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早期退職は爆発だ!(岡本太郎風)

会社を辞め「さて何をするか?」と思った今年のお正月。Twitterをだらだら眺めていると川崎フロンターレ (サポーターなもので)から名古屋グランパスに移籍する齋藤学選手が、岡本太郎の「自分の中に毒を持て」を読んでその中の言葉が刺さりまくったと言う記事がありました。

記事に書かれた斎藤さんの受け止め方は正直あまりピンとこなかったのですが、なんとなく「この本は、今、読む必要がある本かも」という気はして、すぐにKindleでダウンロードしてページをめくり始めました。

45歳の私にとって岡本さんというとテレビ番組やCMに派手な格好で出てきて、目をひん剥いて「芸術は爆発だ!」を代表とする、よくわからないことをいうおじいさんというイメージ。

ただ、この本を読み進めると彼の生い立ちのこと、パリのこと、恋のこと。彼の生きてきた道程がときに彼特有の激しい言葉とともに綴られています。

本を読み進めるうちに「芸術は爆発だ!」と彼が言っていたことの本当の意味は、芸術に限らず「自分の中に内在する衝動や欲求を解き放つこと」のように思えてきました。彼はそれを「爆発」と言っていたのだと思えてきました。

「自分に忠実と称して狭い枠のなかに自分を守って、カッコよく生きようとするのは自分に甘えているにすぎない。」

「その瞬間にすべてを賭けろ」

昨年の7月、勤めていた会社の早期退職プログラム(その会社では早期退職とは言ってませんが)が発表されたとき、僕は「とにかくこれをつかまねばならない」という衝動にかられました。

「ここではないどこかに行くとしたら、このチャンスしかない」と。

一方で「ここではないどこかに行きたい」という自分の思いは、ただの幼稚な願望であるようにも思いました。「21年勤めてきて、それなりのポジションにもいる。隣の芝生が青く見えているだけなのではないだろうか」とも思いました。

でも、やはり衝動を抑えることはできませんでした。

岡本さんはまた言います。

「(今日の芸術は)うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」

「うまい」とか「きれい」というのは何らか人が作った尺度に対して合っているということであって、そんなものには価値はない。そういう迎合や付き合い、調整を排して、衝動を余すことなく映し出したものこそが美しい。それがたとえうまくはなくとも、きれいではなくとも美しいのだ。と彼は言っていると私は理解しました。

その点で言えば、私の21年間のサラリーマン生活は「うまい」こといってたし、「きれい」にまとまっていたように思います。会社からして名前を言えば誰でも知っている会社(評判悪いけど)、けっこうな給料、そこそこのポジション。それまでも「うまく、きれい」にいっていたし、おそらく今後もそれが続いていったように思います。

私はそれを望んできたし、それでいいと思ってきていました。でも、本当の私はそんな「うまさ」や、「きれい」さ、に辟易していてたように思います。

この『会社』という枠組みを外したときに、

自分は何がしたいのか。

自分には何があるのか。

自分には何ができるのか。

その問いを確かめたいという衝動と、欲求ははまさに「爆発」であって、いまだに合理的な「辞めた理由」はわからないけれど、これこそが「自分の中に内在する衝動や欲求を解き放つこと」だったという確信はある。

実際、少し「あの生活」に未練があるように思うこともありますが、そんな思いにも岡本さんは答えを残してくれています。

「人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。僕は逆に、積み減らすべきだと思う。財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、帰って人間は自在さを失ってしまう。」





しがない(ほぼ)無職の中年ですが、サポートしていただけたら喜びます。