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[Portugirl]~EU最西端での小娘ひとり旅奮闘記~[003]

前回の続き。 ( 最初から読む

2018年4月26日

 自分でも驚くほどの睡眠だった。なぜぶっ通しで14時間も寝れたのか。
しかしギリギリの気力でアラームをセットしたおかげで、シャワーを浴びて今日のシントラツアーには余裕で間に合った。

 今回どうしてもシントラレガレイラ宮殿ロカ岬に行きたくて、このAirbnbのツアーを申し込んだ。ツアーホストはALEX。四年前にポルトガルに引っ越してきてからシントラが大のお気に入りになったらしい。彼がミニバンで私とその他のツアーメイトを連れて行ってくれる。集合時間は8:20の8:30出発。シントラまでは30分ほどで着く。

集合時間前に到着しているのはどうやら(日本人の)私だけのようだった。

 集合時間にALEXは約束通りミニバンに乗って現れた。

まだミートする前、車のフロントガラスを丁寧に拭く姿を見て思わず前職を思い出したと同時に親近感に似た好感を持った。

 車から離れこちらに向かって歩いてくる。すると徐々にツアーメイトが集まりだした。今回はMAX8名の満席。日本人の私と、カナダのトロントから来たJacinta(42だというが全然見えない)、フランスのLyonから来たRemi&Violaineカップル、アメリカのMaineとPortlandから来たKyle兄弟(ヘビメタファッション)、そして最後に遅刻して現れたのはフロリダから来たNancyDavid、そして一歳半のLiamだ。

 ミニバンに個性豊かな仲間を乗せ、一路シントラへと向かった。ALEXと英語ネイティヴによる会話回しは到着まで果てしなく続き、アンネイティヴで劣勢の私とフランス人カップルRemi&Violaineは時々参戦するに終わった。途中渋滞にはまりながら、古都シントラへと到着。

 シントラは高台にあるので、山の山頂付近と海側とリスボン側とで気候も異なるらしい。
山頂にはよく霧がかかってしまうらしく、この日も若干ガスっていた。

 一度路肩に車を停め、街中を歩いてみることに。白いお城は今や警察の施設だったり、シントラは昔から貴族の住む場所だったので、そこら中に城があるからいつでもどれかしらが売りに出てるだの、マドンナが欲しいと言ったお城や、彼女がタダで泊めてもらった高級ホテル、文化の中心だったシントラらしく、詩人バイロン卿のお家や、著名な文化人や貴族が好んで移り住んだのも頷ける静かで緑豊かな街だった。



 シントラ宮殿の目の前にあるポートワインのお店でALEXがみんなにジンジーニャというポルトガル名物のサクランボのリキュールをおごってくれた。チョコレートでできたカップに注がれたジンジーニャ。それをショットグラスに見たてて一気に飲み干した後はチョコのカップを食べる。お酒自体は甘くて飲みやすい。ポートワインもそうだが、ポルトガル人は甘いのがお好きなんだろうか。なんにせよ、このお酒にチョコというチョコレートボンボンを彷彿とさせるジンジーニャは、チョコ好きの私にとってクセになりそうだった。



 次に寄ったのはピリキータというエッグタルトの有名な老舗のpâtisserie
王室に献上していたというくらい歴史のあるお店だ。ここではお店に入って入り口にある番号札を取ったらレジ横上にある液晶に自分の番号が表示されたら注文するという仕組みだ。
ここではもちろんエッグタルト(他では食べれない本物のエッグタルトBy Alex)を食べてみることに。確かによくあるあの甘ったる〜いエッグタルトではなく、甘さ控えめで、個人的には和菓子に近い食感だった。



 車に戻り、ついに待ってましたレガレイラ宮殿へ。ここは貴族が建てたお城で、私は写真を見たときからここをドラクエのお城と勝手に名付けていた。このお城は、お城内部よりも庭園にこそ秘密がある。実はこのお城の持ち主はかの有名な国際秘密結社フリーメイソンのポルトガル支部長。ポルトガルの拠点だったのだ。


 庭園にはその儀式に使われたとされる場所がいくつかある。実はこの宮殿が一般公開されたのはほんの15年前で、もしかしたらそれまでぎりぎり使われていたのかもしれないと思うと実に少年心くすぐられる。(私は女ですけどね。



 儀式には火、水、空気、光を使っていたらしく、それらの要素を兼ね備えた井戸、洞窟、その出口にある焚き火場が今も残っており、見て回れる。真っ暗な洞窟を進むとき、足元に微かに光る灯りを頼りに、Alex率いるツアーメイトと進む感じはさながらRPGのようだった。

上から時計回りにAlex, 私, Jacinta, Remiカップル, Liam, Nancy&David, Kyle兄妹




 お城の内部ももちろん見て回ったが、やはり見所はお城の外部、庭園や洞窟にあると思う。インスタ映えが流行る昨今、ここが彼らに群がられないことを祈る。



続いて車に乗って移動したのはペニーニャという高台。

ここから大西洋が見下ろせる。


 高台にあるだけあって風がものすごい勢いで吹き荒れる。だが上を見上げると手を伸ばしたくなるくらい近く感じる。雲がもうすぐそこだ。風の強さで頭上の雲が結構な勢いで流れていく。寒すぎて写真だけ撮ってみんなで眺めを楽しんだ後は速攻足早に車まで戻り、場所を変えてピクニック。



 周りを巨大な岩に囲まれたとてもファンタジーな空間に、ポツンと壊れかけのピクニックテーブルが一つ。ホビットやハリポタにでも出そうな場所だなと思っていたら、「あぁここよく撮影で使われたりするよ」とどんぴしゃりな回答が。行けばわかるがそれに頷けるような場所だと思う。



 そこにみんなで壊れかけのテーブルを囲んでパンにオリーブオイル、チーズにハム、そしてグリーンワインで乾杯した。一歳半のベイビーリアムはお気に入りの棒切れをゲットし、二刀流で我がもの顔で森を駆け回っていた。間違いなくあの場にいた誰よりも、あの森を楽しんでいたと思う。


 食事を終え、再び車に乗り込んで向かったのはついに最後の目的地。先ほどのペニーニャよりも強い風が吹き荒れるヨーロッパ大陸最西端ロカ岬だ。


 ここまでとは想像しておらず、ワンピースで来てしまった私は急遽ストールを巻きつけてマリリンにならないよう応急処置を自分に施すことに。腰に巻きつけたものだから腕が無防備になった。寒すぎて思わず日本語で叫んだりもしたが、天気はすこぶる良いので風の冷たさだけ。なんとか我慢できた。



 全員無事車に戻り、リスボンに戻ったのは2:30すぎ。JacintaをAirbnbの場所で降ろして、今朝の集合場所で解散。みんなと名残惜しく別れ、皆お互いの場所に行くことがあれば連絡して会おうと再会の約束をした。ここまでフランクに旅を共有できるから私はAirbnbを使うのがやめられない。

暮らすように旅をする。

友達と出かけるように旅をする。

程よい距離感でこのスタイルが私は好きだ。



 さて、リスボンに戻り、やることが特に思いつかなかったのでグーグルマップを開いて、まだ行ったことのない事前にピンを打っておいた場所へと行ってみることにした。

 今いる場所から宿に戻る場合、坂をひたすら登るのが最短距離だが、それもしんどいので、サンタジュスタのリフトで眺めを楽しんでから戻ることに。


が、しかし、

このリフトには思わぬ盲点が。

 なんとこのリフト、1度に運搬できるのが20人で20分ごとの運行だという。当然チケット待ちの列も伸びる。1人で並ぶこと約1時間。ようやく順番が来た。

 明日にも天気は曇る予報だったので意地でも登って良かったと思う。登ってさらに上の展望台には別途1.5ユーロ必要だったが景色は確かに良かった。


 そのまま歩道橋みたいな渡り廊下を渡って下って行くと、ショッピングエリアに行き着いてしまった。日本未上陸のスペインのブランドがあったので、ダメダメと思いつつも吸い寄せられるように中へ。気付いたときにはその手にショッピングバッグを握っていて、こりゃダメだと思った。反省しつつも満足。心の中で葛藤しながらまた坂を上る。途中で知り合いへのお土産もそこそこゲットし、疲れたので一回荷物を置きに宿へ戻った。

 携帯の充電を済まして夜20時前、バイロアルト地区へと歩いて向かった。歩いて10分ほどの距離。ポルトガル音楽であるファドを聴きたく、それが聞けるファドハウスを見て回った。

 ファド(ポルトガル語: fado [ˈfaðu])は、ポルトガルに生まれた民族歌謡。ファドとは運命、または宿命を意味し、このような意味の言葉で自分たちの民族歌謡を表すのは珍しい。1820年代に生まれ、19世紀中ごろにリスボンのマリア・セヴェーラ(英語版)の歌によって現在の地位を得た。日本では、ファドは女性が歌うものとの認識が強いようだが、実際には性別に関係なく歌われる。また、ファドは暗く悲しいものだという誤解をもって紹介されることも多いが、我が町を賛美したり、街のうわさ話などを題材とした陽気なファドも数多くある。首都リスボンと中北部の中心都市コインブラでそれぞれ独特のファドが育まれ、コインブラのそれはコインブラ大学の学生たちのセレナーデとして存在している。日本でよく語られる「リスボンのファドは暗く、コインブラのファドは明るい」という説も、大きな誤解である。2011年にはユネスコの人類の無形文化遺産の代表的な一覧表に記載された。(Wikipediaより引用)


 女1人でもすっと入れて満足できる場所を探したが、なかなか見つからず、結局事前に調べていた観光客向けのところへ行った。ミニマム26.5ユーロからで、1人でも笑顔で暖かく迎え入れてくれた。


 席も1人席でなんとステージの目の前。角に位置していて左の柱のおかげでツアーのお客さんをあまり視界に入れることなく楽しめた。ハーフボトルのヴィノヴェルデを頼み、バカリャウのBrazスタイルをディナーに頂いた。ステージが始まる前に大体食べ進められた。ウェイターのお兄さんや、私のテーブル担当のおじさんも通りすがるたびにウィンクしてきたり、声をかけて構ってくれるので1人でも楽しく過ごせた。


 肝心のファドは初めて聴いたが、想像と違ったというのが正直な感想。
観光客向けのところだったので哀愁漂って静かに聞くファドではなかったが、ファディスタと言われる歌い手は新人、中堅、ベテランと20分おきに交代でそれぞれ見事な声量で歌い上げていった。悲しいファドではなく、全体的にアップテンポな曲が多かった。聞いていて手拍子が起こるくらい楽しいファドだった。

(Fadoについてはまた後日まとめて書きます。)


 22時前にお店を後にし、ステイ先のホスト、Alexオススメのジャズハウスへ。22時オープンで22:30スタートだったので余裕だったが、疲れ果てたのと、ルート的に坂道が多かったのでタクシーを拾って向かった。

が!!!

このタクシーがハズレだった。

 遠回りするし、会計するとお釣りがないと言い出し、こちらが諦めるのしつこく粘るし、お釣りを通りすがりの知り合いタクシードライバーに崩してもらうも、まだお釣りが足りないのにまだぼったくろうとするし、挙げ句の果てには英語通じないふりもする。

 若いアジア人の小娘だからって見くびられては困る。頑張って英語で捲し立て、そっちが私にはわからないポルトガル語で話すなら日本語で抗戦。結果、ちゃんとお釣りの金額耳揃えて払ってもらった。

降り際にチップまでせがまれたが、

お前に払うチップはねぇ!!!!



リスボンまでの道での教訓。

苦労してたどり着いた先には何かがある。


トラブルを楽しむ。

 おかげでこの日の夜聴いたジャズはいいセッションだった。入り口で10ユーロ支払い、席に着く。最初こそ人もまばらだったが、すこしずつ人が増えてきた。今夜はピアノとコントラバス、ドラムの3ピースで、素敵なおじさまたちの奏でるポルトガルジャズは聴いていてとても心地よかった。特にドラムの見たこともないバチで叩き出される音、見たこともない楽器?(大きな数珠)をスネアの上でごしごしして泡のように出される音、面白い演奏だったので思わず釘付けにされた。


 23:30、演奏が終わり、外に出る
 月明かりが眩しい夜だった。タクシーに乗って帰ろうかと思ったが、直前のトラウマがあるので歩くことに。日付が変わるまでには宿に着いたが、もう方向感覚が十分に養われ、地図見ずとも歩けた。治安も昼間にたくさん歩いたおかげで、危なそうな場所は避けてスタスタ歩いて、ファドとジャズの余韻に浸って帰った。


つづく。

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