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小説「ファミリイ」(♯46・最終章)


34.社会人10年目


    その日はやはり淡々とした日常の先にやってきた。僕にとって待ち侘びた朝。この灰色の瘴気溢れる空間からついに離れられる希望の朝だ。しかし、いざ引越しトラックが自宅の前にきてみると、「これでいいのだろうか?」という思いがよぎった。果たしてこのまま、家族を見捨ててよいのか? 何も家族にしてやれないまま、息子という立場を放棄していいのだろうか?

    一番の被害の対象となる母親が階段を降りてきて、僕が作業員と一緒に段ボールを外に運んでいる様子を、口をぽかりと開けながらも眉間に皺を寄せ、どこか訝しげに伺い始めた。母親が癌の切除のための入院から帰ってきてからというもの、僕は母の顔も身体も、直視することができなかった。

   この家族と過ごす最後の日に、突然現れたことによって久々に母の全体を見ることになってしまった。いつの間に、どれだけ身体が小さくなったのだろう。病院で看護師をしていた頃は背筋がピンと張っていて齢より若々しく見えたのに、いまや腰は曲がり、猫背になって、髪は薄く、色素が抜けて赤茶色になっている。顔には何本もの皺が入り、瞼は緩み垂れ下がり、すれっからしの老木のように年相応にしか見えなくなってしまった。癌が母をここまでやつれさせたのか。それとも子どもたちの反抗が、母の心を枯らしていったのか。

   母は何か僕に声をかけ、僕も応答したかと思うが、それがどんな内容だったかは全く思い出すことができない。何も未練を持たないように、記憶の彼方へと葬ったのだろう。

   引越し会社のスタッフが全ての荷物を積んだことを、僕に確認した。その聞き方からは、もう何百回とこのやりとりをしてきたであろうことが見える、度を越したスムーズさが窺えた。トラックは、一路東京へと出発した。

   ついに家族と別れるときが来た。母の姿はもう一階から消えていた。僕の生活の痕が丸ごとなくなったためか、一気に冷え冷えとした空気が漂い始めた。それはまるで、僕をもう異人として寄せ付けないかのようだった。たった独りで生きていく人生はもう始まっている。僕も、何年と慣らしたスニーカーを履き、ショルダーバッグを背負って玄関の扉を開けた。この扉を閉めたら、あとはもうこの家の中を目にすることは二度とない。

   最後に振り返って家の中をいま一度見てみた。ダイニングへと続く扉と、ダイニングと廊下とを繋ぐ引き戸が開いていて、階段前の廊下まで見渡せた。冷気は消え去っていた。生まれてからずっと眼前に見えていた灰色の瘴気も、晴れていた。どこかからりょうまが僕を見て、「行かないで」と懇願しているように感じた。さらには家族と同様に壊れかけ、今にも朽ち果てそうな檜製の焦茶色の支柱が、「本当にそれでいいの?」と問いかけてきているように感じた。青く冷たくも、どこかほんのりと温かい、すべてを包み込む太母のように。

   僕は、玄関扉を閉めた。世界は白く、眩しく輝いた。

35.それから


 視線の先に広がる東京。都心から離れたこの街も、古い建物は次々と取り壊され、タワーマンションへと建て替わっていく。疫病への対処法が広がり、人々は徐々に顔の下半分を覆う十字架を外し始めた。それを外した人は、長期にわたる捕囚から解放されたかのような晴れやかな笑顔を浮かべ、みずみずしいとは言えない東京の空気をも美味しそうに吸い取り、この都市は急速に活気を取り戻していった。

 不変なものは何一つとしてないことを象徴するかのようにこの東京は移り変わり、僕は各地に身を委ねながら、その移ろいゆく東京をあるがままに、一年、また一年と見ていく。何本もの桜が散っただろう。いくつの青い波飛沫と夜空に浮かぶ大輪の花を見ただろう。どれだけ紅葉に映える森を歩いただろう。手の指先が悴む厳寒、降りゆく白雪に髪を濡らされた日は幾日あっただろう。僕はどうすることもできない時の流れに呑まれたまま、人間関係の流れにも飲み込まれた。必然な別れを経験し、いつの間にか僕の血は受け継がれた。

36.いつか


 この文章を書き始めてから八年後。僕がいま座っているデスクの横には、五歳になる純日本人の男の子が立ち、手に持ったスーパー戦隊の人形の腕を取り外したり、ファイティングポーズを取らせたりしている。僕は、そのいつもの光景を見ることはなく、ただただキーボードに日本語を打ち続けている。

 東京二十三区西側に位置するこの一軒家の二階の書斎が僕の仕事場で、僕は、毎日、この書斎で締切に向かって文章を作り続ける日々を過ごす。平日は夜になると、週末や祝日は夕方になると、一階で妻のHが食事を準備する音が聞こえ始め、芳醇な香りがこの書斎に漂ってくる。簡素だが温もりの籠った食事を妻と息子とともに他愛のない会話をしながら済ませると、僕は少し休んでから仕事の続きに向かう。独身時代は毎日朝に眠りについていたのが信じられないほど、大体夜十二時くらいに規則正しく眠りにつく。

 長く想い続けてきた女性を娶り、遺伝子を残して、傍から見れば地味だが微笑ましい、どこにでもいる家族の形態がそこには広がっている。家族から愛を受けてこなかった男が、細やかな家族愛を手に入れて、幸福を達成したかのように見えるかもしれない。

 しかし、この会話は少ないが不幸せでもない、どこにでもある家族の形は、長くはないうちに崩壊すると僕は予想している。僕は生まれ育った家族を捨てた。今は両親や兄、姉が生きているのか、死んでいるのかすらもわからない。あの灰色の瘴気に包まれた朽ちかけの家屋が現存しているのかも、この文章を書き始めてから地元には一度も帰っていないのでわかりえない。ただ一つ僕がわかることは、いつか僕は家族を捨てた報いを受けることになるということだ。

 僕は、あの家族の遺伝子を受け継いでいる。僕の身体にはあの家族たちと同じ血が流れている。祖父母の親切に見せかけた他人行儀なところ、姉の神経質と兄の精神病質、父の知識障害、母の重苦しいほどの厳しさと優しさ……彼らの顔の造型は徐々に思い出せなくなってきたが、彼らの特徴はすべて、今も鮮明に思い出すことができる。

 その特徴は、いま僕の後ろで床に座り、スーパー戦隊の人形を弄り回している息子にもすべて受け継がれているのだ。お互いに時機が合い、孤独に打ち果てていた僕を宥めとるかのように包み込み、家族を放棄した僕を抱きしめてくれたH。彼女は、今はまだ僕への愛から僕の決断を支持してくれてはいるが、これから年数を重ねていっても変わらずに僕を愛してくれるという自信はない。愛という感情は可変的であり、必ず変化していく。

 Hはやがて、寂しさと妥協の果てに一緒になった僕への嫌悪感が増していき、僕を愛さなくなってしまうだろう。息子も大きくなり、僕に対して反抗的な態度を取るようになり、やがて自分がどう努力しても世間とずれてしまい、溶け込めず、人としての常道を歩むことのできない人間であることに気づく。批判の矛先は、世間の父親と比べて奇異な行動を見せる僕に向かう。息子は妻と結託して僕を嫌い、僕はこの家に居場所を無くす。すると僕は複数の女性とまた行き先のない交際を繰り返すようになり、憎き父同様に、息子からの尊敬を完全に失ってしまうのだ。

 僕が家族を捨てたから? 

 いや、ここまで僕の身に起きたこと、そしてこれから起こることは、すべてあの家族の元に生まれついたことに因果がある。生まれた時点で僕は、家族というものには全く愛されない人生を歩むことが決まっていた。必定なのだ。すべては必定であり、僕は家族という人間個体が生きていく上で必要な共同体からはぐれ、永遠の孤児として生きていく運命を背負って生まれてきたのだ。

 犬にも、蟻にも、露脇の雑草にも、そして細菌に至るまでどんな生命体にも、それを作り出した親が存在する。親の遺伝子は子の形姿を決め、そして一生を決める。親という同族なくして生命体は存在しえない。生まれてすぐ独りで生きていくにしても、ほとんど全ての生命体は同じ親から生み出された同じ種に囲まれている。たとえ意志の疎通ができなくとも、横にいるきょうだいによって孤独は感じない。

 だが、人間はどうだろうか? この惑星の支配者でありながら、一部の人間は生まれたときから圧倒的な孤独に追いやられていないだろうか? 言語を操る能力があるが故に人間は欺瞞を作り出し、家族の絆を破壊する。絆を壊された家族の中にいるか弱き子どもたちは、一生、得られるはずもない充足と無償の愛を求めてこの世を彷徨い続ける。そして結局、何も得られることがなく死んでいくのだ。家族がわからないから! どんな失敗や失態を犯しても守ってもらえる家族がいるという安心感を持てないから! ある者は得られなかった愛をお金で満たそうとし、ある者は異性の身体で満たそうとする。そんなことをしたとして無償の愛は得られようはずもないのに。

 僕は、家族の絆を持たない孤児として生まれてきたから、今のこの仮初の共同体が長く続くなんて、とても信じることはできない。

 数年後、妻は僕の元から息子とともに離れていき、僕はきっとまた孤児となる。いや、もうすでに僕は精神的に孤児である。圧倒的に孤立している。生まれたファミリイから、今ここにあるファミリイから。そして遠い将来、僕が老いさらばえたとき、何処かの病院のベッドの上で、ファミリイたちに囲まれ、見下ろされながら意識が遠のいていくのではなく、一人、寂れた木造アパートの一室で倒れ、白骨化するまで誰にも気づかれないか、病院を転々として、幾何学的な模様の並ぶ白い天井を見上げながら、呼吸器に繋がれて最後の時を待ち、ファミリイに恵まれなかったその境遇に絶望をしながら、自分でも気づかないうちにこの世のものではなくなるのだ。

 それが、僕、中山雅樹の運命なのだ。受け入れるしかない、たった一つの人生の向かう道なのだ。

 捨てたファミリイと今からやり直せばこの運命を避けられる? いや、これが運命なのだから、何をしても避けられない。後悔はしている。一生消えることがない後悔を。だが、引き返すことはできないのだ。

 ファミリイのいない、一人で進む荒野の先、その先には背丈の高い緑に両側を囲われた一本の細道がある。天へとつながるその美しい一筋を僕は、次の生でのファミリイの充実を乞い願いながら、歩んでいくのだ。


               終わり


読んで頂き誠に有り難う御座います! 虐げられ、孤独に苦しむ皆様が少しでも救われればと思い、物語にその想いを込めております。よければ皆様の媒体でご紹介ください。