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【映画評】 ナタリー・エリカ・ジェームズ『レリック 遺物』 皮膚の下の聖遺物

ナタリー・エリカ・ジェームズ『レリック 遺物』(2020)

日系オーストラリア人である監督ナタリー・エリカ・ジェームズ。彼女が子供の頃に訪ねた、母の故郷である名古屋市郊外にある築150年の古民家。そこには祖母が住んでおり、彼女の家が醸し出す独特の雰囲気、それは夢に現れ出るほどの恐ろしさだったという。そのとき、大好きだった祖母は認知症になっており、彼女の変わり果てた姿に強いショックを受けた。そのことが本作の出発点、着眼点となったという。

人は歳を重ねるにつれ老い、その老いは時とともに加速し、ときにはその恐怖に(本人だけでなく家族も)襲われる。誰もそのことから逃れることはできない。たとえ認知症でなくても、老いることで記憶にまつわるさまざまな事態が発生する。

記憶にまつわる事態とは物忘ればかりではない。ときには時系列の混乱や突出した時間、そして記憶の再現による新たな現在時制の発生が現れることがある。つまり、突出することによる非物語性や時間の錯綜が現れる。それは時間の真の再現ではない。『レリック 遺物』は認知症となった老女の変形・変質した記憶の痕跡の総体、それをrelic「遺物」と名づけ、ホラー作品に変換した。

本作は、森に囲まれた家にひとりで暮らす祖母である老女エドナ(ロビン・ネヴィン)をめぐる物語である。エドナが突然姿を消したことをきっかけに、老女の娘である母ケイ(エミリー・モーティマ)とケイの娘サム(ベラ・ヒースコート)がエドナの家に駆けつける。エドナは突然、帰宅するが、彼女は別の“なにか”のように“変貌”しており、エドナの家にも不穏な気配、彼女が何かに苦しんだ気配がただよっている。

本作は単なる老い、認知症、家族関係といった事象では終わらない。娘による看病といったジェンダーや、とりわけ限られた状況下にあるパニック状態の人間を描く閉域のホラー、ソリッド・シチュエーション・ホラーとして描かれる。そこには老女の記憶の再生過程のなかに記憶の埋葬という行為(たとえば家族写真を土に埋める)も発生し、その結果、祖母・母・娘の身体は不気味なものとして生成される。その現象はまさしくホラーである。母ケイと娘サムは祖母エドナの本来の姿を再生させようとするが、老いの不気味さゆえの必然として、変わり果てたエドナと彼女の家に隠された「暗い秘密」が、2人を恐怖の渦へと飲み込んでゆく。「暗い秘密」はケイやサムの知らないエドナの記憶とともにあり、不穏な“なにか”を先鋭化させる。

さて、relicには「遺物」の他、「思い出の品」、「聖遺物」の意味がある。本作は老いという人生の行末の、残酷なまでの悲劇性を描きながらも、最後には、祖母エドナの皮膚とその下に隠された人の真の原型、認知症になってもなお失っていない優しい姿を呈示する救済の物語でもある。それはまさしく、単なる「遺物」を超えた彼女のrelic “聖遺物” であるといえる。皮膚の下に隠されている、エドナの本性としての聖遺物。その聖遺物から、ケイトとサムが見失った物語と言葉を再生させることの重要性を読みとることもできるヒューマンドラマである。そして、身体は立つのではなく倒れる(横臥する)ことを本性しており、身体に刻まれた罪悪感や後ろめたさを思い知らしめることの重要性を気づかせてくれる作品でもある。

最後に、音について触れておきたい。
静かに流れる不穏な音楽(電子音)、そして古い館の扉の開閉音、水の漏れる音、床の軋む音、等々。それらはいま進行している不穏な時間、もしくは間近に起こるかもしれない“なにか”の予感、つまりホラーの生産機械としてある。だが、もし音楽(電子音)をなくし、古い館から自然発生する環境音だけに限定したら、音声による恐怖感は別の様相を発生させたのではだろうか。人里離れた古い館の老婆、母、娘の女三人、その存在がより際立つように思えた。映画というものは音楽を要請するのだろうか。音楽なしのバージョンを見たいと思う。

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

ナタリー・エリカ・ジェームズ『レリック 遺物』予告編


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