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「まだ頑張れる」はすでにもう限界だった話

今日は最近の私のお話を。
実は、今年の2月頃から少し自分自身がもろくなってしまいました。

約1ヶ月、十分な休息をいただき、少しずつ文字が読めたり、言葉にしたりすることに抵抗感がようやく少なくなったところです。

私の場合ですが落ち込みがひどい時は、たいてい手帳が書けなくなり、文字が読めないので本が手に取れなくなります。こんな風に自分のSOSサインを自覚しておくことも大切なコーピング材料となりますね。

頑張りたい。こんな風になりたい。などたくさんの理想を大切に抱えて日々を過ごしていても人間なのでキャパは存在します。

ちなみに、ここから話す全てに通ずることは、誰かから押し付けられたものによるキャパ越えというわけではありません。

「自分でキャパを把握しきれなかった」ことによるものです。

私の今の率直な言葉たちが自分のキャパに対して意識を向ける、自分のSOSサインを考える。そんなきっかけになれれば嬉しい限りです。


「まだ頑張れる」と言った瞬間涙が出た

今のままの自分じゃだめだ。もっと力になれる人になりたい。

そう思って「私はまだ頑張りたいんだ」と周囲に声に出して伝えた途端、自分の限界に体が先に気づき涙がこぼれました。とっさに「こんな自分は自分じゃない」「頑張れない自分なんて認められない」と自分の本心を否定的に受け取りそうになりました。

でも、気づいたんです。

誰からも「もっと頑張れ」なんて言われていないし、追い込まれるような言葉もかけられていない。(環境は別要因としてある場合もあるので、あくまで言葉という観点で。)

誰からも責められていないのに「無意識に自分を責め続けている」と気づいたのは、ゆっくりと自分を大切にしながら過ごしていた時のことでした。

「もっと頑張らないとね」と、自分のお尻を叩くくらいであれば、こういった言葉はそれほど苦しくないですが、無意識のうちに「頑張れていない自分はダメだ」「もっと考えることもやることもあるよ。頑張らないと」と、自分を追い詰めていく言葉に変化していた。

追い詰める言葉たちが自分の中に何度も繰り返されてしまうとだんだんと息苦しくなる。しまいには「全然頑張れていないじゃん、自分の価値はどこにあるの?」と自分を突き落とすほどの刃物のような言葉になる始末。

どうしてこんなにも、自分自身の日々の頑張りを受け入れるのって難しいんでしょうね…。

人と比べたらまだまだかもしれないけれど、
それでも自分なりに精一杯向き合って頑張ったこと。

毎日頑張っている自分を受け入れてあげながら、自分の成長を見守ってあげる忍耐強さも大切だよなぁと今回の一件で強く感じています。

自分に厳しすぎる私に対して、周りの人はこんな言葉をかけてくれました。

「崩れ切ってしまったなら、頑張りたくても頑張れなくなっちゃうよ」
「十分過ぎるほど頑張っているって思っている」

自分だけでは自分のことが見えなくなっていたんだと、立ち止まって休めた時にようやく気づくことができました。

また、立ち止まる勇気が持てなかった

せっかくいただいたご縁なのに。ここまでやってきたのに。
まだ頑張りたい…と思いが強くなるほど、休む勇気を持てなかった。

自分一人では絶対に立ち止まれなかったと思うし、立ち止まらなかったのなら、さらに迷惑をかけてしまうことになっていたかもしれない。

お休みしながら罪悪感に苛まれていた時、「今少しだけ休めば、またやりたいことに本気で向き合えるよって真心が言ってくれたんだよ。」と言われてハッとした。

過去にこんなnoteも書いたが、まさに今立ち止まる勇気を持てないのは自分じゃないか…と。

しばらく無気力に過ごす日々も続いたけれど、今の私なら大丈夫。

できることから少しずつ。

自分の小さな頑張りにも目を向けながら、時には周りの人にもたっぷりと愛のあるフィードバックをいただきながら、「今日もえらい!お疲れ様」って自分へ労いのメッセージを届け続けた休息期間となりました。

実は不安に気づけただけで『はなまる』

自分の声に気づけたって本当はとてもすごいこと。決して当たり前なんかじゃない。

不安だなとか、自信が持てないとか。
羨ましいな、自分にはできないなとか・・・。

そんな自分の中にある黒く渦巻いている「何か」に気づいて、怖さを感じられるのは、おそらく「今の自分から脱皮したい」時期だからこそなんだと私は思います。

不安だとか変わりたいとか。そんなふうに感じたことは嘘じゃない。不安を感じる自分はダメなのか?というと、答えはノーです。

不安を感じている、このまま走り抜けたら自分が壊れそうな気がして怖い。どれも目には見えないから怖い。

不安は不透明な未来に対して感じるものだとわかっていても、どうにもできないことだってある。不安な気持ちに変わりないし、どうにかして今感じている不安を拭いたい気持ちでいっぱいになる。

それなら、不安は「自分自身の本音で内から聞こえるSOS」なんだと捉えれば良いんだと思うようになりました。

「よくわからない怖いもの」ではなく、自分の本音。つまり「自分の声」という認識になればよくわからない怖さは少しずつ和らいでいくはず。

どんなに受け入れ難い感情であっても、よくわからない「何か」ではなく「こんな風に自分は感じているんだな〜」くらいでOKということです。

無理に一人で決断しなくてもいい

もし一人で抱え込んでいたならば立ち止まれなかったかもしれない。あのまま立ち止まらずにいたら…なんて考えたくもないです。

やっぱり今回も立ち止まる勇気を持てなかった、自分に厳しすぎる私。

それでも前と同じように、自らを追い込まなくて済んだのは、自分のSOSサインを日頃から周りの人に共有し、無理な時に「無理です」と伝えられる環境に身を置くことができていたからなんだと思います。

私は正直「まだ頑張れる」と思っていましたが、周りから「前に話していたSOS的な行動が増えてると思うよ?無理していないかい?」と声をかけられて、「もしかしてまずい状況…?」と自覚できたわけです。

とはいえ、私はピンチの時に人から助けてもらうことに対して、かなりためらいを感じる人です。迷惑になっていたら嫌だなと強く思います。

でも、自分の特徴やしんどい時のサインをシェアする程度なら、それほど迷惑かけているという感覚にはなりませんでした。

「仕事が忙しくなると寝つき悪くなって睡眠時間が極端に減るんだよね」「手帳を書く時間が減るとネガティブ思考全開になりやすいの」「本が読めなくなる時は大体疲れてるかも…」みたいな感じ。

これまで疲労困ぱいのときや、頑張りすぎてしまったその先で起こっていた自分の行動の癖を思い出してみる。そして家族や友人にこんなことあったなぁ〜。あなたはどんなふうに過ごすことが多い?なんて話してみるのはいかがでしょうか。

自分がストレスを感じている時に起こりやすい自分自身の変化に目を向けることも立派なご自愛ですね。

環境が大きく変わっていく年度末以降。

変化に飲み込まれてしまう前に、自分と向き合う時間を10分だけでも良いので作ってみて欲しいと心から願いながら、今日も私は手帳を開いて自分のできたことをしっかり見つけていこうと思います。

今日のチャレンジ・頑張ったこと・できたことはなんですか?どんなにささやかな行動でもいいんだよ、よく頑張ったね!



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