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過去を評価できない

もしかしたら、救われる人がいるかもしれない。
そんな想いで、今日は書きます。

私は過去を評価できない人間です。

自身の過去の良し悪しを言えないというわけではないです。

過去に起きたモノ、コトを評価できないのです。

どういうことか?

・自分の所有物を人に壊されても怒れない。
・他人が過去に起こした問題を非難できない。
・自分/他人の失敗を反省できない。
など

人に指摘されること数知れず。

どういうことか?

所有物を壊される

自分が購入した物は、極論どうしようが購入者の自由。
それを人に壊されたとしても、それは運命。

仕方なかった

と思うしかないと考えてしまう。

貸したものを返してもらえなかったとしても、友人を信用して貸したもの。返してくれなかったとしても友人を信用したのは自分。かと言って、友人を恨むこともない。「忘れているかも知れない」と思い、変わらず接する。

所有物に執着していない。

車が傷付けられても、しょうがないと思ってしまう。

これが、自身のものなら、大きな問題にならないが、他人のものだと問題になる。

意図して悪さをするつもりはないが、結果、そうなった場合、一瞬「仕方ない」と思ってしまう。これは、怒られる。

過去に起こした問題

人は成功も失敗もして生きている。
自分自身もたくさんの失敗をしている。

いちいちその評価をしてられない。
1分前の事態でもそれは過去のこと。

良いことでも悪いことでもした事実を認めることは出来るが、だから、後からあーだこーだと言うことはしない。いや、出来ない。

あーだこーだと言っても過去のことだから、変わらない。ならば、未来を考える。

失敗の反省

さっきのに似ているが、終わったことを引きずらない/引きずれない。

やってしまったこと/起きてしまったことを今になって批評してもそれは何とでも出来る。

自身が批評することはないが、他人から批評されることも好まないし、批評されても響かない。

他人の批評も得意ではなく、褒めることがうまく出来ない。

人は常に最善を尽くして生きていると思っている。
それが常に最高の結果を生むとは限らないし、それが常に最善であるように他人に見えないかも知れない。
自身の観点だけを頼りに批評できない。

最後に

私はずっとこの考え方だった。
もしかしたら、小学生の頃からかも。

テストの点数が悪くて怒られても意味が分からなかった。頑張った事実より点数が悪かったと言う過去の結果に対して非難される意味が分からなかった。

出来なかったものは出来なかっただけ。
次のテストに向けて頑張ろうというなら分かる。
しかし、なんで80点なんだと言われても、採点したら80点だったとしか言えない。

最善を尽くしたのだから。

そんな中、出会ったのがアドラーだった。
解釈を間違っているかも知れない。

しかし、私は近い感覚だと思った。
少し救われた気がした。

似て非なることかも知れないが、同じような感覚の人がいれば、少しは救いになるかも知れない。


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