書く人の、そっと背中を押せるなら
まえにこんな記事を書いた。
「書くことはつらいよぅ」と嘆きながら書いた。いま読み返してもこのときからさほど気持ちは変わっていない。
そう、書くことはつらい。なにより、「孤独」だとつよく感じる。
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書くことを仕事だと捉えると、やはり「仲間」や「環境」が非常に大切だとおもう。
書くときはひとりなのに、自分ひとりでは書けないという矛盾。書き手の生活のなかだけで完結する文章はありえない。人を見て、人から聞いて、人と話しておもしろい文章になる。
そうかんがえると、「書くための集団」っておもしろそうだなって。
ほら、漫画家って原作と作画でわけて創作したりしてる。アシスタントなんかつけちゃったりして。
僕たち文筆家にはわける必要がない?
言いたい気持ちはわかるけどそんなこともないとおもう。
たしかに、ここからここまでは僕が書くからそのあとはあなたが書いてね、なんて面倒くさいことは言わない。でも各々が書きたいことを勝手気ままに書いて、ときに励ましあったり、ときに批判しあったりしてともに向上していく関係って素敵だとおもう。
そういう組織というか集まりがあってもいいとおもう。
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こんなことを考えてるのには理由がいくつかある。
1つ目は、会社をやめて2週間ちょっとがすぎた。いまさら後悔とか未練はさらさらない。それでも寂しい気持ちはすこしある。
今までは、数十をこえる人間とおなじ空間で仕事をしていた。なにかあったらすぐに話しかけられる場所に仲間がいた。
でも今はずっとひとりで書いている。このnoteであってもライターの仕事であっても司書のレポートであってもそう。
助けてくれる人はいない。noteにかぎっては応援してくれる人がいる。だから毎日続けられる。
僕がこのnoteをやめることがあったら、それは何も書くことがなくなったときではない。読んでくれる人がいなくなったときだとおもう。
2つ目の理由は、
このドラマのせい。
(またNetflixです)
この記事を書いてる時点でまだ2話までしか観ていない。でもすっごいおもしろい。ひさしぶりにドラマで声を出して笑った。
そしてこのなかでは、脚本家と小説家が助けあって書いているシーンがよく見られる。
(売れない脚本家の夫と売れっ子小説家の妻という設定)
そりゃ夫婦なので助けあうのはある意味で当然なのだが、その光景がひじょうに睦まじい。うらやましい。
−−−
おなじように書いてる仲間がほしいなら、「小説家になろう」などの投稿サイトがある。お互いに感想を言いあったり、切磋琢磨がしたいならそういうコミュニティも両手の指で収まらないほどには存在するだろう。
そして何よりこのnoteがある。実生活においても僕を励ましてくれる人がいる。
これ以上なにを、といえばそれはそうなんだけど。
もうすこし書く人に優しい世界があったらな、と。そういう活動を僕ができたらな、とおもう。
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