
「お母さん、大丈夫?どこか痛いの?」と母の身体をさすり続けた。
母はしばらく泣き続け、立ち上がれなかった。

私は広島のピカで見た映像と母が泣いた衝撃で、ふらふら。
母もたくさんの子ども達を奪った、対馬丸の遭難に強くショックを受けてふらふら。

ふたりでふらふらになって、レストランどころではなくなった。
そのままバスに乗って家に帰った。

「お母さんとふたりでレストランに行けなかったことは残念だったけど、帰る家があって、お父さんも妹もいてよかった。」

小2の私でも心からそう思った。
8歳の子どもなりに平和を愛して、感謝もしていたと思う。

対馬丸の遭難から今月の22日で丸80年。
広島に原爆が落とされてから今日で79年。

数字や記録ではなく、実体験を肉声で聞く機会が年々減ってきている。

継承のされ方は変わっていくだろうが、小さな子どもでも平和について学ぶ機会を大切に守りたい。

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