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小説「ファミリイ」(♯42)

26.現在(7)

 激震が走った。Hが自身のインスタグラムに、恋人と別れたことを投稿した。「私は久々に恋愛できたし、遊びでなくて真っ直ぐに愛して欲しかったよ」とHは綴っていた。恋人に他の女性と同時進行をされていたようだ。これを見て僕は、自分のせいだと感じた。僕が彼女を、間接的に不幸な恋愛に追い込んだのだ。

 Hとは、春にLINEのビデオ通話を使って、リモートによる飲み会を開いた。Hから突然誘われ、それに僕が対応したのだ。Hは僕に対して、妹が結婚したので自分も結婚したいということや、僕の家族関係に言及してきた。彼女が見せてきた好意を僕は、のらりくらりと回避してしまった。自信がなかった。彼女を幸せにしたくても、経済的に不安定な僕が彼女を守っていくことなんて非現実的だと感じた。飲み会が終わり、彼女は僕のインスタグラムをフォローしてきて、僕もフォローをし返した。

 Hは、「飲み会のときの私こそ、本当の私だ」と嬉しそうにインスタグラムの二十四時間で消え、誰が見たかがわかるストーリーという投稿機能に、僕との飲み会の画像を上げていた。彼女からすればこれから僕と恋愛し、結婚へと進めていく気だったのかもしれない。しかし僕は、あまりの気の弱さから彼女のインスタグラムの投稿に一つも「いいね!」を押さず、彼女が何度ストーリーを上げてきてもほとんど見なかった。僕は君を守れないので嫌いになって欲しいと思ったり、僕も彼女への想いを断ち切ろうとしたのだ。

 一方で、僕がストーリーを上げたらメッセージのやりとりを仕掛けてくることがあった。ほとんどのやりとりを僕は自分からそっけなく終わらせてしまった。Hからすれば、まだ決めかねているものの、僕は自身の将来を委ねる最後の砦として最有力候補だったと思う。彼女が二十代を全て捧げた地元の恋人のその二番目に付き合いが長く、僕の存在は自身が三十代に入り現実的な恋愛を志向するようになった中で大きくなっていった。だからこそ彼女はたびたび期間を空けて僕に不意の連絡をよこしてきた。僕が頻繁に更新するインスタグラムを押さえたことで彼女は、僕との活発なコミュニケーションの復活を期待していたろう。

 しかし、彼女の期待は僕の弱気によってかき消され、彼女は僕に袖にされたと思い、他の男性を求めた。十月ごろHが「いい人を紹介してください」とフェイスブックに投稿をしていたのを僕は見かけている。どんな経緯か知らないが、彼女は焦って男を求めたので、どこかで口が上手く一見女性扱いの上手な、根は不埒な男性に引き寄せられてしまったのだろう。僕は彼女に恋人ができたことなど知らなかったが、秋と冬のインスタグラムの投稿で頻繁に外食に行ったりしていた様子を確認している。それを見て彼女の背後に僕は男性の気配を感じた。

 しかし、やはり焦りがこの結末を招いたのだろう。久方ぶりに燃え上がった彼女の恋心は、それが偽物であると気づかせる青く冷たい水では消し止めることができず、現れた相手の性根を見抜くこともできなくなってしまったのだろう。彼女が愛に飢え、冷静さを失って、紛い物に弄ばれ、短期間で精神を殺されたその原因は、僕が……その気がありながら彼女を受け入れようとしなかったが故に起きたのではないか。三十代という年齢は女性にとって一大事だ。僕は彼女の気持ちを知りながら、そして自分も彼女を愛しながらも女性の三十代の三年を結果的に弄んでしまったのだ。僕は、重大な罪を犯してしまった。彼女は何日も寝込んでしまっているようだった。

 僕は、こんな彼女をよそに、その主原因のくせにのうのうと投稿を続けることはできないと感じた。彼女と同じ空間を共有することが途轍もなく申し訳なく思った。僕は彼女とつながっているSNSであるインスタグラムとフェイスブックの利用の一時停止を申し込んだ。せめて彼女の傷みが消えるまで、僕は彼女の前に表れてはいけない。そして僕も一人になって、Hの苦しみを一身に受け止めてやろう。僕は彼女を幸せにすることなんてできないのだから、見守ることしかできない。崩壊家族を抱え、その家族と修復する努力もせずに縁を切った男と共に生きる人生なんて……彼女にだけは背負って欲しくない。二十三歳で出逢い、この十三年間ずっと愛してきた彼女にだけは……。

27.社会人6年目(2)

 二年ぶりの実家。東京で夢敗れた男が、三十一にもなって親の脛を齧る。あまりに情けないが、月収十五万程度では背に腹は変えられない。僕は、ビッグサイトでの展示会運営の派遣アルバイトをしながら、たった一つ、りょうまとの交流だけを楽しみに生活を送ることにした。

 異変はすぐに起きた。引っ越して二、三日も経った深夜のこと。それまでは窓高層マンションの十一階から見える山手線や企業のビル群とは雲泥以上の差がある、祖父が亡くなってから荒れ放題と化している庭にガラス戸と障子を嵌め込んだ一階の部屋で、眠りにつこうとしていたとき。廊下にあるりょうまの檻がガタガタ音を立てた。と同時になにやらりょうまの悲鳴が聞こえる。どうやらりょうまが四角い檻の角にぶつかっているらしい。その悲鳴は断続的に聞こえてくる。数日間は聞こえても気にしないでいたが、どうもその回数があまりに多く、バイトが休みの日、どうやら夜だけでなく昼間も同様に檻に体をぶつけていることがわかった。そしてひっきりなしに泣き続ける。

 「このままでは怪我をしてしまう」と、僕はりょうまの身を案じて、檻から出して観察してみた。すると、りょうまは円を描くように同じ場所をくるくる回るという行動を繰り返した。この回転の半径が檻より大きいので体を堅固な檻の角にぶつけて痛め、鳴いてしまうのだ。その場でスマホを使ってこの特異な行動を調べてみると、どうやら認知症の犬に見られる行動であることがわかった。

 翌日、近所の獣医に連れて診察してもらうと、認知症状は見られないが、脳に腫瘍を抱えている可能性があると診断された。老齢の犬や猫によく発生する病気で、一度発症してしまうと余命は長くないという。若い犬なら手術して取り除くことも可能だが、十五歳にもなると手術の苦痛に体が堪えられず、死んでしまう可能性が高い。

 りょうまの死出の旅路がいよいよ近づいてきた。僕はすぐさま檻をビニール製の円形介護サークルに買い替え、僕の部屋の扉を開けたすぐ先に置いた。円形ならぐるぐる回っても角をぶつけなくて済む。ビニール製なら転倒しても体を痛めない。りょうまは介護サークルに入って初めて穏やかに寝息を立てた。どうやらとても気に入ってくれたらしい。

 一つ気になったのは、りょうまの回転行動や檻への体当たりが始まったのが、どうやら僕が実家に戻ってきてからのように思われたことだ。僕が実家に戻った当日やその後二日間くらいは、りょうまに特に異変は見られなかった。まるで僕の帰還を見て、彼自身、「僕が帰ってくるまでは狂うまい」と気づかないうちに張っていた気が緩まったかのように、突然彼は要介護状態へと陥った。いやむしろ、僕は、彼に戻ってくるように誘われたのか? 

 前年に仕事を失ったのも、僕を実家に戻し、彼と僕自身にある互いへの未練を解消させるため。そうではないのか? 小さな妖精が、その体に不釣り合いなほどに大きく、だからこそ愛嬌がある真っ直ぐに立った三角形の耳を、そこから垂れる枝垂れ桜のような毛を靡かせて光線を発し、はるか東京の地で、狭いマンションの一室の小さなベッドで眠る僕を光で包み込む。りょうまにしか見えない白光で覆われた僕は、彼から発せられた光の筋道を徐々に徐々に追っていく。そして彼のその大きな耳元へと戻ってくる。彼は耳を僕の脚に擦り付け、再会を味わう。そして、旅立ちを受けいれる。そうか、いま気づいた。りょうまは、僕と再会したときにはもう死ぬ心づもりができていたのだ。

 りょうまは、暫くして四六時中、嗚咽するようになった。弱々しく鼻をくんくんと鳴らせ、誰かを呼ぶ。傍に行って構ってやると鳴き止むが、いなくなるとまた鳴き始める。狭いところが不安なのか、介護用ケージに入れると鳴いてしまうので、両親は最終的に介護ケージのドアを開けて、りょうまが自由に廊下とケージを出入りできるようにした。鳴き止んだが、玄関と上がり框の間にあるりょうまの体長一つ分ほどの段差の下に、回転行動をしたときに落ちないかどうかは心配だった。若いころのりょうまは軽く段差を飛び跳ねて昇り降りできていたが、今のりょうまでは足腰が弱っているせいで段差を越えられない。現に僕は、りょうまが段差の下に落下し、なんとか自力で上がろうと框に前脚をかけて唸っている姿に何度か出くわした。

 そして、三度目だっただろうか。年が明けて間もない、そろそろ展示会バイトが再開しそうな正月休みの終わりどきの朝のこと。その前々日、りょうまは廊下に糞尿をし、兄が踏んでしまうという事件を起こしていた。兄は奇声を発し、強迫性障害を抱えているので、過度なまでに清掃をし、しょんぼりとするりょうまを睨みつけ、震え上がらせていた。

 前日の夜、りょうまはまた玄関へと落下した。僕は彼を持ち上げて廊下へと戻してやった。このとき、りょうまの息がだいぶ上がっているように見えた。極寒の中で、冷たい石造の玄関床に落とされたのは体にだいぶ堪えたのではないだろうか。翌朝の八時ごろ、僕の部屋から元応接間として使っていた部屋を抜けた先にある廊下で、りょうまが床に顔を擦り付けている姿を見かけた。寝ぼけていた僕は、これまでにない彼の行動を怪訝に思いながらも、眠気で頭がよく働かなかったせいで、それが何を意味しているかを読み取れず、用を足して戻ってからまた眠ってしまった。

 昼十一時くらいに僕は再び目を覚ました。そして、廊下に出てみると、まだりょうまは同じ行動を続けていた。目が冴えていたので、今度はどんな状況なのか一瞬で理解できた。りょうまは全身に痙攣が現れていた。床に擦り付けた顔を持ち上げようとするも上がらず、必死に歯を食いしばっている。その表情は生まれてこの方見たことがないほど、自分の体が意のままに動かないことへの憎悪に満ち、まさしく鬼の形相をしていた。僕は、どうしたら良いかわからず、とりあえずりょうまを撫でた。いよいよ、彼の生涯最期の日がきた。人生の変化は、予期しないときにやってくる。この冬は越せないことはもともとうっすらと予想がついていたが、この日になるとは、前日りょうまを段差から戻したときでさえ予想していなかった。あと一ヶ月くらいは保つだろうと思っていたが、神の審判はその数時間後に下されたのだ。

 僕が撫ではじめてすぐ、これもまたりょうまが呼び寄せたのか、両親が買い物から帰ってきた。玄関から廊下へと姿を見せると、僕がりょうまを撫でている光景が目に入り、両親も駆け寄ってきた。両親はりょうまを幾度か獣医へと連れて行っていて、りょうまが冬を越せないことを知っていたようだ。三人でりょうまに声をかけながら、彼が息絶えるまで撫でた。そしてこれが、親子で最後の共同作業となった。りょうまは自分が死ぬ時間まで調節して僕と両親のわだかまりの解消を望んだ。生涯をかけて潤滑油としての機能を果たそうとしたのだ。

 しかし僕は、りょうまの死を見届けたあと、何も会話せず自室に戻ってしまった。そして、ベッドで一人、布団に包まりながら咽び泣いた。僕は、あれほどりょうまを愛しながら、一度も、ただの一度も、散歩に連れて行ってやることができなかった。単に連れていくことが気恥ずかしかった。たった一度でも、りょうまと澄み渡る空の下、一面の緑に蒲公英の黄色が点々と浮かぶ野原を、リードをつないで、彼が疲れ果てるまで駆け回ればよかった。僕の脛が、りょうまの半身が綿毛に触れ、若き芽は風に舞い踊る。りょうまは花の香りを目を瞑って嗅ぎ、芳しさに酔いしれる。もう二度と叶わないそんな夢が、いつしか眠りに落ちていた僕を取り巻いていた。

 目を覚ますとすでに夕方だった。りょうまの亡骸は、檻の横で犬用のクッションマットの上に横になっていた。微動だしなかったように見えた。亡骸はまるで眠っているように見えると言われがちだが、両親によって作られたいつもとは違う寝相から、確かに生気のなさを感じた。そう言えば、中学校二年のときに見た死化粧を施された祖父の顔も、穏やかではあるもののこの世のものとはすでに思えなかった。祖父の死後にりょうまはやってきたので、二人は互いの存在を知らないだろうが、同じ家に暮らした者としてのほのかな共通点が垣間見えた。僕は、そっとかがみ込み、りょうまの頬に接吻をした。冷んやりとした。冬の冷気とは違って心地良く、僕の唇から下を包み込むような優しい冷えだった。

 しかし、そのとき驚くべきことが起きた。僕が頬に接吻をすると、もう息絶えていたはずのりょうまが……微かに、ほんのわずか喉元が、膨れる程度に動いたのだ。すぐにうっすらと息が空気を裂く音が聞こえてきた。幻ではなかった。接吻が、りょうまを三途の川の淵から一瞬間だけでも彼を現世へと連れ戻したのだ。動かなかったはずの目に白い輝きが戻り、瞬きはできないものの、睫毛が震え、必死に僕の接吻に応えようとしている。小さな奇跡に僕は動揺し、彼が朦朧とした意識の中で動こうとしているのとは対照的に、突然生まれてから今まですべての記憶を失った青年のように、頭に空白ができ、一切動けなかった。しかし、小心者の僕は我に返るとまた部屋に戻り、この奇跡をなぜだか否定したくなってまた布団にくるまってしまった。

 りょうまの微かな吐息は父と母まで呼び寄せたのか、僕が布団にくるまってすぐに両親が降りてきてりょうまの遺体の様子を見に来た。するとあれは母だったろうか、りょうまが息を吹き返したことに気づいたのだ。両親もなぜりょうまが戻ってきたのか不思議がっていて、最期のときを一緒に過ごそうとりょうまの寝ていた犬用のクッションを持ち上げて、二階へと上がっていった。そのまま撫で続けて、二人の腕の中で看取りたいようだ。

 再び目を覚ますと、既に夜だった。起き上がってからいの一番にりょうまを見に行った。接吻はおろか手で触れなくても、その姿が視界に入った瞬間に、もう今度は本当に死んでいることがわかった。

 もう正真正銘、戻っては来ないことが。

読んで頂き誠に有り難う御座います! 虐げられ、孤独に苦しむ皆様が少しでも救われればと思い、物語にその想いを込めております。よければ皆様の媒体でご紹介ください。