中島中
平成前期のじいさんと僕の話。
じいさんはせっかちで、夕飯は外で焼肉を食べようと18時に予約しても17時には、 「もう行くぞ。」 と言ってテレビゲームをしている僕を急かしてきた。 車でだいたい10分、15分で着く店だからばあさんが、 「いくらなんでも早すぎますよ。」 とほとんど呆れたように笑う。 それでもお構いなしで、 「寄りたい所があるから、車暖めておく。」 とせっせと出て行ってしまった。 僕は遊びに来たときだけだから良いけど、ばあさんはこんな調子で何十年も一緒にいるのだからすごい。 ば
イトーヨーカドーの立体駐車場に駐車する時、うまく駐車できるとじいさんは、 「よし1発で入ったぞ!」 と嬉しそうで、やり直しになると、 「あー、じいさん下手くそだなぁ。」 と悔しがる。 子供服売り場を目指すエスカレーターの手すりに、僕がトレーナーの袖から肘のあたりまでつけてだらっと乗っていると、 「汚いぞ。雑巾掛けしてるのか。」 と怒られた。僕は汚れるというのは外の泥がついたり、砂まみれになることで、 室内にあるものがなんで汚いのかよく分からなかった。 子供服売り場
じいさんちは宮城県の仙台市にある。 小学生の僕たち4人は、夏休み初日から上野駅に集合して、東北新幹線に乗って仙台に向かう。 従兄弟の僕たちは夏休みが始まったことと、じいさんちに遊びに行くことで興奮しきっていて、僕はいつも前日の夜はよく眠れなかった。 新幹線のプラットフォームでそれぞれのお母さんとお別れすると、その瞬間日常から解放されてお祭りが始まる。 車内では座席を向かい合わせて、学校であったことを話したり、パックンチョを食べたり、コミック本のコナンを読んだり、それぞれ
じいさんは昔のタクシーみたいな黒いクラウンに乗っていた。 じいさんは七三の髪型で太めの黒縁メガネにお気に入りの水色キャップを被って、半袖シャツの裾をスラックスにしまい、革靴を履いている。 さすがに白のグローブははめてなかったけど、タクシードライバーみたいだ。 車内もタクシーみたいで、シートにはヒラヒラの白いカバーがついていて、カーステレオから甲子園のラジオ中継が流れている。 僕は車酔いが酷くて、 「進む方向を見とけよ。」 と何度もアドバイスをもらうけど、過去の失敗のイメ
じいさんは早起きで、毎日5時ぐらいには起きているようだった。 生花の卸売市場の仕事だから朝が早くて、僕が起きる頃にはもう帰ってきている。 僕が「おはよう、もう帰ってきたの?」と聞くと、 「おしっこしに行ってきただけだよ。」 と冗談ぽく答える。 本当にそうだったのかもしれない。でもたまに玄関に花束が並んでたりしてたから、ちょっとは何かしてたんだろう。 正月にはじいさんが毎年親戚を温泉旅館に連れてってくれて、元旦は初日の出を見るために、なぜか僕だけ起こされる。 「おい、
じいさんは多趣味で、そのひとつは庭いじりだった。 庭に岩を集めて高台を作り、そこに穴を掘ってプールを作るという壮大な計画があって、僕はよくホームセンターに連れて行かれた。 この日は土台を固めるためのセメントとプールに上るための階段の手すりを買って、帰宅するとじいさんはすぐに作業にとりかかった。 僕はじいさんの横に屈んでセメントを流し込む作業を見ている。 「明日にはこれがかちかちに固まるんだ。」 嬉しそうにしているじいさんを横目に、僕は前に幼稚園で友達と泥団子を作って
じいさんはいつも夕方になると自宅で血圧を測る。じいさんは腕にテープを巻いて血圧計のスイッチを押すと、 「静かに。」 と深刻な感じで孫の僕たちに呼びかけてきて、隣の台所でお菓子を食べながら賑やかだった僕たちは会話をやめる。 なぜ静かにするのか、血圧の数字が何を意味するのかわからなかったけど、独特の緊張感があった。 僕はもし変な数字が出たら、その瞬間じいさんは死ぬかもしれないとか思いながら、結果発表を待った。 測定が終わるとじいさんは丁寧に機械をしまいながら、 「異常な
じいさんは5歳の僕を助手席に乗せて、色んなところに出かけるのが好きだった。 と言ってもだいたいコースは決まっていて、おもちゃ屋(僕はこれがあるから付いていく)、ファミレス、ホームセンターぐらいだけど。 じいさんはいつも行くファミレスでメロンクリームソーダを注文して、 「混ぜると美味いんだぞ」 と言って銀色の長いスプーンでぐるぐる混ぜる。 僕はメロンクリームソーダの透き通った緑色がシュワシュワしているのが好きだったから、 いくら美味しくてもそれが濁っちゃうのはちょっと