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私の生きづらさは入れ子構造だった

 みんなが反戦だー反差別だー手術だー裁判だーって動いてるのに人の何周も遅れてる私…やっと8/4の男性の生きづらさ講座のまとめができた。しんどいことも重なってたし、忙しかったってのもあったけど。当初全部文字化しようかと思ったけど全然途方もない感じで、図面化してみた。


 まず排除的な自称フェミニストによってミサンドリーを植え付けられている。自己防衛の面もあるのか分からんが、性犯罪や暴力を行う属性としての男性を嫌悪している。

 その原因としてセルフネグレクトやら何やらがある。男性に嫌悪を向ける私の心性には、自分自身が男性として生まれ育ちながら、男性であることへの強い拒絶がある。親の望み、周囲の大人の望み、社会全体が求める男性像の通り生きなければ評価されないこと、価値がないとされること。自分の望みは叶えられないからこそ自分自身をいじめ抜き、傷付け、ないがしろにし続けるセルフネグレクト(その究極が希死念慮だったかも)。それゆえに身に付いた有害な男らしさ、ホモソーシャル特有の暴力的で懲罰的なものの考え方、マンスプ体質…。これらが男性嫌悪を強化し、性犯罪に対して厳罰化を望むようになっていた。

 これらを踏まえて、自分の望みを本当に奥底のさらに狭い所に隠して押し潰して塗り固めて封印していたため、自己肯定感のなさがどこから来るのか分からなかった。女性であることができずそれがこじれ過ぎてミソジニーなっているし、トランスヘイトや稼得役割といったものもどんどん侵害してくる。でも女性へと性別移行したいし、人権を大切にする本当のフェミニズムに触れていたいし、自分の人生を取り戻したい。

 自分の望みといえば、竿燈祭り期間中でもあり、自分がどうしたかったか改めて思い至った。私は男性としてあのホモソーシャルに参加したくはなかった。女性として外から参加したかったんだ。それが今年、やっと言語化できた。距離感が必要だった。

 そういうわけで、私の生きづらさは入れ子構造だった。トランス女性としての生きづらさの内側に男性の生きづらさを抱えている。考えればトランスジェンダーは大概みんなそうか。何かやっと私はそこに辿り着いたよ。

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