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寄付と曖昧な信頼

愛犬との思い出に影が落ちたような気がした。

サウナいらずの蒸し暑さの中、図書館に本を返しに行った。図書館の冷たい空気に触れた瞬間、気になっていた本が頭の引き出しから見つかった。運良く借りることができて、自分で自分を褒めてあげた。
ホクホクとした気持ちで図書館を後にし、駅前の広場を通った時、少年たちが募金箱を持ちながら大声で叫んでいる姿が目に入った。途端に今日はいい日と思った気持ちは消え、カロリーゼロのコーラを飲んだ後の、人工甘味料のベタつきのような後味の悪さにすり替わった。

「寄付」に不信感を感じたきっかけは6月頭のある晩、お風呂を沸かし食器を洗い終えて、一息ついていた時だった。
隣には元保護犬の飼い犬、パルがぐっすり寝ていた。ちらっと舌を出し、ぷうぷう言いながら寝る姿は、世界中の平和のイメージを合わせたような姿だった。寝顔を見ていると私が守らなくてはいけないという気持ちになる。母性というのはこういう感情を言うのかもしれない。

寝ぼけているパル

安らかな寝息をBGMにSNSを見ていると、パルを引き取った保護団体の投稿が流れてきて、添えられていた文章の不穏さに目が離せなかった。

「苦情相談窓口設置のお知らせ」

任意である寄付金を絶対条件として案内したり、任意である毎月のフード購入を必須とする案内などがあったらしい。そして私たちがパルを引き取る際にもされた案内だった。
引き取る際に起こったことを連絡し、調査結果のメールをもらっていたが、私の中で折り合いがつかず返信ができていない状況だった。

駅前で募金箱を持ち、大声で叫んでいる少年たちに聞いてみたかった。

「私がいれたお金は何に使われるの?」

大学でNPOや寄付について学んでいた時、日本の寄付文化の課題として挙げられていたのが「不透明性」。寄付金の使い道を報告しない団体が多いという。
寄付は時代や地域、両親などの生まれながらの不平等に立ち向かう、ゲットーから抜け出すための数少ない手段。私たちはお金に敏感で、経費や税金など厳しく目を光らせている。だけど寄付になった途端に鈍感になる。気の抜けた曖昧な信頼に委ねてしまうのはなぜだろう。救いの糸を雑に扱ってしまうことが引っ掛かっていた。

まだ上手に言葉にすることはできないけれど、いつかは立ち向かわなくてはいけない。不器用な文章になると思うけど、気が抜けてしまう前にメールボックスを開こうと思う。

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