そらりらす
「ジェンダー問題」という言葉、実にもやる。 ジェンダーとはざっくり「社会的な性」のことだ。セックス(生物学的な性)とは対義語のような関係にある。 セックス上の男女とはmale / female で、本当はオス / メスという違いとなる。 ジェンダー上の男女はman / woman で、男性 / 女性ということになる。 では戸籍上の性とはどっちなのかといえば、ジェンダーなはずである。「はず」なのは、戸籍上の性別を決定するプロセスが、身体の外観に即しているからだ。取り上
みんなが反戦だー反差別だー手術だー裁判だーって動いてるのに人の何周も遅れてる私…やっと8/4の男性の生きづらさ講座のまとめができた。しんどいことも重なってたし、忙しかったってのもあったけど。当初全部文字化しようかと思ったけど全然途方もない感じで、図面化してみた。 まず排除的な自称フェミニストによってミサンドリーを植え付けられている。自己防衛の面もあるのか分からんが、性犯罪や暴力を行う属性としての男性を嫌悪している。 その原因としてセルフネグレクトやら何やらがある。男
●トランス女性の家事審判で外観要件を違憲とみなした件 2023/10/25に最高裁で、トランスジェンダーが手術なしの性別の取扱変更を求めた家事審判に対し、GID(gender identity disorder / 性同一性障害)特例法(性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律 )の3条1項4号の不妊化要件は違憲無効と判断されたが、同5号の外観要件については審理が尽くされていないということで高裁差戻しとなり、その審判が2024/7/10にあった。結果、同要件は「
女性差別、生活保護、障害、性別違和… どれもそうだけど、現状が辛く、解決の糸口が見えない人はいて。 でもそれって規範や社会、習慣がそうさせてるのであって、当事者が悪いわけじゃないじゃんね? 大雑把で印象の話でしかないけど…、 50~70代の女性って男尊女卑社会に順応しちゃってる人が多い。敵が明確だから立ち上がる人も結構いる。それらが過ぎて名誉男性みたいになってる人も多い。 けど30~40代の女性となると、政治無関心や経済的自立を標榜する人が多くなって、構造に立ち向かう人が
マーチ、プラザ、頼まれ仕事…とトリプルワークが続く中、パートナーとの時間も…となってその上にインタビューが何件か入ってパンク状態なまま迎えた秋田プライドマーチ。今年は3回目。 2020年2月にその存在を知り「参加したい」と思ったけれど、コロナで中止になった。 翌2021年はスタンディングをしたようだけど現地に行くことはできず、でも色んなイベントに出席するで顔を馴染ませていった。私の当時の状況としてはXジェンダー(ゆらぎ性)の占い師として存在感を増したいと思っていたし、性的
2023/11/25 秋田市仲小路で示威運動「秋田トランスプライド」を実施し参加しました(主催:秋田プライドマーチ実行委員会)。その際に寄せた私からのメッセージの全文を、ここに掲載します。 私達は、「私自身を表す言葉」をやっと獲得しました。 私達は存在しなかったのではありません。 ずっとかたわらにいたし、 息をひそめてマジョリティにまじって、 あるいは何事もなかったかのようにマジョリティに擬態して、 何とかかろうじて命をつないでいました。 長い間、私達は存在して
ご紹介にあずかりましたふたばと申します。トランスジェンダー女性、トランスウーマン、トランス女性、MtF、Male to Female。生まれた時割り当てられた性別が男性でしたが、自認する性、これが自分だとしっくりくる性、Gender Identityは女性というものです。性同一性障害(Gender Identity Disorder)、または性別違和(Gender Dysphoria)、国際的には今後「性別不合(Gender Incongruence)」とも呼ばれますが
感情担当のかすみです。 きり閏美と書き、きりかすみと読みます。 名前を付けたのは達也です。 閏年生まれだし、 閏という字には、あまったものという意味があるそうです。 私のおじいちゃんも美という字を使ったそうです。 男性の体で女性の心な私でも使っていいんじゃないかと。 かすみやきりはあってないようなもの。 存在感がないといわれ、 実際存在価値も存在意義もない私のようですよね。 キル・アイできり。 だからきり閏美です。 かすみと呼んでください。 小学校高学年の頃、 ふたばの名前
私は解離性同一性障害(いわゆる多重人格)ではありません。記憶が連続しているし、大きなトラウマとなるような出来事も特にないからです(解離性離人症はあります。これは性別違和のストレスによるものかもしれません)。 しかし複数の「人格」がありチームで事に臨むものの、その場面場面において最適な「人格」が活動を担当している、音頭を取っているような感覚はあります。 長年、彼らを俯瞰することができていませんでしたが、スピリチュアルなワークを通じて自分の思考や感情を分解してみたことから始ま
長かった。 性別に違和感を覚えて40年。 やっと訣別できると分かったら、気持ちが落ち着かなくなってきた。 ●幼少期の違和感 3歳半頃、弟が生まれた時、母や姉のような感覚で初対面したのを覚えてる。いい天気だった。私の将来の夢はお母さんだった。 幼稚園に入ると、お遊戯の時間は男女に分けられた。トイレも男女別。どうして私は女の子の仲間に入れてもらえないのか。男の子の輪にも女の子の輪にも入れてもらえず、いつも少数の友達と遊んでいた。多分絵を描くくらいだった。卒園アルバム
こちらの記事で、またしても不名誉ワーストを飾らせて頂いた秋田県。 秋田県出身でありながら、進学や就職で県外に出て、その後秋田県に戻って再度定住したいかどうか? そういうUターン希望者を調べたもの。 秋田に「Uターンしたい人」を始めとした関係人口(移住者、観光客、出張者)が少ない理由を、私も少し考えてみた。 ●街としての住みやすさ? ・厳しい自然 夏暑く、冬寒い、北日本日本海側特有の気候があり、特に雪が難点。おまけに地方公共団体による除雪が不得意という評判があり、
この記事読んで思ったことを少々。 「女性にも正当な評価を」というが、何のことはない、男性も「正当な評価」などはされていない。いかに上司に媚を売ったか、いかに粉骨砕身サービス残業や休日出勤をしたか、いかに都合のいい兵隊になれたか…が評価基準であって、そんな中で「女性」は「活躍」したいのか、よくよく考えてほしい。女性が、今ここに厳然として存在している男性原理社会で「活躍」するには、名誉男性になるか、女性も男性と同じ「わきまえる使い捨ての兵隊」にならねばならないし、これをひっくり
https://news.yahoo.co.jp/articles/b744271a1792a1d2cd59bed1244e76228b5fa4c8?page=1 「性の秩序」が邪魔だねぇ。 男か女かという二者択一しか認めない「性の秩序」の中では、ヘテロやシス、異性愛だけでなく、実は同性愛や両性愛(LGB)も比較的生きやすい。偏見はあるが。 性同一性障害は昨年、WHOによって「障害」ではなくなったが、日本の法律では「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律があり、「
しばしばLGBTQの話題の、比較的理解しやすいものとして、同性婚が取り上げられるが、どうも理解が浅いなと感じるケースが多い。家族、家庭、家…。婚姻関係だけでなく、それに付随する家族の在り方を問うのは、切り口としては結構なことだが、前提をどこに置いているか、本当にLGBTQに寄り添っているのか、読み解かねばならない時がある。 以下、ある新聞記事を読んでの感想。 日本の家制度は信仰のレベルだということをまず我々は認識せねばならない。 大半の日本人は自分のことを無宗教だと信じ
●男性性・女性性の話 男性性・女性性という言葉の使われ方が、時折(あるいは使う人によって)そのまんま「男らしさ・女らしさ」に置き換わっている時がある。 「男らしさ・女らしさ」というのは、あまり強要されたくない向きもあろうが、確かに存在した。それが父権社会や母権社会、マッチョイズムやフェミニズム、ホモソーシャルを作ってきたわけだし、男尊女卑や女尊男卑、男女差別や男女平等を生んできた。 けれど男らしさ・女らしさは男性性・女性性に起因している部分があるにせよ、男性性・女性性そ