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トシちゃんは出来たけど、ニッキは

「気が付けば43年間という日々が過ぎて、随分甘えすぎていた事に少し恥ずかしさを覚えると同時に、事務所には本当に頭が下がる思いです。」「恵まれ過ぎていた環境を飛び出し、これから私は沢山の厳しさを味わっていかなければなりません。」
錦織一清  退所発表時のコメントより抜粋 2020年9月

以前、妄想ストーリーで「もしニッキがソロだったら、もっと早くジャニーズを辞めていたと思う」と書きましたが、それはあながち外れてなかっただろうと改めて思っています。というのも、それを裏付けるようなコメントに出くわしたので。トシちゃんの独立直後のニッキの発言で1994年の秋、夜のヒットスタジオの特番にて。冗談の中にもホンネが見え隠れ。

「トシちゃんには踊りとかよく教わりましたからね。あと教わることっていったら、独立の仕方ですかね。」 
錦織一清 「夜のヒットスタジオSPECIAL」CX   1994年10月12日

ニッキは才能のかたまりで、作り手志向でやってみたいことがいろいろあっただろうから、自立したいという想いがあったと察します。でもグループの一員だから、なかなか思うようにはいかなかったのでしょう。

☆彡

「僕の場合はソロだったから、自分の意思で決断できたというのもあるけど、今はほとんどの人がグループじゃないですか。でも大人が4人も5人もいたら、考え方や将来のビジョンは絶対に違ってくる。」

昨年末にネット上で公開されたトシちゃんのインタビュー記事を読みました。独立やそれに伴う不遇の時代についても赤裸々に語られていました。
「田原俊彦 還暦直前インタビュー」 Bunshun Online  2020/12/13

「それぞれに '本当はこういうふうに生きていきたいな' という思いができてくるわけだから。それを1つにまとめて、というのもなかなか難しいよね。かといって、解散もできなかったりするし。」

彼は幼いころに父を亡くし家族を支えてきたから元々自立心を持っていたのだと思います。事務所内で最年長だからといつまでも後輩たちから持ち上げられ続けるわけにはいかないと思ったのでしょう。

「いつまでもジャニーズに寄りかかっていちゃいけないという思いもあって、独立を決断した。」

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magazine h  1983

30年前は今より皆、早くに成熟した感覚を持っていたと思います。25歳を過ぎたらいい大人。実力派にならないと芸能界での先が見えない。アイドル事務所のジャニーズにいつまでも居続けるわけにはいかないと。

独立後に直面した芸能界での生きづらさについても語っています。

「テレビに出る頻度は愕然とするほど下がったね。ジャニーズの子との共演は絶対NGになったし、それは今も続いている。今で言う忖度っていうの? テレビ局側が気にしてるんだから、僕にはどうしようもなかった。」
「僕みたいに一匹狼で戦ってる人間は周りから噛まれっぱなし 」

でも、後悔はなかったようです。

「 歌って踊ったら誰にも負けない自信もあったからさ 」

magazine h 1984