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昭和26年の観光記事で見るお花見スポット(回顧寫眞大鑑)

こんばんは。観光ライターのMasanoriです。

昨年の正月、まだコロナ禍になる前に祖父母の墓参りがてらに親戚の家へ新年の挨拶に寄ったところ、蔵を整理したら出てきたという本を渡されました。昭和26年の観光ガイドブック的なものとのことで、自分が観光業界で働いているからと、捨てずに取っておいてくれたそうで。久々に会う親戚との会話がなかなか弾まず、とりあえず場を和ませようと手に取って読んでみたところ、昭和26年の観光ライターがどのような紹介文面を書くのか、カメラの構図や当時の様子など、かなり興味深く読み耽ってしまいました。

後日、自宅に現物が送られてきたので、たまに読んでいるのですが、本日は文字通り、その昭和の遺物から一部紹介したいと思います。

回顧写真大鑑とは

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こちらは現物ですが、第一集から第十二集(完結)まで、かなりのページ数があります。中身は、その当時としては珍しく写真を多く使った、歴史とその地の今(昭和26年)みたいな構成になっています。indexがないのでわかりづらいのですが、昭和26年の最新から見た江戸~幕末を振り返るような観光スポットの紹介が多く見てとれます。昭和26年は西暦では1951年。終戦から6年後、復興の兆しが見え始めてきた頃の観光ガイドブック的な古書という位置づけです。まだGHQが日比谷に総司令部を置いていた頃で、写真のキャプションに「帝劇と総司令部」など普通に表記されているのが、時代を感じました。

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こちらは二・二六事件を特集している記事の挿絵。奇しくもあと1時間で2月26日ということもあって、タイミングが良いのか悪いのか。第十二集の最後のページはこの二・二六事件で締めくくられています。書店では買えないので、取り寄せが必要と本に書かれているあたり、当時のデアゴス〇ィーニ的なものかなと思います。

常照皇寺の九重桜

第六集の見開きカラー写真が、京都の右京区にある常照皇寺の九重桜でした。先日、早咲きの河津桜が話題にのぼり、北野天満宮では梅が見ごろの時季。昭和26年の当時でも戦争の爪痕が残るなかでお花見を楽しむ人々で賑わっていたのでしょうか。写真の撮り方にも優しげな雰囲気が漂います。

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写真の九重桜は、光厳(こうごん)上皇創建の庵室即ち後の常照寺開山堂の前に現存する上皇御手植と言ひ伝えらるるもの、根廻り十四尺五寸、樹齢実に六百余年、天下稀に見る紅枝垂ざくらで、花の盛時は、万条の花房瓔珞の如くつらなり、その美観蓋し筆紙の克く尽すところでない。

紹介文には上記のように書かれています。要は、筆舌に尽くしがたいほどに美しいということですが、花房瓔珞なんて単語初めて目にしました。“瓔珞”(ようらく)は仏教用語で、仏像や菩薩の像などにある天蓋から垂れる飾りを指すらしく、垂れる桜の花が、まるで仏像の天蓋のように神々しく見えた、ということだと思います。

常照皇寺1

Indiana jo, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons

常照皇寺では、九重桜のほかにも「左近桜」「御車返し」などお花見の名所です。終戦間もない頃から現在まで、世代を経てもずっと人々に愛でられてきた桜、いつか一目見ておきたいものですね。

いかがでしたか。回顧写真大鑑。
発行は、東京の文京区にあったらしい、株式会社時事世界社。もちろんURLなどは存在しません。電話も「九段」から始まっていて、そもそも東京03でもないのは驚愕でした。定価は送料込みで“金百六十円”。今でいう1,200円ぐらいでしょうか。半世紀以上の時を越えて、こうしてnoteで発信してみました。たまにネタにしてみようかなと思います。

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