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【映画評】 デヴィッド・ロバート・ミッチェル作品に通底するもの。『イット・フォローズ』『アメリカン・スリープオーバー』

(写真はすべてポニー・キャニオンから)

デヴィッド・ロバート・ミッチェル(David Robert Mitchell)監督の名を耳にし、わたしたちはどのような作品を思い浮かべるだろうか。多くの人は『アメリカン・スリープオーバー The Myth of American Sleepover』(2010)だろうけれど、人によってはそれに続く『イット・フォローズ It Follws』(2013)や『アンダー・ザ・シルバーレイク Under the Silver Lake』(2018)ということになるかもしれない。現在(2021,3)のところ、少なくとも日本では、この三者択一ということになる。思い浮かべる作品がどれであるかは、最初に見た作品が何かであるに過ぎないのだが、そのことによる監督への印象はずいぶん違うものになる。『アメリカン・スリープオーバー』は青春期の淡く恋話と友情譚であり、他の二作品はキリスト教の罪の観念を題材とした作品である。一作目と他の二作品の違いに、三作品すべてを見た者は、同じ監督の作品とは思えない、と驚きを隠せないかもしれない。だが、性、水というタームで括れば、そこには通底するものがあることに気づくだろう。

『イット・フォローズ』はタイトル通り、〝それ〟が追ってくることからの少女の慄き、恐怖の物語である。そしてこの作品がホラーなりえているのは、〝それ〟が不可視だからである。〝それ〟は黄色い服として少女の目を通し一度示されることもあるのだが、それは表層として顕現しているというに過ぎず、存在としては不可視である。しかも、不可視の〝それ〟は性行為により感染する。この場合の感染とは移動、〝それ〟を自己の体内から他者の体内に移動させるということであり、それが、〝それ〟から逃れる(完治する)唯一の方法である。

ヒロインである少女ジェイ(マイカ・モンロー)はすでに感染している。そのことは、映画冒頭、〝それ〟に追われた少女が、夜の海岸で両親に電話をし、泣きながら「ごめんなさい」と何かを懺悔しているシーンで分かる。これは、婚前の姦淫の贖罪と読んでもいいだろう。さらに海岸という水辺、少女の水浴、簡易プールでの〝それ〟の浄化への接近の試み。これは、現代フランスを代表する中世史家ジャック・ル・ゴッフの著作『煉獄の誕生』(法政大学出版)に見る「水をくぐる」という西洋思想に見るように、水による浄化は、罪と贖罪をめぐる重要なテーマでもある。そして、性に関して奥手の少年ポール(キーア・ギルクリスト)の存在。ポールは密かにジェイに心をよせているのだが、自分の気持ちを伝えることができない。ポールは〝それ〟に感染したジェイを助けるべく、ジェイと交わることを決心する。実は、ジェイも恋人ヒュー(ジェイク・ウィアリー)と肉体関係を持ち、すでに感染しているヒューの悪意ある謀らいにより、〝それ〟の呪いを移されていたのだ。彼女は〝それ〟に感染するからとポールを拒む。だが、ポールはジェイに想いを告げ、彼女は彼の気持ちを受け入れる。そして、彼はジェイの罪の償いを身をもって引き受けようとするのである。

デヴィッド・ロバート・ミッチェル『イット・フォローズ』-2ポニーキャニオンから

『イット・フォローズ』における「性」「水」のテーマは、実は『アメリカン・スリープオーバー』を源泉とするものであるに違いない。だが、そこではいくぶん様相を違え、青春期の淡い戸惑いというか、宗教とは別の地平にある〝神話性〟を纏っている。『アメリカン・スリープオーバー』のプールの水辺での恋話や男ともだちとの水浴は、宗教性とは異なる地平にあるものの、水をくぐるという『イット・フォローズ』に先んじてあると言えないだろうか。

デヴィット・ロバート・ミッチェルの長編デビュー作『アメリカン・スリープオーバー』(2010年)については下記の記事を

(日曜映画批評家:衣川正和🌱kinugawa)

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