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【雑記】 日本の「国文学」とアメリカの"Japanese Literature"が学問としてどう違うのか、文学って実際ビジネスには役に立つのか考

こんにちは。

今日は大学〜大学院時代に勉強してた日本文学の話でも。

私は日本の大学で学士を取得したのだけど、専攻はJapanese literatureで、主にアメリカの大学院出身の教授達から教わっていたので、学んでいたのはアメリカ式と言えるかと思います。その後、修士号もアメリカの大学院で取得してます。

でも国内の大学で最初に勉強してたのなら普通は国文学部で勉強するんじゃない?国文学じゃないの?とたまに言われる。でも、私的には国文学とJapanese literatureというのは全くの別分野の学問。

なので、その両者の違いでもまとめてみようか、と思い書いてみた。そして、こういうザ・人文系!みたいな学問って社会人になったら役に立たない〜学ぶ意味なくない?という考えに対して個人的に思うことも書いてみた。

そんな話。

(興味ある人、いるのか?)



帰納法 vs 演繹法?

まず、大前提として何が違うのかと言うと、まずは『国文学』って、国の文学と書く。国っていうのはつまり自国のこと。だから、国文学というのはいうなれば「日本人の、日本人による、日本人のための、国の文学を学ぶ学問」のようなイメージ。

だから、私が最初に大学で国文学の授業を取ってみた際感じたのが、「日本人として当たり前に知ってるであろう前提知識みたいなものをわざわざ言及したりはしないんだな」ということ。なんていうか、皆さんすでにご存知だろうことは改めてとりあげません、というか。説明が難しいのだけど、そういう印象を受けた。そして、いきなり個別の論点に突入していく感じ。

〇〇という言葉の用法について、とか。私は本の虫ではあったけど、日本文学作品には当時明るくなかったので、かなり面食らった。なんだか、なにを学んでるのかよくわからないぞ…となった。個人の感想です。

一方で、Japanese literatureの一番最初の授業ではまず、Japanese literatureとは何か?という、全体像を掴むところから話が始まります。日本とは何が、日本人とはなにか、文学とは何か、そしてそれが他の文化から生まれた文学とはどう違うのか…。かなりざっくりとではあるけれど、英語で言うところのbig pictureからまず最初に把握していく。

私は物事の全体像を先に把握してからの方が興味を持てる人間だったようで、こちらは俄然やる気が出て「もっと知りたい!」となった。


最近帰納法と演繹法というものを知ったのだけど(今さらすぎる)、両者の学問としてのアプローチの違いってまさにこれかな、と思いました。

ちなみに、帰納法と演繹法とはこんな感じだそうです。

演繹法は一般的な原則から具体的な結論を導くもので、企業の方針やビジョンから具体的な戦略を展開する際に有用だ。 一方、帰納法は具体的なデータや事例から一般的な法則を導くもので、市場の動向や顧客の反応から戦略を構築する際に役立つ。 なお、ロジカルシンキング研修や問題解決研修などでも、演繹法と帰納法について扱っている。

https://www.recurrent.jp

国文学が帰納法、Japanese literatureが演繹法。あくまで私の受けた印象ですが。

自国の学問か、敵国研究か

また、アメリカにおけるJapanese literatureという学問の歴史を辿ってみても面白い違いが分かります。

国文学というのは、前述した通り自国の文学を日本人が研究するための学問。ここらへんはちょっとうろ覚えなんだけど、確か江戸時代あたりから、本居宣長あたりが国学という学問を始めて、それをベースにして明治以降に国文学が確立されていったかと思います。

面白いのは、やっぱり他国からの影響、他国との比較によって自分達の国の文化、文学を意識するようになる側面があるということ。

今だって、海外からきた観光客を見て日本文化を知ったり称賛したりする風潮があるあるよね、日本。一昔前に日本論、みたいなのも流行ったような気がするけど、そういうのも面白いなと思う。

一方で、アメリカでのJapanese literatureの研究っていうのは、戦前〜戦時中にかけてアメリカ側が「敵国としての日本」を理解し、分析するために生まれた学問。敵国研究から始まるというのがものすごくアメリカ的だなと思う。

なので、あくまで視点はアメリカで、アメリカから見て日本はどうアメリカと違うのか、というのを文学から学んでいこうというスタンス。

ドナルド・キーン氏(日本に帰化して研究者としての生を全うした、アメリカを代表する日本文学研究者)が、どこかの本か論文かでアメリカの日本文学研究の変遷をまとめてたかと思う。

なんか、wikiにもちょろっと載ってた。


Theoryの使い方

あとは、theoryの使い方も違う気がする。アメリカでは、近現代の西洋の理論を使いながら文学を読み解いていく事が結構ある。

例えば私が主に勉強してたものでいうと、feminismやgender、queer studiesに関するもの。ジュディス・バトラーのgender troubleを引用しながら、特定の文学作品を読み解いていく…とかそういう感じです。

これも、アメリカ/欧米からの視点を前提にしてるからこそな気がする。なので、論文を読んでると日本人からすると「ん?」と思うことも時々あるのだけど、そのハテナやモヤモヤこそが研究においてはアドバンテージになるというか、プラスになるので、日本人がアメリカや欧米でJapanese literatureを勉強するのってものすご区面白いし価値がある事だなと思います。

Japanese literatureを勉強して仕事に役に立つのか問題

話は若干逸れますが、Japanese literatureを勉強してみて、結局それって仕事で役に立ったの?という話も最後にしてみようかと思います。

結論としては、直接的なスキルや経験として履歴書でアピールしたり、プラスになる役立ち方はしない。全くしない。が、日本(国内の外資系)で働いていると、見えないところでかなり恩恵を受けてるなと感じることがある。

まず、英語圏で文学系の勉強していると、英語での文章力と説明力が抜群に上がる。扱ってる研究対象の特徴ゆえ、いかに相手が納得できるように説明していくかというものに教授たちはものすごく厳しい。なので、文章の書き方や言い回し、きちんと論理が成立していて説得力があるか、という部分をものすごくビシバシしごかれます。

その結果として、コミュニケーション能力がバグ上がりする。

言語力という壁を越えた先に、先方に信頼されるかどうかという部分というか。なので、ミスコミュニケーションによる炎上がほぼ起きない。よって火消しによるタイムロスもほぼない。

あとは、日本国内の外資で仕事をしていると、「日本ではなんでこういうやり方なのか」「日本ではどうしてこういうルールになってるのか」などの日本ルールを海外の人に説明しなきゃいけない場面も結構ある。そういう時に、結構すぐに理由や背景を説明することが出来る。そうすると、相手は納得して話がすんなりまとまったりするし、結構こちらのペースで仕事を進められたりする。

一見わかりにくいスキルではあるんだけど、本当に役立ってるなと私は個人的には思ってます。

さいごに

日本文学と一言に言っても、学文として学ぶ場合にはどこの視点から学ぶかによって結構な違いがあって面白い。

私の場合は日本文学だったけれど、他の分野の勉強であっても学ぶ国や環境によって全然違った学び方になると思う。なので、そういうのも含めてこれから勉強する人は学ぶ場所を決めていくと良いかもなと思います。

あとは、最近はSTEAM教育とかも注目を浴びて仕事や最新技術に直結する分野が人気を集めがちだけど、人文系の学部も捨てたもんじゃないよ!ということもここに記しておく。

おわり。


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