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京都・三条通を、ひた走る
3月3日、京都は快晴。
朝はさむいが日中は春をむかえる暖かさで、絶好の行楽日和であった。まえまえから考えていた、「三条通サイクリング」をついに決行。
毎度ながら京都の記事については写真が多めになりますが、少しでも春を感じていただけたら嬉しいです。
では、いきましょう!
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『京都・三条通サイクリング ~三条京阪から嵐山まで~』
三条通とは、平安京時代の三条大路にほぼ該当する「東西をつらぬく通り」のこと。
古代には、貴族たちの邸宅が数多くならび、その道路幅員は30mにもおよんだといわれる。その後の天正18年(1590)、豊臣秀吉によって「三条大橋」が架けられたことで東海道の西の拠点となった。
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現代でも、上記地図のとおり、東は山科区の四ノ宮付近から西は右京区の嵐山まで京都市内全域にわたりメインストリートとしての賑わいをみせる。
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河原町通から西は、三条名店街。
終日、自転車は走れないので押して歩くことに。
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東海道をとおり、京都へやってくる人が多かった近世頃(江戸時代)。
京の玄関口として、この辺りにはおおくの問屋や旅籠が立ち並んだ。
その繁栄は明治期になってもつづき、赤煉瓦やタイル張りの洋風建物が銀行、商店などを中心に増えていくことになる。
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途中で、いいふんいきの和菓子屋さんがあったので、コーヒー大福と桜餅を調達。
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この先、ここで堀川通へ入る。
「♪まるたけえびすにおしおいけ〜」
京都人は子どもの頃に東西の通りを歌として覚えるという。
それにたいして、南北の通りはあまり一般的ではない。僕が聞いたことがあるのには、東から「河原町通」「烏丸通」「堀川通」「千本通」などの大きな通りを知ってさえいれば、あとはそのあいだの細かい通りはあまり関係がないからだと。
さて、三条通において、堀川三条(堀川通と三条通の交差点)から千本通まではふたたび商店街がつづいている。
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このなかは、床屋があり、スーパーがあり、八百屋があり、魚屋があり、本屋があり、カフェがあり、中華屋があり、公園がある。
通りの途中にはマンションや一軒家もあるので、ここに住んでいる人はこの商店街のなかだけで生活をし、雨を知らずに生活することも不可能ではない。(たぶん不可能)
時刻は12時をまわる頃。たまたま見つけた沖縄料理の店で昼食をとることにした。
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千本通をこえると次にくる大きな通りが「西大路通」。その名前のとおり、平安京の西の端である。
「嵐電」という路面電車もまちなかを走る。これがそのまま嵐山までむかっているので、この先は線路にそって自転車もすすむというわけである。
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ところで、京都の人はかつて、東側の左京をさして「洛陽」と、西側の右京をさして「長安」とよんでいた。平安京のモデルとなった中国・唐の都そのままである。
しかし、いざ住んでみると、右京の長安は湿地帯で水はけが悪く、桂川がしょっちゅう氾濫するため生活するのに適さない場所とされてきた。
だから、人々は左京にうつった。
いまでも「上洛」とか「洛中」のように「洛陽」の名残をつかっていたり、東寺はあるのに西寺は残っていなかったりするのにはそういう背景がある。
ようは、右京のこのへんまでくると、街をはなれて山の空気を感じるのだ。
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緑が、いま走っている三条通。赤が、御池通である。
このふたつの通が東西に並行しているということは、京都に住んでいれば子どもでも知っている。
それがここでかっちりと交わる。
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ここからはもう嵯峨エリアです。
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もう着きそう。
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「ついたー!」
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メインストリートだけあって人も車通りも多くて、正直、サイクリングという意味ではあまり疾走感のあるものではありませんでした。
ただ、やはりこの気候、そしてさいごに見たこの絶景ですべてが満足、万々歳。
また天気のいい日に走りたいとおもいます。
■ 補足
総移動距離:9.3km
移動時間(昼食や休憩を含む):2時間ちょうど
この記事の参考資料:「京都大事典」淡交社
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『おまけ』
北野天満宮の梅です。時間があったのでここも寄りました。
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