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【映画評】 旧ソビエト連邦、崩壊へと揺らぐ時代のSF ゲオルギー・ダネリヤ監督『不思議惑星キン・ザ・ザ Kin-dza-dza!』

ローテクの塊と言っても過言でないような旧ソ連邦で製作されたSF映画、ゲオルギー・ダネリヤ『不思議惑星キン・ザ・ザ Kin-dza-dza!』。現代のSFXを駆使したSF映画を見慣れた者の眼にはどのように映るのだろうか。隔世の時代感覚に、驚きを隠し得ないだろうか。

SFの代名詞といえばジョージ・ルーカスが初代『スター・ウォーズ/新たなる希望』(1977)。初公開時の邦題は単に『スターウォーズ』なのだが、実はこの作品、シリーズの第4話ということらしく、本来の第1話である『ファントム・メナス』は1999年の発表と製作が前後している。

ここで、《スター・ウォーズ》シリーズ製作の時系列にさておき。『不思議惑星キン・ザ・ザ』に話を戻そう。『スター・ウォーズ/新たなる希望』とのハイテク度と比べると、『不思議惑星キン・ザ・ザ』はそれよりもずっと前の製作のように思えるのだが、製作年を見て驚く。製作は初代『スターウォーズ』の約10年後である1986年。
1986年のソ連邦といえば、4月に起きたチェルノブイリ原発の大惨事。その4年前の1982年、ソビエト連邦最高指導者であるレオニード・ブレジネフの死とその後の綱紀粛正による立て直しの破綻とソ連邦の混迷。その現象は1986年のアフガニスタンからの撤退、1989年のポーランド人民共和国の崩壊、同年のベルリンの壁の崩壊、そして1991年12月21日のソ連邦の崩壊へと、社会主義圏は雪崩を打つかのごとく歴史の変革を見ることになる。『不思議惑星キン・ザ・ザ』もそんな歴史の流れの中で解釈する必要があるだろう。

1957年の人類初の無人 人工衛星スプートニク・ショックで知られるように、宇宙への第一歩を標したのはアメリカではなくソ連邦であり、1961年、初の有人宇宙船ウォストーク1号に成功したのもソ連邦である。ウォストーク1号のガガーリン船長の「地球は青かった」という発言はあまりにも有名である。この文脈でいうならば、初代『スターウォーズ』はソ連邦にこそ相応しいともいえる。しかし、初代『スターウォーズ』製作年代のソ連邦のSF映画といえば、タルコフスキーの『惑星ソラリス』(1972)、『ストーカー』(1979)を思い出すし、ソ連邦崩壊への途上である80年代という時代は、ゲオルギー・ダネリヤに『スターウォーズ』のようなエンターテイメントとしてのSF冒険活劇を許さなかったのである。

ところで、宇宙船は格好いいと刷り込まれているわたしたちなのだが、『不思議惑星キン・ザ・ザ』に出現する宇宙船は、産業の近・現代化の残滓、産業廃棄物と見紛うオンボロ宇宙船である。それは、『スターウォーズ』と対極にある無残なほどのスクラップといってもいい。だが、構成主義や前衛の洗礼を受けたソ連邦の芸術の反映なのだろうか、単なるスクラップに終わらない。それはどこかシュール、というか、釣鐘型の無骨な宇宙船が空に浮かんだショットなどはまるでルネ・マグリッドの絵画を見ているかのようで、超現実的な映像とすら思える。宇宙船乗組員のマシコフ(スタニスラフ・リュブシン)とゲデバン(レヴァン・ガブリアゼ)がワープした惑星プリュクの異星人の話し言葉は「キュー」と「クー」のみで、前者が罵倒語で後者がそれ以外でありながら、高い知能を持ち、さらに、惑星プリュクが砂漠というのも興味深い。
美術史で「砂」のイメージが多出するのは1920〜30年代のシュールレアリスム、そして1960〜70年代のSFやサイケデリックブームである。『不思議惑星キン・ザ・ザ』はそれよりも遅れてきた作品だけれど、崩壊したソ連邦ならではの砂漠という設定である。仮に、これがアメリカだとしたら、果たしてこのような映像を撮ることはできただろうか。アメリカの資本主義的ヒューマニズムからは、このような前衛は生まれでないのではないかと。もっとも、サイケデリックブームはアメリカ西海岸起源であり、ベトナム戦争との関連で述べられることが多いから、わたしの推測も怪しいけれど。

会社から帰宅したマシコフが、妻から「パンとマカロニを買ってきて」と頼まれる冒頭の設定も非アメリカ的である。買い物という日常とSFとの融和性の発想、これはテレビ怪獣ドラマ『ウルトラQ』シリーズを生み出した日本なら可能かもしれないけれど、アメリカでこのようなすっとぼけた発想は不可能に違いない。なぜなら、アメリカのSFは、日常からの遊離を前提とした物語として成り立つからである。「パンとマカロニ」の延長にSFは立ち現れないのがアメリカである。

モスクワの冬の寒さに凍える、裸足の自称異星人に靴下を履かせるというのも、超現実的なコメディーである。それに、ライターではなくマッチが貴重品という設定など、アメリカの発想にはまずありえないし、企画が通るはずもない。このような発想は非資本主義的、非アメリカ的であり、社会制度の瓦解へと向かう混沌とした世界(良く言えば受容可能態の柔らかな頭脳)の住人の思考は興味深い。
日常(生活)と非日常(SF)が一つになることで、世界との共示的表現を発生させるという、混迷のソ連邦とはいえ、さすが社会主義リアリズムを経由したSF映画であると、彼らの超越した思考に恐れ慄きながらも笑いをこらえきれずにいた、腸捻転を起こすギリギリの135分であった。

(日曜映画批評家:衣川正和🌱kinugawa)

ゲオルギー・ダネリヤ監督『不思議惑星キン・ザ・ザ』トレーラー


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