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世界オンライン旅(6か国目:南アフリカ共和国)

さて、すっかり更新していなかったが、久しぶりにオンラインで外国人と話した。今回は南アフリカ。

彼女は南アフリカ出身の黒人で、生物化学を専攻している大学2年生だ。

現在南アフリカは以前としてロックダウンが続いている状況で、週に2回ほどキャンパスに通うものの、その他はすべてオンラインだという。

南アフリカの多様な言語環境

話していて面白いと感じたのは、彼女の育った言語環境だ。

ヨハネスブルク出身の彼女は、父親がペディ族で、母親はソト族だ。そのため、父親とはセペディ語、母親とはソト語を話すという。セペディ語とソト語は非常に似ている言語であるため、どちらかの話者であれば互いに意思疎通は可能だ。とはいえ父親と母親とそれぞれ別の言語を話し、ひとたび家の外へ出たら今度は英語が公用語となる。南アフリカでは11もの公用語が定められているが、やはり事実上の公用語は英語なのだ。

日本で、父親とはポルトガル語、母親とはスペイン語、学校では日本語で話しているようなもんだ。

コロナの状況について

南アフリカでは前々月の7月に第3波のピークが過ぎたという。南半球である同国には現在春が訪れ、12月に夏が訪れる。その頃また第4波が来るのではと推測されている。

最初、"Fourth Wave" と言われたときにその簡単な単語が聞き取れなかった。

日本では第5波のピークが過ぎたところだが、南アフリカでは規模は違えどまだ3つの波しか経験していない。当たり前といえば当たり前だが、日本と海外ではコロナの流行り方も違えば感染拡大・縮小の時期も異なるのだ。

彼女はコロナ・ワクチンを打たないと言った。親戚の知人がワクチンで亡くなったから怖いらしい。僕は既に2回打ったが、正直今回のワクチンについてはまだわからないことが多いのでその気持ちはよくわかった。

ヨハネスブルクは治安の悪さで知られるが、現在は失業者が増え、以前にも増して危険になっているという。冗談交じりに「旅行で行きたいなー」というと、「危険だからダメよ」と真顔で言われた。

EPIKのこと

「日本の学校ではEPIKプログラムで英語を教えてるの?」と聞かれた。

なんだEPIKって。そもそも日本の学校がどんなプログラムに沿って英語を教えているか僕は知らない。知っているのはせいぜい、文科省が決めてんだろう、ってことくらいだ。

後から調べてみたら、EPIKとは、(English Program In Korea) つまり韓国英語プログラムという意味だった。

彼女がこれまで話したアジア人は韓国人ばかりで、日本人と話したのは初めてだと言っていた。EPIKの「K」がKorea(韓国)の「K」を意味するとは知らずに、EPIKとはアジアで使われてる英語学習プログラムね、といった感じで認識していたのだろう。

しかし、南アフリカ人にも知られている韓国の英語プログラムは、なかなかのものなのかもしれない。英語力において、日本は韓国に劣勢であることを感じる。

Trevor Noah (トレヴァー・ノア) について

南アフリカについて書いたので、僕の好きなTrevor Noahについて。

トレヴァー・ノアは南アフリカ出身のコメディアンで、アメリカに活動拠点を移したあとは "The Daily Show"というコメディ風の政治風刺テレビ番組のホストとして有名になった。

その番組が特段好きなわけではなく、彼の自伝 "BORN A CRIME"を読んでからファンになった。今は日本語訳の本も出ている。

・彼は白人の父親、黒人の母親の間に生まれた。アパルトヘイト時代、黒人の白人の交際は禁じられており、2人の間に生まれたトレヴァーは、生まれ流れにして「罪」であった。これがタイトルの由来。

・父親は暴力的な男で、トレヴァーの母の顔を銃で撃った。彼女は一命を取り留めたが、トレヴァーと母は父親にずっと苦しめられたきた。

・トレヴァーは母親と共に育った。彼が9才の頃、信仰深い母親は、彼を連れバスで何時間もかけ教会へ通っていた。ギャングと繋がりのあるバスの運転手が彼女に因縁をふっかけてきた。アパルトヘイト下では女性と子供だけで外出することは珍しかったためだ。運転手が彼女たちを殺そうとしているのに気づき、トレヴァーと母親は走行中のバスから飛び降りて逃げた。

・母親とトレヴァーの日々は苦痛に満ちていた。だが彼女は言った。「過去から学び、良き人間になるの。人生は苦痛に満ちているわ。苦痛があなたを尖らせるのよ」

・学生の頃は海賊版のCDを販売して生計を立てていた

激動の人生を送ってきた南アフリカ出身のトレヴァーがアメリカで成功を収めるまでの話。個人的には混乱した当時の南アフリカの状況が知れる幼少期の話が面白い。

南アフリカへセネガルから貨物船で行く

かつて、セネガルの港から貨物船に乗せてもらい船で南アフリカへ渡ろうとしたことがある。飛行機に乗れよ、と言われそうだが、当時そうしたベタな移動手段は自分の中で避けたかったのだ。

停泊している貨物船の船長に飛び込みで交渉にいったが、結局ヨーロッパ行の船しかなく、「船をヒッチハイク」という僕のアイデアは実現しなかった。

甲板で船員たちと飲んでいる白人の船長が僕をみて「見ろよ、変なネズミが迷い込んできたぞ」と言い、笑われたのを思い出す。

あの船長は、今どこの海にいるだろうか。

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