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【映画評】 鈴木卓爾『私は猫ストーカー』

「猫派? 犬派?」と聞かれたら、わたしは即座に「猫派!」と答える。
懐いてきたときの猫も可愛いけれど、不意にそっぽを向かれたときの切なさがツンデレのようでなんともいえず良い。心を寄せる女性から、「ふんっ」とされたときの気持ちと似ていて、たまらなく心を刺激する。

猫を飼いたい気はするけれど、うちのマンションは動物飼育禁止。それに、動物を飼うと長期の旅行はできないし、健康保険のない動物は病気に罹ったとき、経済的にきついものがある。それから、子どもの頃の飼っていた犬が死んだときのことを思い出す。愛するものの死は人間だけ、という気持ちがある。

ハルは猫を追いかけ町をさまよい、鈴木君はハルに話しかけたくて彼女の前に出没し、古本屋の奥さんは夫が昔の恋人に送った本のことが気になって家出までし、真由子は古本屋夫妻の様子が気になって仕方ない。そんな中、古本屋の飼い猫のチビトムは何かを求めて行方をくらます。みんなは、自分じゃなくて、自分にはないもの、自分とは違ったもののことが気になって仕方ないのだ。そこには、愛おしさの、気にしはじめるとどうしようもなく気になる憎めない眼差しがある。みんな、ユーモラスでゆるーい、それぞれのストーカーの日々を過ごしているのだ。生きているものはいつかは消えていくのだから、目の前のいのちへの眼差しは切ない。それはもしかしたら、目の前の存在の、もう少し向こう側が見えてくるかも、というざわざわするような予感を抱く、わたしたちの生活そのものなのかもしれない。本作の登場人物たちは、猫が好きな人もそれほどでもない人も、みんな、生まれながらの猫ストーカー的日々を生きている。
犬ストーカーはありえないけれど、猫ストーカーは愛おしい。

うちのマンションの自転車置き場に野良らしい猫を見かけることがある。しかし、警戒心が強く、人を見つけた途端、素早く行方をくらます。日向ぼっこをしながら、うつらうつらしているゆるーい猫っていないものかなぁ。

本作の原作である浅生ハルミン『私は猫ストーカー』は読みたいと思っていたエッセイ。映画を見た機会に読んでみようか。

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

鈴木卓爾『私は猫ストーカー』予告編


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