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言わないで……

「中野で餃子を食おう」と元同僚からの誘いがあり、仕事終わりに中野に向かった。
店に入ると、カウンターのみの1階席は全て埋まっており、2階に案内された。
2階は2人掛けのテーブル席が2つの小さい空間で、1つのテーブルにはカップルらしき若い男女が座っていた。
僕達は空いている方のテーブルに座りとりあえずの生と枝豆を注文した。
彼はメニューを見ながら、「ここのしそ餃子がマジで美味いらしい。信頼できる情報筋からのネタだから間違いない」と言った。
「でも結局、王将の餃子が1番美味いよね」と僕が言うと、「間違いない」と彼は大きく頷いた。
生ビールと枝豆が来たタイミングで、普通の餃子としそ餃子を2人前ずつ注文して、僕らはジョッキを合わせて乾杯をした。
さっきの流れで、「1番美味しいご飯はなんだろうか」という話になった。
僕が「プールサイドで食べるカップラーメンの醤油」と言うと、彼は「学校の給食で出る揚げパン」と言った。
しばらく、そんな話をしていると僕は違和感に気が付いた。
僕達が入店してから、隣のカップルが一言も会話をしていなかった。
チラッと隣を見てみると、手に取るように分かる険悪な気配が漂っていた。
彼はそんな状況に全く気付いておらず、「実はさ、AV女優が来るデリヘルがあるんだよ。知ってるか?」とバカな声量で言った。
僕は、気まずさでまたチラッと隣を見ると、女の目からはポロポロと涙が溢れていた。男はアイコスを吸いながら、じっと座っていた。
「知らない」と小さい声で答えると、「しかもな、現役らしいぜ」と彼は唸った。
僕は「お前なぁ」と言いながら、目線と首を少しだけ隣のテーブル側に動かして、彼に合図を送った。
すると、彼も隣のテーブルのただならぬ気配に気が付いて、「ごめん」と小さい声で言った。
僕も彼も、隣のテーブルから放たれる良からぬ気配に、話す題材を見失い、少しの沈黙が流れた。
沈黙の間に、餃子としそ餃子が来て、僕達は「美味いね」「美味い」という会話だけで、餃子を食べ進めた。
すると女はハンカチで両目を押さえながら、しくしくと声を出して泣き始めた。
僕達は、「美味い」と言うボリュームを少し上げた。
女は下を向きながら「でもさ……」と口を開いた。
男が「うん」と相槌を打つと、また少しの沈黙が流れた。
女が呼吸を整えて、言った。
「ゆうくんとは、出会えて良かったって、思ってるよ」
男は目を合わせずに「うん」と返した。
「最後にこうして、ちゃんと会って、ちゃんと話して、ちゃんとお別れできたから。だから、しばらくしたら、これまでのことはいい思い出だったって思えると思うから、だから、、、あれ、私ちゃんと日本語話せてるかな、、」と女が赤い目で男を見た。
男は「大丈夫、話せてる」と短く答えた。
女は「良かった」と微笑して、続けた。
「だから、今までありがとう」
そして、そう言うと女はまた堰を切ったようように泣き始めた。
すると、今度は男の方が「俺も、あかりと出会え……」と口を開いたところで、女が遮るように「言わないで!」と声を上げた。
僕と彼は、その言葉にビクッとして、それを誤魔化すように、また「美味い」と言い合った。
「そういうのは、もう、私、いらないから……」女がそう言うと、男は「ごめん」と小さな声で言った。
女がハンカチでグッと目を拭いて、赤く腫れてた目で言った。
「でも最後に、ここにこれて良かった。たぶん、もう来れないから」
男はそれには返さず、じっと下を向いていた。
そして、女が立ち上がり壁にかけていたコートを着ると、男も続いて立ち上がり、無言のまま2人で下に降りて行った。
カランカランと店のドアが開き、2人が出て行ったであろう音を確認したところで、目の前の彼がようやく口を開いた。
「ここの餃子、全然味がしないね」

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