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国家神道・民衆神道―新海誠『すずめの戸締り』論

注意

『すずめの戸締り』をすでに鑑賞した方、「ネタバレ」を気にせず鑑賞ができる方に向けて本稿を執筆しています。
プロット上の「ネタバレ」を気にされる方はぜひとも観賞後に一読いただけますと幸いです。

前書き―「感動」の暴力性

大仰なタイトルをつけたが、そもそも本稿に着手しようと考えたのは私の鑑賞体験によるものであった。作中、まさに「鈴芽」が東日本大震災の被災地で「戸締り」を行うシーンで、帰ってくることがなかった多くの方々が「おはよう」「いってきます」「いってらっしゃい」と言葉を残し去っていくその複数の記憶が象徴的に回想され、その後、「閉じ師」の「草太」が、「ミミズ」に対して、「——命がかりそめだと知っています、死が常に隣にあると分かっています。それでも私たちは願ってしまう。いま一年、いま一日、いまもう一時だけでも、わたしたちは永らえたい!」と述べるシーンで、私は涙した。個人主義と資本主義が手を結び、「何かを成し遂げなければならない」という強迫観念がSNSを通じ拡散され、自分の命の無意味さ、有限性、他人との比べ合い、嫉妬、怒り、不満、そういった感情が否応もなく噴出し、流布し、「何者か」になるゲームの俎上で、「何者か」になるために、もがき、苦しみ、「何者」にもなれないのではないかという際限のない不安に溺れ、そもそも「何者」になろうとしている自分は果たして自分であるのか、といった拡散するペルソナの問題に嫌でも向き合わされるこの社会において、「天災」による予期せぬ死が、どれほどまでに苦しく、無念な、やりきれない出来事であるのかということは、想像することも憚られるものである。ただ、その予期せぬ死を、「何かを成し遂げなければならない」という強迫観念で捉えた時に、彼女ら彼らの命は、「成し遂げられなかった」生となってしまう。そういった、考えたくもない残酷な想起をまさに否定するものとして、哲学をはじめとする学問では個人主義や資本主義に対する批判が行われてきたし、それ以前から、生というものを捉える宗教という実践は存在していた。今作において、亡くなった人びとの生を肯定する言説として設定されているのが、まさしく上記の台詞である。

もしかすると、三八○万年の永遠 [筆者注; 一生物種の平均寿命、ここではヒトという種族の絶滅までの期間を指す] のなかでは、自分の生はまったく小さな芥子粒のようなもので、何の意味もないではないかとでも思うのかなあ。言いましょう。いや、それは絶対に無意味ではない。そんなことを言ったら、四○○万年の人類の生ですら、宇宙の膨大な生成のなかでは無意味になってしまいますよ。それがいかに美しい一瞬の閃光であっても、花火のように果敢ない一夏の夢だったということになる。でも、——やはりこういうときはニーチェなんですよね。彼はこういうことを言っているのです。人は苦悩して言う、自分が何をなすべきかわからず、自分の人生に意味があるかもわからない、と。しかし、それは自分が何かの原因であり、行為の主体であると考える思考の過ちからくる偽の問題に過ぎない。君は何かをしそれが意味を成すのではない君は「なされている」のだ。「君はなされる!いかなる時でも!」と、歌うように彼は言う。つまり、われわれは宇宙の生成のなかで、われわれがこうして言葉を得ることができ、そしてそれを紡いでいくことは絶対に無意味ではない。それは意味をなすのではない。それ自体が意味なのです。
佐々木中, 『切りとれ、あの祈る手を』, p202

そう、無意味ではないのだ。私たちが生き、生を紡ぎ、生涯行くことのないかもしれない地にも、様々な人が、様々な思いでその地に住み、そしてそれを何世代もつないできたというこの屈託のない事実、それを「それ自体が意味である」と肯定すること、その忌憚のない力強さこそが、本作が人の心をうつ理由の一つであろうし、私が涙したのも、他でもないそこである。思いを繋ぎ、そこに生きる/生きていた人々の生を肯定する。その肯定そのものが、私たちが無慈悲にも駆り立てられるあの脅迫めいた感覚を拒否する、もっとも力強い形式だと感ずる。

だが、刹那、私のなかである感覚が現出した。

「私のこの涙は、果たして私が流して良い涙なのだろうか」

罪責性とも呼ぶべきその感覚は、一緒に鑑賞した友人がいた事も影響していたのだろう。彼女は岩手の生まれである。私の一つ上の年齢で、被災時は12歳であったはずである。震災というトラウマティックな出来事に対し、フィクショナルに向き合い、それをもとに人生を見つめ直す——あのおぞましい災害の影響を、東北地方沿岸部に住んでいたわけでもない監督が作り、そしてその虚構の物語に同一化し涙を流す私自身の罪責性が、つまり、これまでも直視することができず、向き合うこともできなかった東日本大震災の被災地の「物語」を、受動的に消費しそれに感涙することそのものの罪深さ、薄ら寒さに、私はぞっとした。多くの方の命が奪われ、転居した先でいわれのない差別を受けることもあり、そして故郷に帰ることすら許されない方や、仮設住宅に住み続ける方が「今」もいること、その現状に向き合うこともなく、東京一極集中という政策上の失策をもとに、財政難にあえぐ地方自治体に、補助金と引き換えに原発を設置し、そしてそれを、そこに住むわけでも、そこが故郷であるわけでもない人間が、「仕方のないこと」だと容認すること。確かに、東日本大震災による地震と津波は、概ね「天災」であったと結論づけられても仕方のないことなのかもしれない。しかし、その後の福島第一原子力発電所のメルトダウンは明らかな「人災」であり、ましてそのような「人災」を引き起こすきっかけとなった一私企業が未だに公共事業を担っているという事実を、大なり小なり私たちは認めてしまっていること。このような搾取と収奪のレトリックに否応なく巻き込まれる、そこに根をはり生きてきた尊き人びとの生は、フィクショナルな「感動」の上演により果たして現実世界において本当に肯定されうるのか?

※第一次安倍政権下で、日本共産党吉井議員(当時)が行った質問を参照。また、『Fukushima 50』において、英雄視されている東電吉田所長と原子力安全・保安院が犯した失態については、こちらを参照。英雄など存在しない。

「感動」が惹起する暴力性については、様々な研究が行われてきた。ここでは紙幅を割かないが、神風特攻隊をはじめとする特攻兵器の愚かさを、「先人が守ろうとしたこの国」などという大言壮語で、彼らがどうしても生きたかったその生と、それでも(自覚的であれ非自覚的であれ)強制された無意味な死を、「日本国」という国家の物語の中に組み込み、それらを称賛するような言説はあとを絶たない。多くの人びとの死の先にある平和の中に生きる私たちが向かい合うべきは、「先人の尊い犠牲」などという「日本国」に馴致された、そこにある生を犠牲とみなし、その内実を見ようとしない全体主義者の享楽ではなく、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という、原爆死没者慰霊碑に書かれた一文である。引用を引くまでもない。私たちの住むこの国は、そしてそれを後押しした私たちは、そして原爆という大量殺戮兵器を投下したアメリカは、それを「過ち」と認めない人びとは、「過」っているのである。そして彼らの犠牲を感動の物語に仕立て上げ、そこで無慈悲に失われた幾多もの尊い命を、その生を、「日本国」というイデオロギーのもとにまとめ上げることを、絶対に拒否しなければならない。彼女ら彼らは尊い犠牲などではない。過ちにより殺戮を受けた、明日も生きたかった一つ一つの生であるのだ。

問いは明快である。

『すずめの戸締まり』は、「日本国」という国家の物語に、東日本大震災を位置づけていないと言えるのか?

『すずめの戸締まり』において、東日本大震災は表象し得るものなのか?

これらの問いに応えることができなければ、私はこの作品を評価することはできない。それほどに危険な試みを新海は行っているということである。劇場配布、『新海誠本』からの示唆に富む引用をもとに、本章を終えることとする。前書きでこの紙幅を取り、読んでいただく方には大きな負担となることを承知の上で、必要な箇所であったため冗長な書きぶりとなってしまったことを申し訳なく思う。

——以上のように様々な思惑を込めた物語ではあるのだけれど、正直に言えば、「これで良いのだろうか」という不安もずっとある。(中略)エンターテイメントで死に接近することで、自分は生きていて良かったと思える。それが物語の素朴で根本的な役割(中略)。
東宝株式会社, 『新海誠本』, p5
——企画書には、「不安もずっとある」という言葉がありました。[筆者注: インタビュアー]
(中略)果たして間に合うのかという焦りや、見当違いの方向に全速力で走ってしまっているのではないかという不安は、今もあります。(略)
——あとはお客さんがこの作品をどう受け取ってくれるのか、その反応だけですね。
どれだけ思いや考えを尽くしても、観客はこちらの事情には冷徹で無関心です。(中略)観客の感想だけは作り手にはコントロール出来ないんです。それでも、ぼくたちは同じ時間を生きている。どこかに通じ合う通路があるはずと、願い続けるしかありませんね。(略)
Ibid., p14

『すずめの戸締まり』は、「日本国」という国家の物語に、東日本大震災を位置づけていないと言えるのか?

論点整理―「カタストロフィ」としての「東日本大震災」

『はだしのゲン』、『この世界の片隅に』、『火垂るの墓』、『COCOON』をはじめとして、国家の物語に回収させない、民衆の物語として「カタストロフィ」に対する物語はこれまでも存在してきた。それらが、前書きで書いたような「感動」の暴力性に自覚的であったことは言うまでもないし、それゆえ、名作として語り継がれ、読まれ続け、見られ続けていることは明白であろう。「隠喩」——本稿では物語における——をもとにせねば「意味」に到達できないと述べたのはラカンであったが、「原爆」や「東京大空襲」といった「カタストロフィ」を、物語そのものの象徴的な「隠喩」をもとにし、物語的に再構成せねば、観衆が物語に向き合う理由は(「カタストロフィ」の体験という意味において)なくなる。というのも、「原爆」や「東京大空襲」、『沖縄戦』においては広島・長崎、江東区や沖縄の資料館や浩瀚な学説書、写真に向き合えば良いからである。加えて、(それらの「資料」も一定の恣意性を原理的に孕むという批判は脇においた上で)物語化することで捨象され逆に上演され強調される箇所を生み出す暴力性に自覚的であるならば、それらの「資料」を押しのけ、ドキュメンタリーという手法を用いるのでもなく、あえて物語を作る必要はないのである。であるならば、なぜ物語は存在する意義があると言えるのか。様々な意見があろうが、ここでは「隠喩」の作用、すなわち、「意味」に到達できるから、ということを再確認するに留めておこう。この、「意味」の次元において、『すずめの戸締まり』という物語の意義を問うことを本稿では行うためである。

ここで、『すずめの戸締まり』において、「東日本大震災」が想定されていることは明白であるが、それを、「原爆」をはじめとする「カタストロフィ」と類比し語る必要があるのか?という疑問が生じる。「カタストロフィ」を論じたジャン=ピエール・デュピュイを引くまでもなく、言語的な説明を加えることは容易であるが、ここでは示唆的なシーンを想起させることが最も理解に難くないと思われる。
東北地方で「鈴芽」が「後ろ戸」を開け、「ダイジン」「サダイジン」とともに「常世」に降り立つシーンにおいて、「常世」は燃え盛っていた。それまで、「鈴芽」が見た「常世」は幻想的な美しい世界であったのに比して、ここでは明確に燃え盛った表現を用いたと考えるのは拙速ではなかろう。新海も述べている。

常世については、そこを燃えている町として表現すること自体にも、不安がありました。そのようなビジュアルを見たくない人も、少なからずいるに違いない。でも、やはり鈴芽の行く常世はそのような場所でなければならないと思いました。鈴芽の心の中では、町はまだ燃えているのだと。
Ibid., 13p

劇中歌などでもジブリ映画との類比を喚起させる本作において、このシーンが『火垂るの墓』、ひいてはその系譜に位置づけうる『はだしのゲン』をはじめとする戦争アニメの表象が想起されるのは無理な話ではなかろう。なぜならば、「津波火災」による火災こそあったものの、津波による犠牲者数が9割を占めた東日本大震災において、燃え盛る町を演出する理由は、「鈴芽の心の中では、町はまだ燃えている」ということに留まらないからである。

「カタストロフィ」として「東日本大震災」を戦争アニメの表象と類比させる際に浮かび上がるのが、上述の「感動」の暴力性である。加えて、『すずめの戸締まり』は、明白に神道との関連性が示唆される冒険譚である。第二次世界大戦において、天皇を現人神と位置づける国家神道による全体主義体制のもと人びとが文字通り「総動員」され、総力戦の中で人びとが無慈悲にも殺されたことを思い起こせば、極めて危うい橋を渡っていることに気づかれることだろう。つまり、常世の(=亡くなった)人びとの怨霊の集合体である「ミミズ」が、「裁きの神」として「地震」を引き起こす、それを止める「閉じ師」「草太」と「鈴芽」の冒険譚というプロットそのものが、「裁きの神」=ユダヤ教における「唯一神」=国家神道により明治期に制度化された天皇制、という類比を連想してしまうことは無理な解釈ではなかろう。一世一元制が明治期国家神道の制度化において、日本人が天皇制という時間軸で「繭」のように生きることを可能にしたと指摘したのは西谷修であったが、まさしく昭和→平成の世における元号問題が生じたのもそこにおいてであった。引用する。

ヨーロッパ諸国、あるいは他の国のナショナリズムは、国家が教会になり代わって「信」を組織するといった性格が強いですが、日本のナショナリズムは、自然的な心情に根ざしていると言われます。
それは、ここに流れる時間がここだけの繭を作っていて、その繭が「節=代」と呼ばれるように、自然的に区切られる共通意識の枠に寄りかかっているからでしょう。そしてその「世」が、生きる一代天皇の現存に結びつけられる。時間に名前を付けて、天皇の一代と結びつけると、そこの中に自閉してしまう。だから「繭」と表現しました。そうすると、日本は違うという意識が非常にナチュラルなものになります。(略)
[筆者注: 国際的には一等国の中に入っていった] けれども、その一方で、これが国際関係の中のことである、つまり開国によってこうなっているということを忘れさせる装置が初めから埋め込まれていたわけです。それで日本だけで自閉的、利己的に考えるという傾向も強くなる。いわば世界的な時間、世界時間と違う軸でこの社会が成立していると思わせるような装置です。
西谷修, 『私たちはどんな世界を生きているか』, 179-180p

論点は整理された。すなわち、物語の「意味」の次元において、『すずめの戸締まり』は「カタストロフィ」として「東日本大震災」を表象するに際して、「日本国」=「国家神道」の物語に位置づけていないといえるのか、ということである。まさしくここにおいて、『すずめの戸締まり』を読解する上で重要な問題が存在しているということである。長い論点整理となった。事項から、「国家神道」と「民衆神道」の対比を通じて、新海誠がどのように橋を渡ろうとしたのか、という点に言及したい。

「国家神道」と「民衆信仰」—「皇居」と「宮崎」、「ミミズ」と「ダイジン」、「サダイジン」

『すずめの戸締まり』を見に行く一つのきっかけとなったツイートがある。

敬愛する漫画家、川勝徳重さんの「俺は仏教徒で純日本的なサムシングを求める気持ちないからわかんねぇ」というツイートを見て、高校生の時に『君の名は。』を見たときの感情を思い出した。私は山口県宇部市生まれだが、大内文化により応仁の乱を通じて京都仏教文化が色濃く花開いた歴史をもつ故郷において、「純日本的」なる「民衆神道」=「アミニズム神道」の感覚は、私にもわからないと感じた。この感覚はどこまで共有されているのかということを馴染みのない土地を訪れることや異なる生まれ育ちの人との会話を通じて確認することは私にとって非常に興味深いことなのであるが、肌感としては関西出身の方や山陽地方の方とは大なり小なり共通している感覚のようである。一方で、九州や長野、津和野などの方からは、「アミニズム神道」的感覚を感じるという感覚もある。この感覚について読者も大なり小なり感じるところがあってくれれば幸いだが、「廃仏毀釈」という明治期の出来事をもとに示唆的な補助線を引くことが可能である。


安丸良夫, 『神々の明治維新』, 115p

図は、弊学の誉れでもある安丸良夫の名著からの引用であるが、要するに宮崎と長野において廃仏毀釈を通じて多くの仏閣が廃されたということを明らかにしている。ここでなぜ長野が出てくるのか?という問いであるが、他でもない新海誠の故郷だからである。つまり、新海が「アミニズム神道」的感覚をもとに三部作を作っているのは、「土地」の性質にも影響を受けているのではないか?という示唆である。とはいえ、『神々の明治維新』において、廃仏毀釈が激しく行われたのは新海の出身地の町ではないということも明らかにされているが、川勝や私が与さない「アミニズム神道」的感覚を、激しい廃仏毀釈が行われた県で生まれ育った新海が解していると考えるのは、無理のない話であろう。

次に、宮崎である。宮崎は記紀レベルで日本の神話の源流として有名である。高千穂峰山頂の天の逆鉾をはじめとし、「国家神道」的枠組みからいえば聖地であることは間違いのない土地である。

高千穂峰山頂に刺さる天の逆鉾。国産みの神話に関わる。現在はレプリカ。

加えて、高千穂神社、天岩戸神社など、国史論社や別表神社に該当する神社の中でも、「記紀」的な物語に位置づけられる神社が多いことを付記しておこう。ここから『すずめの戸締まり』が始まることを単なる偶然と解釈することは不十分な読解と言って差し支えのない必然性が感じられる。

※神道葬も多く行われている。参照。宮崎県公式の神道PRについては、こちらを参照

 本論に戻ろう。廃仏毀釈もこの地では激しく行われた。

宮崎県で廃寺の割合がとびぬけて高いのは、明治三年から五年にかけて、延岡藩・高鍋藩・飫肥藩などで廃合寺政策がとられたからである。(略)
失敗したばあいもふくめて、廃仏毀釈を境とする地域の宗教体型の転換は、きわめて大きかったと考えてよかろう。
安丸良夫, 『神々の明治維新』, 114-115p

安丸が述べていることでもあるが、私たちが感じる神道的「感覚」なるものが、明治期の廃仏毀釈運動を通じ再編されたものであることをここでは強調しておきたい。宮崎におけるものも、長野におけるものも、それまで「民衆神道」的な物語が強かったとしても「記紀」的なものに再編されたり、「国家神道」的なものに動員されたりといった力学が、明治期の廃仏毀釈運動においては働いていたということである。

神仏分離や廃仏毀釈という言葉は、こうした転換 [筆者注: 国体神学の教説が多様な媒介性を介して日本人の精神に内面化されることにより、日本人の宗教生活の全体が転換したこと] をあらわすうえで、あまり適格な用語ではない。神仏分離といえば、すでに存在していた神々を仏から分離することのように聞こえるが、ここで分離され奉斎されるのは、記紀神話や延喜式神名帳によって権威づけられた特定の神々であって、神々一般ではない。廃仏毀釈といえば、廃滅の対象は仏のように聞こえるが、しかし、現実に廃滅の対象となったのは、国家によって権威づけられない神仏の全てである。(中略)それ以外の多様な神仏とのあいだに国家の意思で絶対的な分割線をひいてしまうことが、そこで目指されたことであった。
Ibid., 6-7p

本節の副題として用いている「国家神道」と「民衆神道」の違いを明治期の「廃仏毀釈」をもとに強調することで、『すずめの戸締まり』において着眼すべきポイントが明らかとなる。つまり、新海は「神道」という枠組みを物語でどのように位置づけたのか?ということである。実は私も『すずめの戸締まり』を鑑賞した後、この問いに非常に悩まされることとなった。だが、非常に示唆的なツイートをもとに、ここに補助線を引くことが可能となった。引用する。

安徳天皇は平安末期に平家の政治により祭り上げられた天皇で、故郷の山口県下関で起こった源平合戦最後の戦い「壇ノ浦の戦い」において、入水して死んだ天皇である。船上の戦いで、6歳という年齢で、しかも戦乱で死んだことが記録されている唯一の天皇ということもあり、下関をはじめ関門海峡沿いの地域には多く祀られている天皇である。
この一連のツイートにおいて、作中で登場する箇所の中で唯一理解できていなかった愛媛県の位置づけを理解することができた。というのも、愛媛県は神道信仰が盛んなわけでもなく、神戸のように私たちに記録される震災が生じた町でもないからである。
宮崎から船でのりだすこと=安徳天皇を示唆することが愛媛への舞台転換の意味の一つだと捉えれば、理解することが可能になる。引用元と同様にはっきりとした根拠はなく、解釈の範疇ではあるが、八幡浜に安徳天皇の墓があること、加えて下関市の赤間神宮(安徳天皇を祀る大社である)において、関門海峡のシンボルとして有名で、有形文化財に登録されている水天門の由来を思い出してみればよい。

赤間神宮、水天門 建立は1957年

水天門は、安徳天皇が水天皇大神として祀られたことに由来し、徳富蘇峰が命名した(参照)。「ダイジン」が安徳天皇であるということを一つの解釈というには、少し根拠が強すぎると感じる必然性をみているのは、私だけであろうか。

さて、こう考えたときに、「サダイジン」の位置も明白なものと感じられる。そこで名指されるのは平将門なわけであるが、安徳天皇と同様、江戸の民にとって平将門が強い民衆信仰の対象となっていたことは有名である。現在、神田明神において第三座に位置づけられているが、それも1984年のことで、それまでは摂社に過ぎなかっという(参照)。なぜこのようなことが起こったのだろうか。

神田神社は、江戸時代には神田明神といい、江戸の町人のひろい信仰をあつめ、その祭礼は江戸の名物の一つであった。(中略)神田明神は、もともと将門の御霊信仰として発展してきたものであった。
ところで、明治七年八月、陸軍の演習を指揮した天皇が、その帰途に神田神社にたちよることとなったが、それにさきだって、教部省では神田神社に祭神を改めるように指令した。国体神学の立場からすれば、神社に祭祀されるのは皇統につらなる人々か国家の功臣のはずであり、逆臣将門を祀る神社など、容認しうるはずのものではなかったし、ましてそうした神社に天皇が参拝してよいはずのものではなかったからである。(略)
この世に遺執を残して死んだ人の霊を恐れる御霊の観念は、水戸学や後期国学にもひろくみられ、むしろそれが明治初年の神社創設をささえる論理でもあったのだが、しかし、その御霊が逆臣将門ではなんとも始末がわるいわけである。そこで、「鬱結シテ妖祟ヲ成ス」霊魂も時間が経てば散ずるものだ、将門のばあいは「九百年前ノ朽骨、其霊魂既ニ散ズ」として、人々にその「異霊ヲ恐レ」ないように説いて、将門を境内の一末社に祀りかえ、そのかわりに常陸国大洗磯前神社から少彦名命の分霊を迎え、大己貴命と同殿に祀った。しかし、町人の信仰は将門の御霊の方にあったから、将門が末社に遷されると、町民たちは例祭に参加しないようになり、祭神をとりかえた神官たちを「朝廷に諂諛して神徳に背きし・・・人非人」だとそしり、賽銭を投ずる者もいなくなった。これにたいし、あらたに造立された将門の小祠には、参詣者があいついだ(『新聞集成明治編年史』)。
神田神社のような大社でさえ、祭神そのものがとりかえられるというほどの大きな変化があり、そこに民衆の伝統的な信仰とのあいだの葛藤が生まれたのである。
Ibid., 162p

平将門は、平安時代に「新皇」を自称し東国の独立を狙い朝廷に反旗を翻した豪族である。平将門という「逆臣」が江戸の民衆信仰においては大己貴命よりも重要であったというこの事実は、「ミミズ」が国家神道であるならば、「ダイジン」「サダイジン」が民衆神道であるならば、きわめて明白に位置づけられうる。つまり、『すずめの戸締まり』は、「国家神道」を抑える「民衆神道」=「民衆信仰」の物語である、と。
「サダイジン」が出現したのは皇居の地下にあった「後ろ戸」からであったが、これも「国家神道」の象徴としての「皇居」の下に、「民衆信仰」の平将門が位置づけられるとするならば、きわめて自然である。

長くなってしまった。整理しよう。応えるべき問いは、『すずめの戸締まり』は、「日本国」という国家の物語に、東日本大震災を位置づけていないと言えるのか?、パラフレーズすると、物語の「意味」の次元において、『すずめの戸締まり』は「カタストロフィ」として「東日本大震災」を表象するに際して、「日本国」=「国家神道」の物語に位置づけていないといえるのか、ということであった。
上記の問いに対して、「ダイジン」「サダイジン」の位置付けを、「民衆神道」=「民衆信仰」の側に置くのであれば、「ミミズ」=「裁きの神」=「国家神道」を抑える「民衆神道」=「民衆神道」として図式化できるということである。その物語が、「宮崎」=「記紀」の発祥地を経て「愛媛」=安徳天皇、平家信仰=「民衆信仰」の地に「船」で移動し、その後「神戸」=「東北地方沿岸部」との対比を通じて「東京」=「国家神道」の本丸に至り、「東北地方沿岸部」に至るというプロット展開されていることは、きわめて明快な筋書きのもと理解できよう。
つまり、「民衆信仰」をもとに「国家神道」がもたらす災禍を抑える物語であるとするならば、「日本国」という国家の物語に位置づけていない、と解することができる、ということである。

だが、「カタストロフィ」として「東日本大震災」を表象するに際して、という点が残る。この箇所を、「カタストロフィ」としての「ヒロシマ」との類比と、「神戸」という地が場所として用いられたことをもとに、考えていく。

「神戸」と「東北地方沿岸部」、「ナガサキ」と「ヒロシマ」—「乗り越え」と「記憶」

「神戸」は、震災を乗り越えた街として描写されることが多い。

神戸で地震を経験した私たちが語るのは、経験していない人が語るのとは全く違う説得力があると思います。ある意味で、他のボランティアの方が言いにくいことも経験者だからこそ、言うことができます。たとえば、復興のためにはいち早く動く。行政ばかりに頼らず、自分たちのアクションにあとから行政が追いかけてくるようにならないとだめだ、と。被災した方にそう言えるのは私たちしかいません。むしろ言わないといけない立場だと思うのです。ここであきらめたらだめ、もう少しみんなで力を合わせたら、希望が見えてくる、と。私たち自身が同じ状況から復活できたので、言葉の重さが違いますよね。
南京町商店街振興組合理事長 曹英生さん インタビュー(参照

この他にも様々な阪神淡路大震災の被災者が、力を合わせ乗り越えたと語る神戸という街。その力強さは、作中で宿泊する「スナック」のママという表象、彼女が「愛媛」から「神戸」という土地まで車を走らせるという描写からも感じられるものである。示唆的でもあるが、神戸において閉じられる「後ろ戸」は、阪神淡路大震災の「後ろ戸」ではなく、廃遊園地の「後ろ戸」である。ここにおいては、「被災地」という表象で意図的に類比されていない。スナックなどで阪神淡路大震災を示唆するシーンは一つもなく、会話にも上がらない。それは、乗り越えた街として、神戸を表象するという眼目があるからである。市民が先んじて復興に尽力し、多くの痛ましい思いを乗り越えて、「震災の街」という表象を乗り越え、「神戸」として復興した。この「神戸」に対する表象は、劇中の「鈴芽」の台詞でより明らかなものとなる。「芹沢」が「鈴芽」に対して、「このへんって、こんなに綺麗な場所だったんだな」と述べた際に、「鈴芽」が「どこが(きれいなのか)」と呟く。まさしく、「どこも」きれいだと感じられない町として、「鈴芽」にとって「東北沿岸部」は感じられているのであって、これは「神戸」とのクリティカルな対比を表す。
劇中で最後の「戸締まり」の前に出てきた地名が福島中通りで、最後に「草太」が電車に乗るシーンで「岩手」へ移動することからも、あえてその被災地は岩手県南部から福島県沿岸部の中でゆらぎがあるように設定されていることからも、「東北沿岸部」という地を「どこがきれいなのか」と感じる被災者のリアリティが描き出されていると同時に、街として、心理として乗り越えられていない「東北沿岸部」のリアリティを描き出している。復興の遅れには、当然福島第一原発による放射能汚染区域に立ち入ることができないという理由が存するし、「復興五輪」として、新型コロナウイルスが猛威を振るう2021年に、オリンピックが開催されるという、「国家」のダシとして用いられ、実情として「心の復興」が行われていないという事実を想起させる。
東日本大震災を経て10年が経過した節目に、「復興」を眼目として様々な報道がなされた。まさしくその節目に『すずめの戸締まり』が描き出したのは、「心の復興」をないがしろにし、「国家」の物語に位置づけようとすることの暴力性ではなかったか。東日本大震災は過去のものとして忘れ去られうる。新海が語った、震災後に東京で無情にも咲き誇った桜のように。私たちも忘却の彼方に置き去ってはいなかったか。その物語を通じて馴致を試みる様々な「日本」の現実の中に。

「復興五輪」の聖火リレーで、積み上がる汚染土近くにある高架を、コカ・コーラがスポンサーしたポップな車が走っている写真。
これ以上に皮相的な写真があろうか。

加えて、「カタストロフィ」として、「東日本大震災」を捉えたときに、「ヒロシマ」と「ナガサキ」の記憶が想起される。すなわち、「原爆ドーム」を残した「ヒロシマ」と、「浦上天主堂」を残さなかった「ナガサキ」である。きわめて粗雑な対比であるが、この対比は、そのまま「東北地方沿岸部」と「神戸」に当てはめられるだろうか。乗り越える形式としてどちらを採用するのか。「福島第一原発」は残り続ける。そういった提起を、「カタストロフィ」として「常世」を演出した新海の描写から、私は強く感じた。「乗り越え」による「忘却」ではなく、「記憶」による「悼み」を——新海が語るように、「今」この作品を作らねばならなかったと言うならば、こうした実践論的映画読解を試みることは、いささか間違っているとも言えないのではなかろうか。「東北地方沿岸部」が、「乗り越え」を果たさないままに、「日本」の物語によって「忘却」されようとするならば、新海は「記憶」の「悼み」をもって、それに一石を投じる必然性を感じたのではないか——「民衆信仰」による「戸締まり」によって。

上記の章をもって、『すずめの戸締まり』は、「日本国」という国家の物語に、東日本大震災を位置づけていないと言えるのか?という問いに応えることができた。パラフレーズした、物語の「意味」の次元において、『すずめの戸締まり』は「カタストロフィ」として「東日本大震災」を表象するに際して、「日本国」=「国家神道」の物語に位置づけていないといえるのかという問いに対して、このような返答が可能であろう。
物語の「意味」の次元において、「カタストロフィ」として「東日本大震災」を表象することで、「ヒロシマ」との類比を通じて「記憶」し「悼む」という位置付けを、「日本国」=「国家神道」の物語に位置づけるのではなく、「民衆信仰」=「民衆神道」の物語に位置づけることで、可能にしようとした、と。

おわりに―表象可能性と「カタストロフィ」

上記のように述べることはできるが、そもそも「カタストロフィ」として位置づけるにあたって、「表象可能性」という問題は未だ残っている。つまり、「意味」の次元に位置づけることが語り落としているものは何であるのか、という問いである。この箇所を述べることがなければ、『すずめの戸締まり』について評価を下すには拙速であろう。
劇中を通じて、どのように「表象可能性」という問題を乗り越えようとしたのか、また、乗り越えられているのか。『すずめの戸締まり』において、東日本大震災は表象し得るものなのか?という問いはまだ残されている。この問いに関連づけながら、可能ならば次の投稿で応えたい。というのも、紙幅をあまりにも取りすぎているからである。

当然のことながら、「民衆信仰」をもとにしたプロットメイキングは「ダイジン」「サダイジン」が「安徳天皇」「平将門」であるから可能になったことではない。名も知らぬ地方の生ひとつひとつが、そこで旅館を経営しみかんを取り、スナックを開き人々の心の癒やしを提供する。「芹沢」が怒りながらも「草太」を探し、「環さん」は東京まで「鈴芽」を探しに行く。劇中で幼少期に「鈴芽」が「常世」で会ったのが、「母親」ではなく大人になった「鈴芽」自身であったことからも、また、「草太」の両親も登場しないことからも、「親子」という「イエ」の物語として描くのではなく、失われゆく「ムラ」の物語として、『すずめの戸締まり』は上演されているのだ。そこで、「イエ」ひいては「個人」として、小さな単位に切り詰められた人々をまとめ上げる「国家」という図式ではなく、「ムラ」という小さな共同体的単位をもとに、「記憶」と「悼み」に向けて旅をする。こういったリアリティは、新型コロナウイルス感染症が猛威を奮っている現在、より強く感じられるようになったことであろう。あくまで解釈の可能性は大きく開かれている。共同体そのものに着目するのではなく、それを「民衆信仰」という次元から捉え返し、「国家神道」に馴致されない生をありありと描きながら、共同体的生の実現に向け「記憶」と「悼み」のために作られた物語であると考えれば、『すずめの戸締まり』を評価することは可能なのかもしれない。

ここまで読んでくれた読者に、感謝を伝えたい。

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