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「時は金なり」#とは~「誰かと一緒に過ごす時間」の価値、再考~

「#とは だけで30本書くチャレンジ」
~No.27~

誰にとっても1日は24時間なのであって、権力者だから36時間使えます♪なんてことはないし、貧乏人は18時間に目減りするのじゃ!とかもないわけで……その意味では、とても平等なものなんですよね。みんなに同じだけ与えられている、ある種の資産。

だからこそ、それぞれの持っている「時間」をいかに有効活用するか?が肝で。
「働く」ってある意味、「自分の時間を切り売りしてお金に変えること」であるし。
新幹線や飛行機の料金って、ある意味、移動時間を劇的に短縮する=「時間を金で買う」ものであるとも考えられるわけです。

そのように日々私たちは、時間を売ってお金に変えたり、逆にお金で時間を買ったりして暮らしているわけなので……

「自分の時間を奪いに来る人」って、嫌われるんですよね(笑)例えば、「電話かけて話す」って、相手を拘束して時間を奪っていることになるから、「要件はメールで!」とかよく言われたり。

子育てのストレスも、よくよく考えると、「子どもが容赦なく自分の時間を奪いまくる」から腹立つ!という要素は大きいと思うのです。

なので、「自分の時間は大事に使わねば」という意味で、「時は金なり」という言葉を日々意識して、我々過ごしていると思います。

しかしこのコロナ禍の2020年、そんな「時は金なり」の一般的理解に、ちょっとした変化が起きているのではないのかな?と思うのです。

それは、「誰かと一緒に過ごす時間」の価値が、相対的に非常に高いものとして認識され始めているのでは?ということ。

特に、オンラインではなくて、「リアル対面で一緒に過ごす時間」の価値が、高騰している気がします。

会えないから!!

特に、大人数で集まることが、本当に難しい世の中になってしまいました……

感染拡大防止、ということを考えると、「誰にも会わずに家に籠っていることが最良」となってしまいます。

「誰かに会いに行く」「顔を合わせて話す」は、感染リスクと隣合わせなので、マスクつけたり検温したり消毒したりしてても結構、気を遣います。

なので、それでも、わざわざ、「リアル対面で誰か一緒に過ごす時間」を取るとしたら、それはすごく貴重で、すごく大切で、「価値の高い時間」ということになるのではないかな、と。「自分の時間は奪われている」にもかかわらず

なので、これまでの価値意識に囚われることなく、
「自分の時間として専有する時間」と、
「誰かと一緒に過ごして共有される時間」とを、
分けて考える必要があるような気がしていて……

自分にとって、それぞれどのような価値があるかを考えた上で、「時は金なり」という言葉の意味を考えるべきなのかなぁ、と思ったりします。

「誰かに会って過ごす、時は金なり」

オンラインでも、「同じ時間を過ごす」ことはできるのですけどね。やはり代替手段に過ぎなくて、「ここぞ」という時には、やっぱりリアル対面で会いたいものだなぁ、というのは、私だけの思いではないでしょう。

今日、会える人に、明日も同じように会えるとは、限らない。

人生、何が起きるかわからないので、コロナ禍でなくてもいつもそうなのですが……

これまで以上に、そのように日々を大切に生きないといけないのかなぁ、と思います。

本日はこれにて☆

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「#とは だけで30本書くチャレンジ」、過去の記事はこちらのマガジンにまとめております。

よっし!!朝更新、復活ーーー!いやはや、1度乱れたペースを戻すのは、本当に大変ですねぇ…

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