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性別移行と身近な排除を過小評価するなよって話


●トランス女性の家事審判で外観要件を違憲とみなした件

 2023/10/25に最高裁で、トランスジェンダーが手術なしの性別の取扱変更を求めた家事審判に対し、GID(gender identity disorder / 性同一性障害)特例法(性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律

)の3条1項4号の不妊化要件は違憲無効と判断されたが、同5号の外観要件については審理が尽くされていないということで高裁差戻しとなり、その審判が2024/7/10にあった。結果、同要件は「違憲の疑いを認めざるを得ない」から、原告の手術なしの性別の取扱変更を認め、終審となった。
 また一歩、まともに人権が認められる社会が近付いた。歓迎。最近の法的な動きを見ていると、

2023/10/25   【司法】最高裁でMtFにGID特例法の不妊化要件が違憲との判断が下ったが、外観要件に関しては高裁差戻しとなった。
                       【立法】同時に同要件は違憲無効となった。
2024/3/14     【司法】札幌高裁で同性婚排除が違憲との判断が下る。
2024/5/2       【行政】長崎県大村市で同性同士の同居人に事実婚状態が認められる。
2024/6/21     【司法】最高裁でトランス女性の父と次女の間の親子関係が認められる。
2024/7/3       【司法】最高裁で旧優生保護法の違憲判断が下り、国家賠償が命じられる。
2024/7/10     【司法】広島高裁での差戻審でGID特例法の外観要件を違憲疑いとし、原告の性別変更を認める。


 …とかなりSRHR(sexual and reproductive health and rights / 性と生殖に関する健康と権利)や人権に立脚した動きがある。身体に侵害を受けない権利とか、色々な言い方をしているが、GID特例法も旧優生保護法も要するに「個人の尊重」を謳った憲法13条違反で、そこにはSRHRや私生活の尊重を受ける権利(自由権規約)も含まれるということだろう(私見です)。
 2003/7/16公布のGID特例法には2~3条に、性別の取扱いを変更するための要件を挙げていて、全てクリアしないと戸籍上の性別(続柄の性別)を変更するための審判を得られない。2004/7/16の施行後11,000名程度が戸変しているが、その要件とは…、

2条:専門医2名以上に性同一性障害の診断を受ける「診断要件」
3条1項1号:18歳以上とする「成人要件」(以前は20歳以上だった)
3条1項2号:現状結婚していない「非婚要件」
3条1項3号:未成年の子がいない「子なし要件」(以前は成人でもダメだった)
3条1項4号:生殖腺を取るか機能しない状態にする「不妊化要件」
3条1項5号:性器の外観を移行後の性に近似させる「外観要件」
3条2項:厚労省の様式に従って専門医2名以上が診断書を書く「診断書要件」


 …という合計7つだ。3条1項の5要件が槍玉に上がりやすいが、国連人権理事会のSOGI独立専門家は2018年の報告書で、国際機関や各国が取組むべき課題の内、性別記載変更の要件として…、

1、本人の意思に反して生殖に関する能力や機会を奪うこと
2、手術やホルモン療法等を含む身体的な性別の特徴を移行するための医療処置を受けること
3、医学上の診断や心理学的な鑑定その他の医学的心理社会学的な処置や療法を受けること
4、経済的地位、健康、婚姻、家族や親としての立場に関連する条件
5、第三者による見解を求めること


 …の撤廃をすべきだと主張している。
 不妊化要件は1、外観要件は2、診断要件は3、非婚要件や子なし要件は4、診断書要件は5に違反しているし、最後に残った成人要件は、そもそも子どもの人権を侵害している。今や周囲の理解を得て幼い頃から望む性として扱われて育つ子も増えている。思春期ブロッカーも手が届きにくい状況だし、何より進学や就職の際に出生時割り当てられた性で扱われることは当人にとって大きな弊害にしかならない。日本では国際人権規約は一部未批准、自由権規約(私生活の尊重を受ける権利等が掲げられている)や社会権規約は議定書未批准、女性差別撤廃条約は完全に未批准…と、国際的な人権基準からは大きく後れを取っている(批准は、内閣が締結した条約を国内法と同等に国内に適用するために国会が行う立法措置。批准していないということは国内では効力がないということ)。だから包括的差別禁止法もないし特例法も野放しなわけだが、国際社会からは是正するよう勧告を受けている。性別変更に関して前出の報告書では…、

1、申請者の自己決定を基礎とすること
2、簡便な行政手続とすること
3、機密性を確保すること
4、医学的・心理学的・その他の証明等不合理な条件や病理化を条件とせず申請者の自由意思による十分な情報に基く同意のみを基礎とすること
5、男性と女性に二分しない性自認を含むノンバイナリのアイデンティティを認識・承認し、多様な性別記載の選択肢を提供すること
6、利便性を確保し、できるだけ無料の手続とすること


 …を求めている(参考文献:高井 ゆと里 編『トランスジェンダーと性別変更 これまでとこれから』岩波ブックレット 2024/3/5)。

https://www.iwanami.co.jp/book/b641561.html


 日本の特例法はその法律名からしてもう時代遅れなのだから(2022年発効のICD-11[国際疾病分類第11版]で性同一性障害の名称は撤廃され、「性の健康に関する状態群」に分類された。日本語では「性別不合」になる予定)、全面改正か、もしくは戸籍法に性別記載の方法(と詐称や改編した場合の罰則規定)を盛込んで、特別法から一般法に「吸収合併」すべきだと思う。今みたいに(そして改名と同じように)家事審判をいちいち起こす方法ではなく、マイナンバーカードやスマホ、役場の窓口等で申請でき、費用も掛からない方法、そして男女以外の記載も認める形にしてほしい。脱病理化という文脈では、特例法に大きな影響を与えた日本精神神経学会のガイドライン(

https://www.jspn.or.jp/modules/advocacy/index.php?content_id=33

 ) もアップデートしてほしいし、もっと頒布されてしかるべきだ。ガイドラインでも「戸籍性変更は最終着地点ではないし、性別移行に順番はない。当事者個々人のQoL(quality of life / 生活の質)向上こそが肝要」としているのだから。
 残念ながら社会的にはこの「手術なしで性別変更」が例のごとく独り歩きしている。トランスヘイトは論外としても、既に手術をした当事者は「やっぱり手術しないと」「パス度を上げないと」と保身感情がにじみ出るし、漸進主義的なものを追う人にしてみたら「そうはいっても実際に社会生活の中で望む性として認識されていないと」と社会の混乱を盾にする。埋没トランスが「正体を詮索される、身バレする」という懸念も、その人の性別や身体を暴くというのが重大な人権侵害であることが疑いようがないのに、魔女狩りよろしくヘイトに力を与えている。
 保守主義や漸進主義というのは人権と反するものではない。人権や新しい考えを尊重しながら伝統と折合いをつけていくものであろう。今ある人権侵害には立ち向かう。「保守的」で保守主義を覆わないべきだ。ただ、今の日本はそんな悠長なことをやっている場合ではない。日常に横行する人権侵害を正常化せねば。今すぐ明日からいきなり世界が変わるなんてありえないなんて誰でも分かっていることで(そういうことすら分からない、受け入れられないトランスヘイターはやっぱり困ったもので)、そこ=人権回復に向かって法律を改正したり、人権侵害を受けてきた人を救済したり、社会的な理解を広めるために活動したりということが大事なのであって、したり顔で背中を殴りつけている場合ではない。
 大体においてパス度やRLE(real life experience / 実生活経験)というのも、ルッキズムやセクシズム、ジェンダーバイアスにジェンダー規範に性役割をコスっているわけで、今や人権侵害の側面が強いと思う。日常生活でどんな性表現をしようと、社会的にどんな役割を担おうと、そして法的にどんな性を選ぼうと、その人のアイデンティティを直接結び付けるのはおかしい。男女の規範から外れている人々を不可視化しているし、個人の尊重から大きく逸脱している。「男だから、女だから」と生き方を規定されることを、そもそも多くの当事者や女性、マイノリティは経験してきたはずなのに、なぜ特権を得た途端その刃を同じ当事者に向けるのか。
 この性別変更の問題は、法益も勿論だが、何よりもいかに人権回復を目指すかが最重要だ。


●私の場合~3年は今のままという現実


 …とはいえ。
 現状は他の要件も残っているし(特に私の場合は非婚要件が最大のネック。ここで諦めて早2年…)、国会での特例法改正は遅々として進まない。議員立法だから所管する役所がなく、自民や立憲がようやく試案を提示したぐらいになっている。診断の2要件がGID学会認定医の制度と密接で、認定医がいる医療機関は限られているから、全国津々浦々にいる当事者にまんべんなくサービスが行き届いているとはお世辞にも言えない。主に人口密集地と過疎地の格差がある。私もそうで、秋田ではホルモン補充療法は受けられるが、特例法が用意した要件を満たす診断を受けることができない。
 私もたまには自分のセクシュアリティを書いておくか。

▽性的指向(sexual orientation)
・ポリセクシュアル(多性愛)
・クワセクシュアル(性愛、恋愛、友愛、敬愛の垣根が低く混同しやすい)
・グレイロマンティック(極めて恋愛感情を抱きにくい)
・リスロマンティック(恋愛感情を向けられるのが苦手)
▽性自認(gender identity)
・女性
▽性表現(gender expression)
・バイジェンダー(両性)
・ジェンダークィア(特定の性表現を持たない)
▽性的特徴(sex characteristics)
・男性典型
・性染色体=46XY
・性腺=精巣
・内性器=前立腺、精嚢、精管
・外性器=陰茎、陰嚢
▽出生時割当てられた性
・男性
※性別違和
・診断名=GID(gender identity disorder / 性同一性障害)/ GD(gender dysphoria / 性別違和)
・治療=HRT(ホルモン補充療法)10か月経過

 そういうわけで、SRS(sex reassignment surgery / 性別適合手術)と戸籍上(続柄)の性の変更を切望している。
 法律で(つまり国家が)性別記載の変更のための要件として手術を強要するのは人権侵害だし違憲ではあるが、自分の体のことを自分で決める権利はあるのだから、法律がどうであろうと手術はしたい。私以外にもこう思っている当事者は多い。特にFtM(female to male / トランス男性)の場合は胸、MtF(male to female / トランス女性)の場合は男性器一式と外見に関わる部分は目に入るし手で触れるから、身体違和が強い人にとっては邪魔で邪魔でしょうがないものでしかない。毎日この苦痛に苛んでいる。
 HRTの影響というのは本当に人それぞれで、注射した日は動けなくなるとか、切れてくると更年期の症状が出るとか様々。私の場合、HRT以前から命の母(エクオール)を飲んでいたからか、ぜーんぜん何の影響もない。本当に体が変化しているか疑うくらいだったが、データによればどうやら見えざる変化は起きているらしい。
 健康診断では血圧は30代女性並で、γ-GTPが劇的に減っていた。面白かったのが体組成計で、HRT前後の各平均値を出すと…、

・体重             62.33kg→64.11kg                1.78kg(2.89%)up
・骨量             2.77kg→3.05kg                    0.28kg(10.1%)up
・体水分量      60.25%→53.575%               6.675pt(11.07%)down
・筋肉量          50.71kg→45.45kg               5.26kg(10.37%)down
・体脂肪率      14.17%→24.325%               10.155pt(71.6%)up
・内臓脂肪レベル             6.92→4               2.92ptdown
・BMI              21.08→21.675                     0.595ptup
・基礎代謝      1,458kcal→1,399kcal          59kcaldown
・体内年齢との差    -12.43歳→-11.5歳      0.93歳up

 …と「筋肉が5kg減り」「内臓脂肪が皮下脂肪に置き換わって」「体脂肪率は7割増」、そして「骨が300g増えた」。どうやら骨密度が上がっているらしい。かなり体が女性寄りになっている。表面は相変わらずの男パスで、無意識的には男扱いされ、非常に毎日死にたい状態ではあるけど、時間を掛ければある程度変化も出てくるかもしれない。髪を切った後のほうがコンビニでの女パス率は上がっている気がする(ちなみにエーテル体的にも体の中心から変化が起こっていて、セラピストによればすっかり女性の体に触れている感覚になっているという)。
 HRTの効果が表れてくるのは約3年とも言われる。2027/3/21のキロンリターンまで、おとなしくHRTとRLE向上に励むしかない。3年後、非婚要件も違憲になっていたらいいなぁ。そして認定医が東北(できれば秋田)にも配置されて、診断を得やすい環境が整い(あるいは診断要件も緩和あるいは廃止されて)、性別変更の審判を得やすい状況になっていたらいいなぁ。すぐ変更して女性として保険適用でHRTを受けられるようになりたい。そもそもにおいてHRTの自由診療を保険適用に変更するか、保険診療と自由診療を併用した混合診療は保険適用外になるという制度を改めてほしいのだけど。HRTの保険適用は製薬会社が治験を行わねばならず、そもそも薬価が安いホルモン剤をごく少数のトランスジェンダーのために巨額を積んで再度治験を行うなど、面倒くさいしお金もかかるだけで何もバックはないだろうからなぁ。

●女性になりたい男性の話から


 ところで私はたまに「女になりたいのか」と問われることがある。
「女になりたい」「心は女」。
 …うーん…、雑な言い方。「女性になりたい男性」も確かにいるだろうけど、そういう人が仮に戸籍上の性別を変更できたとしても生きづらさが増すだけかもしれない。いきなり自分の思いつきだけで性別を変更するのは、前出の報告書の勧告4「医学的・心理学的・その他の証明等不合理な条件や病理化を条件とせず申請者の自由意思による十分な情報に基く同意のみを基礎とすること」に反している。自由意思と十分な情報が必要なのに、国家や社会がそれを与えていない状態を「自己責任」で切り捨てることは人権侵害に相当するということだ。
 そしてこの「女になりたい」という表現も、こう表現せざるを得ない背景(そういう表現しかできない、知らない)というのもある。私だって幼少期から終始「出生時割り当てられた性別が間違っていた!」と思っていたわけではない。「女になりたい」と脳内無限再生していた時期もあった。その時々のリテラシーで表現は変化するし、どんな言葉を知っていても自分が一番落ち着く、腑に落ちる表現に結局は帰っていく。この表現しかしないからといって、即座に「心は男性」みたいなことは言えないし、「オートガイネフィリアは性的嗜好! 性別違和と一緒にするな!」等と断じることはできない。
 誰しも自分の現実を生きるのは致し方ない。戸籍を変更したからって実生活でいきなり女扱いされるわけではないもの。社会人としての実生活を自分を取り巻く種々の性と整合させていく過程はどうしても必要になる。そんなに世の中分かりやすくはないし、個人が社会に参加し、必要上統治(利益調整)が発生する。


●流れで語る日本という差別の温床


 ヘイターやネトウヨ等といった人々は、こういう有機的な社会像を持っていない。1994年成立のPL法(

)は製造物の責任を持たせるための法律だが、実体としては責任の範囲を規定することで責任回避の逃げ道も用意した。元々責任というものを穢れとして忌避する思想(信仰)を持っている日本人にとって、この法律は無責任や責任回避を社会的に蔓延させる手伝いもした。「自己責任」という造語が現れたのもこの頃だ。その精神は新自由主義の浸透と共に「当たり前」「常識」になってしまった。
 それまでの日本社会はモイストな連帯責任的な社会で、個人や集団ではなく社会がその責任を分散していた。これが外形的に無責任で封建的と非難され、社会の寛容性と涵養性を損なわせ、乾燥した砂漠のような無関心&無責任社会の侵害をかえって助長した。「根拠」だの「論破」だの「両論併記」だの、正しさを求めマウンティングやトーンポリシングが連鎖する地獄。その中で日本人の潜在意識に従来からこびりついている「寄らば大樹の陰」「勝てば官軍、負ければ賊軍」の精神が存分に発揮され穢れ忌避信仰が最大化し、「正しい側にいる俺優勝」みたいな奴らを大量に生み出した。それがネトウヨやヘイターとなって見える化している。奴らは突然現れたわけではない。マイノリティが大昔から社会の中でないものとして扱われてきたのと似て、ずっと潜在意識(それもより深い集合無意識)の世界に潜伏していた。規範が社会を統制し、社会に個人が内包されると考える輩、権威主義。権威主義が家信仰を支え、家制度を育み、家父長制を咲かせている。忘れてならないのは、近代的家父長制を打破しても、それを何千年と支えた家信仰を相対化できなければ、またぞろ権威主義は別な形で集団に権威を与えるということ。土壌どころかプレートから変えないと、そこに建つ城塞は崩れない。
 家信仰、穢れ忌避信仰、そして言霊信仰。この3つが日本人の信仰の三本柱だ。日本人は織田信長[おだ のぶなが / 1534-1582]の比叡山焼討という宗教勢力の武装解除以降、宗教の世俗化が進んだから自らの信仰に無自覚な人が多く、それどころか「自分は無宗教だ」等ととんちんかんなことを言い出す人までいるが(おそらくそのほうが多数派だが)、それがなおさらこのドグマなき古代宗教を潜在意識の底流(集合無意識)に淀ませ続けている。「無宗教」というのはほぼほぼ全人類に対する宣戦布告だと思っておいたほうがいい。教義も経典もなく日常生活の全てに影響を与えている三大信仰を、まずは意識し顕在意識のリテラシーに組み込むことから始めないといけないし、だから人権尊重という最小公倍数がそれを浮彫にするためのベクトルとして必要になってくる。
 名前について考えることはその一助となるだろう。日本や東アジアの諸国は名字が先で名前が後になっている。古い形式を辿ると氏(うじ。氏族の名称)、姓(かばね。その家系が担う役割)、役職(その組織内での立場)、苗字(住んでいる土地)、字(あざな。通称名や何番目の子か等)、諱(いみな。本名)…となる。現代でも自己紹介する時に、どんな組織に所属しているか、あるいはどこに住んでいるか+名字(そして名前は言わない)という喋り方をする。諱(本名)は最後まで隠し通す。まるで本名が分かればデスノートに書かれて殺されてしまうとでも思っているかのように。これも言霊信仰の一端で、諱(忌み名)は呼べば相手を支配することができると信じられていた。だから字(通称や幼名)や、役職名で呼ぶ文化があり今も根付いている(それがデスノート=死神手帳には反映されている)。漢文にもその思想が読み取れる。

個人と集団

 しかし人権や個人といった考えが根付いているエリアは逆の発想になっている。1stネーム(個人名)があり、ミドルネーム等を入れつつ、2ndネーム(ファミリーネーム)と続く。個人がまず在り、どこに所属しているかを付け加える。個人が神と契約しこの世に生まれてくる。造物主と個人は一対一の関係であり、所属している集団はそれに付随しているだけ。民主主義はこういった一神教の考えを反映して生まれているから、人権も個人も「集団の中にある」東洋的な発想とはかなり違う。いや正反対とさえいえる。
 幕末の思想家達は洋書から学びこの違いをはっきり認識していたのであろう。今まで弾圧してきたキリスト教をいきなり国教にする、あるいは重用するといっても反発が生じるから、日本人に馴染んだ朱子学と国学を二身合体させて「国家神道」を生み出し、国民国家を支える礎にしようとした(その発端を為してしまった平田篤胤[ひらた あつたね / 1776-1843]が秋田出身という因果…)。その結果はさすがに誰でも共有しているであろう。何千万人もの死傷者をアジア太平洋地域にもたらした。
 日本は戦後、民主的な憲法を得て生れ変ったとする人は多い。その側面は大きいが、全てではない。大きい側面で何かを覆い隠すという性向は、実にマジョリティ仕草だと思わないか。現憲法はGHQ(general headquarters / 連合国最高司令官総司令部)が日本側の改憲案にダメ出しをする等の折衝から生まれた。結局は改正された普通選挙法で改選された衆議院議員が帝国議会で旧憲法の改正手続を踏んで全面改正されたのだが、旧憲法から口語訳引越しただけの条文もある。天皇制、議院内閣制、中央集権は温存されたし、それが戦後復興に役立った面はまた否めないが、人権や個人の尊重といった考えを浸透させるには手薄だった。日本国憲法は日米安保条約とワンセットだったし、再独立のために沖縄を切り離し、東側諸国との縁を切り、アメリカの番犬に成り下がった。

・40年代は野党が自主憲法自主独立を標榜していた。
・50年代には朝鮮戦争で名実共に漁夫の利を得たが、
・60年代、安保闘争に手を焼いた政府は、
・70年代になると偏差値という新たな身分制度で若者を飼い慣らし、
・80年代には新自由主義に移行して、
・90年代は無駄に冷戦構造を維持しながら全て不況のせいにして、
・00年代、ついに国民をポピュリズムに貶めた。
・10年代に権威主義は息を吹き返したどころか猛威を振るい、
・20年代、やっと現状のおかしさを訴える声が反映されるようになってきた。

 独立心や自治精神に欠ける権威主義に対抗するには、日本の場合リベラリズムやフェミニズム、立憲主義を掲げるだけでなく、その根底にある信仰に向き合うしかない。これはどこの政党がとか何派がとか男性がとかいう所属の話ではない。日本人全員が向き合わなければならないことだ。
 憲法を自分達で書く気概、そしてそれを公務員(いわゆる国家公務員や地方公務員だけでなく、国会議員や地方議会の議員、閣僚、裁判官、そして天皇)に突き付ける気概、あなたはありますか?


●公共スペースの利用と再組立について


 さて、トランスヘイターが必ず引合に出してくるのがトイレ、風呂、更衣室…といった男女分けスペースのことだ。曰く「セルフID等許せば男性器の付いた自称女性が女性専用スペースに侵入して性犯罪し放題だ、けしくりからん」というもの。
 とはいえトイレは見た目の性別で運用されるし、浴場は身体的特徴に準じる。あとは個々の事情に合わせて利用を施設管理者と協議することになるだけなのだが、虚像を相手にドン=キホーテしているヘイターには何を言っても通じまい。世の中を先に変えてヘイターも順応すれば問題は解決する。現状、トランスジェンダー当事者は個々の事情に合わせて個々に判断して男女別スペースを利用している。完パスの未オペトランス女性が男子更衣室を利用したり、やや高額でも家族風呂を探して入浴したり、男女共用トイレや多目的トイレだけを選んで利用したり、あるいは全く利用しなかったり、個々が実情や性格、周囲の状況等を勘案しながらこのバイナリな空間に何とか順応している。ちなみに私はトイレは基本共用を探し、なければ男子トイレの個室。温泉やスーパー銭湯はもうあまり利用しないが男湯。
 理想的公衆トイレ、公衆浴場のデザインをかなり前から考えていて、それを図式化したものがこちらだ。

公衆トイレ

▽トイレ
・男女分けしたトイレをフロアの隅に配置する(穢れ忌避信仰の影響)のではなく、通路から直接入れるようにすることで、犯罪者が監視されやすい状況を作る。まず侵入や待ち伏せを防ぐ。
・密閉できる個室。着替え台や手洗い場も備えるが、ゴミ箱ではなくダストシュート方式にして、清掃員でも開けて中身を取り出すことがない状態にする。盗撮や生理用ナプキンの持ち去りを防ぐ。
・内部は男女共用。待ち時間の短縮、均質化に資する。
・多目的トイレを併設する。父娘や母息子といったトイレ補助、おむつ交換等もしやすく。

公衆浴場

▽浴場
・男女分けして全裸入浴するのではなく、通路は被服共用スペースとして、1人~1グループが1部屋を利用するスタイルに。
・各個室がいわゆる「家族風呂」スタイルになっており、脱衣所には洗面施設、トイレ、休憩施設を設置。また浴室内の利用は自由とする。
・大浴場を利用する場合は脱衣所で湯あみ着か水着に着替えて入場する。上がる時は体を全部拭いてから通路に出る。
 現時点で思いつくのはこの程度だが、こういう提案をすると必ず「コストがかかる」「スペースの無駄遣い」等と言われる。これから日本は人口減少が加速するのだし、効率よりも個々人の尊重を優先すべきだと思うのだが、どうだろう?


●侵害し分断し排除する勢力


 男女分けスペースを共用スペースにしてその時々で個人が占有するつくりにしようという提案は、得てして「女性から安全なスペースを奪うな」という反論に遭う。どうしていつも女性は侵害される前提、男性は侵害する前提なのだろうか。こういう合理的配慮を否定するトランスヘイターというのは、どういう行動原理でヘイトスピーチやヘイトクライムを行うのだろうか。
 ヘイターのメインセグメントは40~50代男性だと勝手に思っているのだが、彼らにしてみれば「女性を守る俺かっけーから惚れていいよ」という感覚なのだと思うし、またそれに準じる構成員としては性犯罪被害を受けやすいあるいは経験した女性なのかもしれないが、彼女達に言わせれば「男性器がある(男性体を持っている)以上全て犯罪者の予備軍! 犯罪者は女性スペースに入るな! けがらわしい!」という感覚であろう。こういう感覚はエルダーなフェミニスト達も持っていて、根底では「男は皆敵だ」と思っているし、性に関することをタブー視し、一括排除することで不安や恐怖を払拭しようとする。そして決して文脈、コンテキストを読もうとはしない。読まないのか読めないのか定かではないが。
 やり方は実にナチズムに満ちている。ヘイターはトランスジェンダーを見分ける方法を模索し、やれ骨格だの遺伝子だの分かるようにバッヂを付けろだの、ナチスの優生思想を彷彿とさせるようなことを平気で言う。そしてとにかく「差」を大事にしようとする。性差、民族の違い、優劣、属性、敵味方…、二元論的で実に単純なオン-オフ脳になっている。他者には思考停止をあげつらう割には、記号的判断しかしない。社会はそんなに単純にはできていないのに、属性で決めつけてくる。決めつけは差別の始まりだということが、排除の精神とはどんな言葉に現れるのかということが、彼らの言動即ちヘイトスピーチによってよく分かる。
 差を大事にするということは、分断しやすくするということだ。分断はディスエンパワメントになる。連帯を弱め、分断統治がしやすくなる。トランスジェンダーは理解されにくい極少数のマイノリティだ。同じ性的マイノリティでも、シスジェンダーのほうが圧倒的に多い同性愛者や両性愛者にしてみれば、彼らの秩序を乱す者として敵視しやすい。性的マイノリティの連帯を示すはずの「LGBT」という言葉上でも、LGBは性的指向の、Tは性自認のマイノリティだから「異質な物」として排除しやすい。「あいつらとは違う、一緒にしないで」という嫌悪の呼び覚ましは、様々な段階で行われている。原初的な男女差別は勿論、性的マイノリティへの差別、LGBTの分断、シス女性とトランス女性の分断、トランスジェンダーによる「真偽」の区分け、トランス女性による「女になりたい」「心は女」への敵視…。マジョリティはどこまで細切れにすれば気が済むのだろうか。相対的に大集団になり、そこに属したい…というのは、やはり「寄らば大樹の陰」「長い物には巻かれろ」の精神でしかない。
 排除、辺縁化、不可視化で利するのは、特権を持ったマジョリティだけだ。


●やっぱり男女に絡め取られる統計では消える人達


 男女差別は厳然として存在していて、今でも猛威を振るっている。
 女性は男性に対してマイノリティだが、前述のように性的マイノリティに対してはマジョリティたりえる。先日「朝ドラ『虎に翼』を語ろう」という会に参加したのだが、様々なもやりがあった。
・男女の関係をすぐに恋愛に結び付ける。
・女性は男女の恋愛感情には敏感というジェンダーバイアスを、当の女性自身がなぞる。
・白人の国に関わった者は優れてリベラルな視点を持ち思考をできるようになるという偏見。
・マンスプレイニングに語ったその場で、マンスプレイニングを実践する。
・男女二項対立をあおり、何度もジェンダーバイアスをトレースする。
・性的マイノリティに対する不可視化を手伝う。
・男が結局話をまとめ、男が時代を切り開いているという簒奪。
・男女二元論の狭間で消されるトランスジェンダー、殊にノンバイナリ。
・自由と責任は連関し合うが、等価ではないはず。
 男女二元論が非常に強い世代が中心だったから致し方ない部分はあるにせよ、男女二項対立では「ジェンダー平等」は叶わない。ジェンダー平等は男女平等の言い換えではない。あらゆるジェンダーアイデンティティを持つ個人が、あらゆる場面で平等に扱われ合理的配慮を受けられる話をしている。
 日本の性別記載は男女のいずれかしかないから、統計上トランスジェンダーは消える。出生時割り当てられた性別に属していたり、移行後の性別に属していたり。
 性被害の実数においてもそうだ。シス女性は性被害における最大のセグメントではあるが、ではトランス女性はどうだろうか? 性被害を受けたとしてもトランス女性はその時の戸籍上の性で扱われる。変更できた人が性被害に遭えば女性としてカウントされるが、変更していない、あるいはできていないのであれば男性としてカウントされる。「男性」の性被害は矮小化されてしかるべきものなのか? 圧倒的多数のか弱いシス女性が被害を受けているのだから、身体男性は引っ込んでいろとでも言うのだろうか? ヘイターなら言いそうだ。GBV(gender based violence / 性差に基く暴力)の背景にどんな権力勾配があり、どのような環境で行われたのかをもっと詳密に調査してほしいし、性的マイノリティの実態を掴むよう国勢調査等で模索してほしい。ちなみに性的マイノリティの性被害をまとめたものがこちら。


●インターセクショナリティと絶対弱者


 性暴力に対しては厳罰化で対処してほしいところではあるが。
 このように「ある側面ではマイノリティだが、別のある側面ではマジョリティになる」ような視座を交差性(インターセクショナリティ)と呼ぶが、そこには様々な要素がある。

インターセクショナリティ(交差性)


・典型家族>非典型家族か
・正規雇用/ホワイトカラー>非正規雇用/ブルーカラー
・高収入>低収入
・高学歴>低学歴
・英語話者>非英語話者
・デジタル>アナログ(ネイティブ)
・都会>田舎(住み)
・実家が太い>細い
・地元民>移民/よそ者
・宗主国>植民地
・白人>有色人種
・健常>障害
・AMAB>AFAB
・(見た目が)美>醜
・(性格が)明るい>暗い
・(その性別)らしい>クィア
・バイナリ>ノンバイナリ
・シス>トランス(ジェンダー)
・ヘテロ>A(ロマンティック/セクシュアル)
・モノ>ポリ(アモリー/ガミー)

 これらは一例であり、表現も誤解を招きやすくなっているが、ひとまずの取っ掛かりと捉えてほしい。私の場合、典型家族/実家太め/地元住み/旧宗主国側/健常者/出生時男性/バイナリ規範/ヘテロに近いパンセクシュアル…といったマジョリティ性があり、低所得/さほど学歴高くない/英語話せない/アナログ寄り/田舎住み/黄色人種/不美人/根暗/クィアっぽい/トランス女性/ポリアモリー傾向…といったマイノリティ性がある。マジョリティ性はつまり特権であり、特権は既得権とは違う。既得権は目に見えるが、特権は見えにくい。

私の場合

 だがこの見えにくい特権が揃っているのに既得権のような恩恵にあずかっていないという錯覚を覚える人達がいる。マイノリティ性が薄いため、マジョリティ性にも気付きにくい人達。それが「絶対弱者」だと思う。絶対弱者は実体としては弱者ではないから特権性が強い。そうするとどこかに「自分は弱者だ、マイノリティ性があるんだ」と敵を探し始める。そうしてありもしない脅威を煽り、いもしない悪魔に戦いを挑む。トランスヘイターがドン=キホーテ的だと述べたのはこのことだ。彼らは実生活で満たされない感情を抱えている。それがケアされない限り、その矛先が延々次の獲物を探し続ける。


●日本の中華思想の残滓


 絶対弱者は権威主義に陥りやすい。普段はネットの海で悠々泳いでいるネトウヨやヘイターも、自分の特権に気付けるチャンスが残されている。それが地域格差だ。
 中国には古代から「中華思想」「華夷秩序」というものがある。「中原こそ世界の中心、中国こそ唯一の文明であり国だから、周辺の集団は中華に貢物を捧げよ。さすれば褒美を与え外敵から守ってやろう」という帝国主義にも通じる傲岸不遜な考え方だが、これが東アジアの秩序だった。そして朝鮮半島や日本列島の国々もそれにあやかろうとしたし、あわよくば自らが中華たらんとした。
 日本の場合、中国に朝貢してその利を得ようとした時代もあったし、豊臣秀吉の唐入りや大日本帝国の侵略等、中原に至ろう(帝国たろう)とした時代もあったし、徳川幕府のように朝鮮や琉球に朝貢させた時代もあった。そして古代の国づくりの時点で中国のそれを真似ようとしたから、「天皇の所在地が日本の中心、まつろわぬ者共は征伐の対象」という方針がある。征夷大将軍はそうして生まれた。近代以前までは関西が、近代以降は関東が日本の中心であり、離れるほど田舎、田舎はばかにしていい、穢れに満ちている…そういう潜在意識のにこごりがある。ちなみに部落差別は地域差別ではなく職業差別が醸成されてしまったものだ。
 テレビのニュース等を見ていると、関東で雨が~猛暑が~とか、太平洋ベルト地帯のどこかの災害は大きく報じるが、日本海側(つまり裏日本)の大規模災害は初報ぐらいで後は知らんぷりだ。「視聴率が取れない」からだろうが、報道の矜持を欠いている。
 交通に関しても、どこの地域の情報でも「駅から徒歩何分」みたいな情報を重視したがる。鉄道どころかバスもろくに来ない自動車オンリーな田舎も多いのに、そういう事情を鑑みないし、都会の恵まれた交通網に住む人の視点でしか語られない。
 また収入に関しても、「年収200万円以下の低所得層」「300~400万では生きていけない」等と表現する人達は、年収200万がスタンダード、300~400万もあったら完全勝ち組な田舎の実態が見えていない。
 事程左様に、帝国主義や資本主義は社会をむしばんでいる。努力しても報われない、なぜなら機会がないのだから。それなのに「もっと努力しろ」等と平気でのたまう。努力する力があること、努力する機会があること、努力すれば報われること。これらは特権だ。困窮が連鎖している人、障害が差別や偏見を招く人、動けない人はどうしたらいい?


●努力しない、順応しない…まつろわぬ当事者は認められない?


 トランスヘイトの中でもこういった構造は見受けられる。「真のGID論」というものだ。トランスヘイトは何もシスジェンダーだけから発せられるものではない。トランスジェンダー当事者もその牙を当事者に向けることがある。
 圧倒的少数派であるトランスジェンダーは実に多様だ。ガイドラインや特例法に準拠して戸籍性を変更し「普通」の男女として生活する埋没者、ガイドラインや特例法等関係なくフラホルや手術を行った者、整形を繰り返す者、HRTだけで満足できる者、性別違和はあるが身体違和は弱い者、ノンバイナリやXジェンダー、中性といったアイデンティティを持つ者、異性装に落ち着く者、性別移行中で不便を抱えた者、全てを隠して出生時割当てられた性別を生きる者…。そしてこれらは当人の自由な意思決定だけでそうしているとは限らない。性別移行をしたくてもできない生活環境があったり、アイデンティティを示す言葉が現代的でなかったり、侵襲性の強い手術をそもそも受けたくない…医療的、経済的、文化的、心理的等様々な事情で身体治療を受けることができない状況に置かれていたりと、移行できていない、あるいは移行が深化していないトランスジェンダーは多い。広義のトランスジェンダーには、性別移行を望み実践する人達だけではなく、ノンバイナリ、クロスドレッサーやオートガイネフィリア、インターセックス、クィアやクェスチョニング、AジェンダーにXジェンダー、文化的な意味での第三の性、ジェンダーフルイドやジェンダーフラックスといった人達が含まれる。
 そんな中、「手術なしで戸変が通ると埋没トランスも詮索される」という恐怖(これは「セルフIDを許すと男性が女子トイレや女湯に『心は女』といって闖入する」というデマにも通じる)は、性別移行当事者から「トランスジェンダーだったら手術しないなんてありえない! 性別違和、身体違和がないなんて!」という反発をもたらす。これは同じトランスジェンダーの中でも、交差性によって置かれた状況が違うことへの無理解から発せられる。
 例えば、AMAB(assigned male at birth / 出生時男性を割当てられた者)で、性自認が女性、身体違和もあり、戸籍性の変更を望むトランス女性がいたとして、彼女は成人する前から女性として社会生活し、成人後はガイドラインに従って治療を進め、一生懸命お金を貯めて、20代で見事性別適合手術に成功し、晴れて戸籍の性を変更して、女性として素敵な男性と結ばれたとしよう。妊娠出産することはできないが、日々のダイレーションによって快適なセックスライフを送り、女性として就職し、休日はパートナー男性とお出掛けデートしているかもしれない。そして出生時男性を割当てられたことは自分や一部の人にしか分からない状態で生活していたとする。
 そんなトランス女性が、鉄道の通っていない田舎暮らしで結婚して子供も2人いるが、40代でやっと自分の性自認を認めることができ、しかし持病や社会的立場、経済的状況のせいで医療にアクセスすることもできず、フラホルと休日女装でこっそりと自分を満たし、SNSで「女の子になりたい」とつぶやくようなトランスレズビアンに接触した時に、その背景も理解せず「あなたのような人がいるからトランスジェンダーが誤解されるんです! 本当に女性になりたいなら家族を捨てて、ガイドラインに沿った治療を受けて、戸籍性を変更するべき! そんなの性同一性障害じゃない!」と断じ、非難し、あまつさえそれをSNSで拡散したとしたら、ヘイトスピーチでないと言い切れますか?
 GID特例法は戸籍法の特別法で、それまで生活実態がどうであろうと(よほど完全な手続上の間違いであったり性分化疾患等の場合を除いて)決して変更できなかった戸籍上の性別を変更する手続の法的根拠となった。施行以後その恩恵に与ったトランスジェンダーは前述の通り10,000人を超えている。ただそれは国がお墨付きを与えた「正しい姿」なわけではない。「法的な取扱を生活実態に準ずる」としただけだし、そこにある要件は全て人権侵害なのだ。
 国際機関も憲法も司法もフェミニストも「人権侵害をやめろ」と言っている。人権は国家組織に優越するのだが、日本は逆になっている。人権(権利)は義務を全うした者に与えられるものだと、無意識に思っている。それは封建社会の「御恩と奉公」の領域を突破できていない、実に前近代的な発想だが、90年代以降の日本社会はこの考えに覆われている。そんな社会の空気を吸って生まれ育った人、そんな社会に順応した人の多くが、容易にトランスヘイトに加担する。それはシスジェンダー/ヘテロセクシュアルの男女ばかりでなく、シスジェンダーの同性愛者や両性愛者、トランスジェンダーや性分化疾患の当事者、障害者、外国人、高齢者、性被害者…あらゆるセグメントに及んでいる。


合理的配慮のイメージ

●理知を得られなかった被害


 そうは言っても、私達は皆被害者だと言える側面がある。情報不足、学習機会の簒奪、リテラシーを与えられなかった…という被害だ。

・学習の方法、本の読み方、ネットリテラシー
・反省の仕方、責任の取り方
・非常時の過ごし方
・合理的配慮
・包括的性教育
・性別二元論は根本的に間違っている。性の状態には様々な判断基準がある(性のグラデーション)
・自分の体のことは自分で決める。プライベートゾーン、第二次性徴、SOGI(SRHR)
・性分化疾患(DSD / disorder of sex development)
・インターセクショナリティ(交差性)
・罪は消せるが、加害事実は消えない
・あらゆる差別の歴史
・宗教、法、科学…といった異なる秩序体系の衝突
・連帯の意味
・排除(exclusion)と包摂(inclusion)は対義語
・優生思想や特例法の要件はSRHRを侵害している
・人権は国家権力に優越する
・憲法は公務員に対する命令書(立憲主義)
・生活を取り巻く種々の法(憲法、民法、刑法、国際法…)
・日本は国際的な人権基準を国内に適用していない
・日本におけるマイノリティの差別実態や、性被害の実態
・日本人にも信仰があり、潜在意識下で継承され続けている

 そして何より理知に従うこと。これらは、近代国民国家、民族主義、帝国/植民地主義、資本主義、大衆経済、新自由主義…といったこの500年程のムーブメントの中で徹底的に無視され除外されなきものにされてきた。そのほうが民衆を一方向に向けやすいからだ。そのほうが戦争のために国民を動員し、経済成長のために一丸とさせ、労働流動性の確保のために分断しやすいからだ。いい加減気付こう。
 ヘイターやネトウヨは確かに犯罪的だ。偏見や差別をぶつけるのは最低の行為だ。だがその背景に純然たる悪があるだろうか? 彼らもまた理知を得られなかった被害を受けている。情報を遮断され、学習機会を奪われ、リテラシーの形成に事欠いている。「もっと勉強しろ」と彼らに言うのはたやすい。けれどその言葉を私達も受けてきたはずだ。自分が苦しんだのだから牙を剥いていいのか。それでは性犯罪サバイバーのトランス女性差別と大して変わらないではないか。

 理知に従おう。偏見や差別や排除をこの世界から取り除き、本当に誰もが生きやすい社会をつくるためには、それしかない。

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