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秋田プライドマーチ APM 3rd

マーチ、プラザ、頼まれ仕事…とトリプルワークが続く中、パートナーとの時間も…となってその上にインタビューが何件か入ってパンク状態なまま迎えた秋田プライドマーチ。今年は3回目。

2020年2月にその存在を知り「参加したい」と思ったけれど、コロナで中止になった。

翌2021年はスタンディングをしたようだけど現地に行くことはできず、でも色んなイベントに出席するで顔を馴染ませていった。私の当時の状況としてはXジェンダー(ゆらぎ性)の占い師として存在感を増したいと思っていたし、性的マイノリティへの興味関心、そして自分への解像度アップを目指していた。この年はマーチ開催後に「やはり女性に生まれたかった」というところに辿り着き、両親にカミングアウトしている。

2022年の1回目のマーチにはボランティアとして初参加。雨と肌寒さに見舞われ、秋田っぽい「反骨」を感じずにはいられなかった。その後実行委員会に入れてもらった。マーチ前には性別違和の診断書が出ていたが、でも治療には進めずヘイターにも絡まれて希死念慮が復活し、秋には自殺対策事業の講師をすることにもなった。冷たくて狭い世界にいるようだった。

2023年の2回目の時は準備段階から関わり、色んな催しを盛り込み、ルートも長くした。やれることはやろうみたいな、かなりqueerな(風変わりな)マーチだったかも。しかしそれが祟ってしんどい思いやもやもやを感じる人もいた。パレードで道路に出た時、「若い頃自分に絶望しながら生きて自転車で来ていた駅前の公道を、今私は私らしく生きる希望を持って歩み出したんだ」と思ったら、BGMともあいまって涙があふれた。暑くて大変なマーチだった。私の私生活でもホルモン治療や改名ができたけど、勤め始めた会社には排除的な人が多く、心身をすり減らした。でもその分か、フェミニズムへの解像度は高まったと思う。おそらく東京以外で初のトランスマーチ(秋田トランスプライド)を実施したのもこの年だった。https://note.com/ma7ara8mu9/n/n6de5b8986ebd

プライドフラッグはもっとある

そして2024年の3回目。みんな疲弊したり、人生のステージや周囲の環境が激変する中での準備は、思うように進まなかった。私も前職場で大変な目に遭い、職場を変えられたと思ったらSNSでヘイターに叩かれて鍵垢に追い込まれるなど、ひどい状況だった。だから無理しない、できることをできる範囲でやる、と肩の力が抜けた分、信頼関係が光ったマーチだったし、これまでの協力関係の醸成のおかげで東北の名立たる団体が集結し、凄く、あらゆる面でgayな(陽気な)マーチになったと思う。快晴で、風が心地よく、交流会も含め好評だったし、満足度が高かった。でも、インタビューで何度か今年のマーチへの思いを聞かれたが、全然うまく答えられなかった。マーチ前もマーチ中も、安全に終わらせられるかということばかり考えて気が張っていたし、終わった後も気持ちの整理が全然できておらず、仕事もあったし、毎日眠いし、分からなかった。当日その場になれば、不思議とエネルギーが湧いたり、自分が活躍すべきステージで自然と自分の役を演じたりできる人が、メンバーにはたくさんいる。ボランティアの人数も驚くほど多かったし、参加者も、警察も、沿道の人達も、贈られたメッセージも、みんなあたたかかった。ボランティアからメンバーに加わった人も何人かいた。撮影してもらった共同代表の最高の笑顔が全てを物語っていた。

秋田には何でもある

立ち上げ時からの蓄積や摺り合わせによって、だんだん本質が磨き抜かれてきたから、ぶれない軸ができたんだと思う。「ここにいるよ We Are Here !」。可視化すること。いないことにされないこと。埋没を望む当事者もいるけれど、それは規範を強要する世の中のほうがおかしいわけで、差別や偏見を克服していくためには、実在、実存が不可欠なんだと思う。いないんじゃなくて、出てこれないだけなんだと、マジョリティに知らしめねばならない。そこからでしか、諸問題は解決しない。法的な闘争や粘り強いロビィ活動はなかなかできていないけど、この可視化事業は今後も続けたい。

私は戦うことや頑張ることは苦手だ。それは特権だと思っている。頑張れる力や環境があることや、頑張れば報われる人は特権だし、戦いというのはそれだけで様々な特権性を帯びている。私にはそれができないから、「無抵抗主義」でいくしかない。可視化されたくない当事者が向ける憤りは、私が引き受ける。理解できない者へ向ける敵愾心には、私が立ち向かう。私が醜い屍をさらしても、私はここにいる。

マーチの後の交流会の後の懇親会の後の二次会へ向かう

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