子どもとケンカして、「誤ったなら、謝る」を学んだ眠れない夜
昨晩は、あまり寝付けなかった。
些細なきっかけで、子どもとまあまあ大きめのケンカをしてしまったから。
家族だと、遠慮がはずれて感情をぶちまけてしまうときがある。そしてヒートアップ。
からの大炎上。
こうなるとお互い自分の誤りには目が向かず、相手の矛盾を指摘することに全力を尽くすようになる。
どっちが折れるでもなく、ただ時間だけが流れ、深夜で時間切れ。
からの反省会。
いつもの流れだ。
疲れてベッドに移動する気にもなれず、そのままソファに横になることにした。
こんなときには布団にもぐり込んで一人の世界に浸りたくなるが、肝心の掛け布団がそこにはない。
ふと、顔を着ていたTシャツの中にうずめてみる。はやりのワイド幅のTシャツだったので、意外とスペースが余った。
ついでに両腕も引っ込めて入れてみた。なんとすっぽり収まるではないか。
一人反省会部屋の完成である。
いや、亀か!
ツッコむと、少し気がゆるんだ。深夜1時のひとりR-1グランプリである。
ただ、即席の反省会部屋が意外にも心地良い。キャンプの時に、寝袋に顔まで突っ込んで、ひっそりと秘密基地を楽しむあの感じである。
だから、いつの間にか眠っては起き、起きては眠るを繰り返し、気づけば朝5時を回っていた。
ロクな反省をすることもなく、まどろみながらトイレに向かっていると、ふとあることがひらめいた。
あれ、「あやまる」には、2つの漢字があるぞ
「誤る」と「謝る」だ。
44歳になって初めて、この言葉のこんな特徴に気がついた。
でも、2つの意味って真逆だよな。
いやいや、よく考えると繋がってるぞ。
人は「誤る」、だから「謝る」
最終的に、散らかっていたひらめきの破片たちがこのフレーズにおさまった。
なるほどーー。そうかーーー。。そうだよなー。
深く納得した。そして、これこそまさに、いま自分に当てはめるべき言葉だと、悟った。
勝ち負け、どっちが正しくてどっちが間違いなんてどうでも良い。どっちも正しくて、どっちも間違ってる。
大切なのは、大切な人を、大切にすること。
自分の「誤り」だった部分を認めて、「謝る」べきだ、と。
結局争いの解決は、自分に矢印を向けることからしか始まらない。
それにまつわる大炎上は、本当は全部ムダなもの。そこには、燃えかすと虚しさしか残らない。
いつも学んでは、誤りを繰り返してしまう。自分に落ち込む。
でも、繰り返すそのプロセス自体が、実はとっても大事な気がする。
人は「誤る」、だから「謝る」
さあ、ちゃんと謝ろう。
子どもの寛大な「ほんっとしょうがない父親だな〜。ゆるしてあげるよ」に、大いに期待して。
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