短編小説「精励」(#1)全3回予定
一
盛夏の時分。茹で上がるような暑熱が包む真昼の東京・下町をひとり歩く中年の男。この男は、もうすぐ齢三十八になる。この年齢になっても独り身で、平日の昼下がりに、寝巻きとしているユニクロのTシャツ、ハーフパンツに寝癖のついた頭、無精髭という出立ちで都会を出歩いているなんて良い御身分だ。
差し迫った危機感などこの男には一切無いとでもいうのだろうか? いや、ある。この男は、こんな野暮ったい格好をしていながらも、一応は文士である。これまでに小説を二本ほど執筆し、そのうち一本を出版までこぎつけたことがある。全く小説の道で食べていけているわけではないが、文学の世界に片足のほんのつま先程度を突っ込んでいる、小説家の一人なのだ。ただし、男が最後に小説を完成させたのは、一年前の秋。多作であることが肝となる小説家としての序盤のキャリアにおいて、この男は約一年も新作を書けていない。ここまで懇切丁寧に前置きをすれば読者はもうお気づきかもしれないが、この男の目下の悩みとは、新作小説のアイディアが全く思いつかないことにある。
男は、東京に出てきてまだ三年目。それまでは長く千葉の実家に親兄弟と共に暮らしていた。大学を卒業してから構成作家の道を歩んだが、才能が無いのか、はたまたテレビという世界が向いていないのか、月収は平均で十数万円という期間が長く続き、一人暮らしなどできる余裕が全くなかった。同期や後輩たちが次々とレギュラー番組を獲得し、華やかな業界で人脈と実績を築いていっている中、男は薔薇も目立たなくなるほどの紅く華美な世界に馴染むこともできず、足掛け十年以上も下積み生活を送り続けた。
もとい、いま現在も下積みであることには変わりないが、ようやく東京でなんとか暮らしていけるだけの収入の目処が立ったのがちょうどその三年前のことだった。通常、独身の業界人であれば、東京なら渋谷や中目黒界隈、三軒茶屋、港区などに居を構えるのが常道ではあるのだが、この男は生来の臆病気質から、そんな日本の若者の頂点に位置する者が集うような街で暮らす勇気など出るわけがなかった。東京と言っても実家にほど近い、ほんの十分も千代田線に乗ればすぐ千葉県に差し掛かるような、二十三区の中でも外れにある街に部屋を借りた。この街に決めたのは、山手線も通る、わずかに都心に含まれる地域でありながらも、家賃がその沿線で一番安かったからに他ならない。
しかし、二年ほど暮らしてみて男が初めて気づいたことは、この地域にはかつて、多くの文士が暮らしていたということだった。芥川龍之介をはじめ、菊池寛、室生犀星、高村光太郎など、幼き頃に教科書で目にした名だたる作家たちが、偶然にも男の家の近くに、長く居を構えていたのだ。恥ずかしながら男は純文学作家としてデビューを飾った後にそのことを知った。
いまこの地域には、純文学を志向する同世代の人間はおろか、純文学作家もほぼ住んでいないのではないだろうか。もしそうであるならば、作家として彼らの魂をこの地で受け継いでいる人間は、男ひとりということになる。
男がどうやってそのことに気づいたのか。それもまた、運命的というほどの大袈裟なものでもないが、思いがけずのことであった。
二
その年の文月の初めのこと。いや、正確にはその水無月の終わり、本来であれば梅雨の只中にあったはずだが、この時期、日本列島は猛烈な熱波に襲われた。気温が四十度近くにまで上がった日が一週間以上も続き、男の暮らす東京を含め、関東一円は電力不足の危機に見舞われた。この危機は、ひとえに十年ほど前の東日本大震災のときに福島の原子力発電所が津波の被害を受け、メルトダウンに近い状況に陥ったことが原因だ。
後世の日本人のために書き記しておくが、この事故によって福島には放射線被害を受けた地域ができ、人が住めなくなってしまった場所もある。その事故以来、ときの民主党政権はすべての原子力発電所の廃炉に向けて動き出し、その後に政権を獲得した自民党も同様の政策を採った。そのため日本の原子力発電所の多くはほぼ運用を休止され、以来、事あるごとに電力不足が叫ばれるようになった。
この水無月の電力不足はかなり深刻なもののようで、政府も、幾度も記者会見を開いては、我々国民に節電要請を促した。
そんな酷暑を乗り切り、しばし、冷たい雨が、数日、帳尻を合わせたのか日本人を慰めようとしたのかはわからないが、乾ききった都会を潤すかのように降り注いだ。
そういった極端な気候に男の体調も、もう若いとは言えないが、それゆえに狂わされた。そのあと、ようやく例年並の気候が訪れ、男は狂い切った身体を元に戻す意味を込めて、外に歩きに出た。気候に身体を慣らそうと考えたのだ。
また、男はこのごろ、収入の確保にも苦しんでいた。その年の睦月、男はレギュラー番組を一本外されてしまい、月十万円の収入がいきなりなくなってしまった。クラウドソーシングサイトで細々とした記事執筆の仕事を受注し、失った十万円のうちの三万円を補填したが、マンションの更新料や住民税なども重なり、月々の収支が赤となってしまう月も出てしまった。男は生来の臆病で、それは中学校の校外学習で行ったアスレチック教室で、学級の男子でただひとりだけ、十分に足がつく深さなのに溺れるのが嫌で水上コースから逃げ出したほどの弱気の持ち主だ。
そんな意気地に欠けた男だから、少しでも赤字が出る月があると将来を悲観して寝付けなくなってしまう夜もある。もとい、これまでも幾度も仕事を外される経験はしてきたが、何度経験してもすんなりと受け入れられるほどの心境にはなれない。買い物をなるべく控え、もちろん衣服など一切購(あがな)わず、大きな支払いのない月は月一万でも二万でも、なんとか貯金をして糊口を凌いでいた。
そんな状況だから、ここ最近は、家賃八万六千のこの家に引っ越してきたことは間違っていたのではないか、まだ自分はその器ではなかったのではないかと考えてばかりいた。収入が減ったということは当然仕事の絶対量も減っているということなので、男は時間に関する貯金は豊富に持っていた。そこで、ある平日の昼、暇に任せて、普段は足を伸ばさない方面にまで散歩をしに行ってみたのだ。
田端の方面にまで歩いていくと、「高台文学村記念館」という建物があった。文士の端くれとして、その建物の字面が気になった男は、一応、近づいてみるのが礼儀だと言わんばかりに内心的には傲慢に振る舞い、しかしそれは歩みという外見には一切出さず、駅の出口の向かいに建っている、その二階建ての、新しく建てられた公民館のような構えの建物に近づいて行った。
大通りに面しているのにこの建物の辺りには誰もいなかった。入り口も、2階のコンクリート部分が出っ張った、その下の陰になった奥まった場所にあるため、通行人の目にも留まっていなかった。男も、どこからこの建物に入ればいいのか、一瞬、わからなかったほどだ。
入り口らしき自動ドアの前にあった広告を掲出する看板に、「作家・芥川龍之介と共に歩んだ家族の物語」という展示会のチラシが貼られてあった。会場は、いま男が居る高台文学村記念館で、日程を確認すると、現在、まさに会期中であった。
芥川の築き上げた名声、その文壇に置ける地位と男のいまいる位置とは、まさに天地ほどの差がある。加えて、男は芥川の作品を未だ嘗て一度も読んだことがない。偏見に満ち満ちていることは重々承知の上だが、男にとって芥川の時代物の作品や妖怪・冥土風物的な作品はどこか性に合わない感覚があったのだ。
只、それでも一介の文士として、こうして近隣で展示会が行われていることを、斯様な全くの不意の形で知らされたのであれば、そこに男は運命的なものを感じざるを得なかった。天邪鬼な態度を取って忌避するのではなく、また、この地に二十一世紀のいまも文士として暮らす身として、何か義務めいたものを感じた男は、その展示会に立ち寄ろうと思い、入り口に近づいた。
生憎、すでに夕刻の五時を回っていたため、その日はすでに閉館していた。拍子抜けし、どこか彼の作家に弄ばれた感覚が沸いた。また、「お前が義務感など感じる器ではない」と言われた気もした。悔しいのかというと、そうとも言えない。何方かと言えば、義務ではなく権利であったことに安心した。男はこの大作家相手に拒否権を行使できるのだ。
入り口全体を屋根が覆い、日陰になっていたことで、男は束の間、熱気を避けることができていたが、再び道往くものすべてを焼かんほどに日が照りつける建物の敷地外に出て、来た道を引き返していった。Tシャツの首筋の部分は汗が滲み、自宅に着いた頃には、一度洗濯を通さなければまたとは着れないほどに濡れてしまっていた。
帰ってきて早速、その湿りきったTシャツを脱ぎ、べたべたしている上半身と汗で濡れた髪を拭き、裸のままベッドに横になると、小一時間外歩きをしてきただけなのに、全身に疲れが巡り、完全に虚脱してしまった。暑さにすっかり身体がやられてしまったのか、否、これは思いがけず芥川龍之介に遭遇して、彼にその身を引きつけられたかと思えば突き放されるという、緊張と緩和を一気に体験したからか。
そういえば、帰路の最中、自室に入るまで、彼の男に常に見張られているように感じていた。部屋の中に入ったことで漸くその監視の目から離れた気がした。眠気が襲ってきたのは監視の目から離れて安堵できたからか。大先輩の前では威を正しておかねばならない。いくら作品を読んでいないとは言え、無礼な態度は取れない。
とはいえ、改めて展示会に行くかどうかは男にとって別問題だった。自分のような、作家で一杯の波止場の端で靴が半分ほど海上にはみ出して、必死に首を伸ばして仕事への指名を待っているような者が、後輩面をして再び訪れてよいものか。矢張りそれは無礼に当たる行為ではないのか? ただ、自分は何の因果か、何も知らずに、偶々付近に住んでいる。訪れないまま、この町を後にするようなことがあれば、それこそ面目が立たないのではないか? そんな行為をしたら、もし今後、気が変わって芥川の著作を読みたいとなったとき、その資格すら無いような気がしてきた。それに、帰る際に感じたあの刺すような視線は何だったのだ? 再び来なければいけない、と言っているのではないか?
いや、選択権はこちらにある。当の昔に亡くなった人物に対して、いくらそれが有名な文学賞を冠するような大家であったとしても、義理立てする必要はないのではないか?
行くべきか。行かぬべきか。暇な時間が多いことに悩んでいるくせに、この男の悪癖で考えは堂々巡りし、結局、考えるのを止めてしまった。これもいつも通り、無駄に時間を費やしただけだ。
翌日、男は、電気代の節約のために職場代わりに使っている、近所の無線wi-fiが整った図書館で滞りなく仕事をこなし、帰路についた。帰宅後も仕事を夜更けまで続行していたが、其のお陰で、その日行う予定だった作業はすべて予定通り終わらせることができた。
翌日は、休みではないものの、ほとんど予定が入っていなかった。男は決めた。明日、目と鼻の先で開催されている大先輩の展示会に行ってみることにしよう、と。
読んで頂き誠に有り難う御座います! 虐げられ、孤独に苦しむ皆様が少しでも救われればと思い、物語にその想いを込めております。よければ皆様の媒体でご紹介ください。